第730話・義輝、学校と病院を見学する

Side:足利義藤


「このような学び舎があるとは……」


 与一郎が驚き言葉を詰まらせた。さもありなん。


 慶次は『学校』と呼んでおる。身分、歳、男女問わず学べるところだという。唯一の条件は斯波家に認められるか、織田の民であること。


 関東には足利学校があると聞き及ぶが、それを模したということか?


「中を見てよいのか?」


「少し見るだけならばな。塚原殿は以前ここで武芸を教えたこともある」


 慣れた様子で入る慶次に続く。刀どころか脇差しまでも預けねばならんが、誰も持っておらんとなると気にはならんな。


「何故このようなことを?」


「意欲のある者に学問や武芸を教えるためですな」


 あきらかに民と思わしき子がそれなりの身分の武士の子と共に学ぶ姿に、与一郎は理解出来ぬと思うたようで慶次に問うが、その返答になんとも言えぬ顔をした。


「貧しき民に学問など不要では?」


「人は皆に身分では計れぬ才がある。それを探してやるのだと殿はおっしゃっておられましたな。滝川家とて元は甲賀の小領の出。殿に仕えねば、オレとて学問など要らぬ田畑を耕して生涯を終えたであろうな」


「あ、いや。滝川家や慶次殿を侮辱するつもりはない。ただ、よくわからなかったのだ」


 それほどおかしなことを言ったわけではない。とはいえ与一郎は慶次の言葉に少し慌てて弁明した。


 この男は武芸の腕前もあり、絵師としても尾張では名が知れておる。内匠頭や一馬が気に入っておる男だ。さすがに侮辱したと受け取られると困る相手。


「存じておりますとも。ものの例えを申したまで」


 もっとも慶次はそんな与一郎を面白げに見ておる。危なげなことを口にして遊ぶような男だからな。堅物な与一郎が振り回されておるだけであろう。


「身分では計れぬ才を探してやるか。よき考えであるな。身分があっても愚か者は愚か者だ」


 考えたこともなかったな。とはいえ面白き考えだと思う。あのような小物が管領として世を乱す姿を見ておると尚更な。


「ここも同じか」


 続けて見に来たのは『病院』という診療所だ。こちらも武士と貧しき者が同じように待っておるな。


「ここでは誰を先に診るかは医者が決めること。もっともそれなりの者には往診もしているがね」


「なるほど道理だな」


 民を救うなど考えたこともなかった。民も武士も、将軍には従って当然だと教えられてきたのだ。それがすべて間違っておったとは思わん。されど従えるにしてもやり方は他にもあるということか。


「誰?」


「塚原殿の弟子である菊丸殿と与一郎殿でございます。こちらはケティ様。薬師の方といえばお分かりか」


 しばし病に罹りし者らを見ておると、小柄の娘が姿を見せた。すぐに皆が頭を下げて、中には祈る者もおる様子に驚かされておると、娘は慶次に声を掛けた。


 この者があの薬師か? まだ小娘ではないか。


「父が世話になり申した」


 一馬の妻ならばオレの素性を知っていよう。周囲の目もあるので詳しくは言えぬが、一言礼を言わねばならん。名のある高僧や医師が診ても如何ともしようがなかった病床の父上も、薬師の寄越した薬だけは楽になると言うておったのだ。


「力になれずに申し訳ない」


「なんの。こちらこそ感謝致します」


 明と商いをする久遠家の薬は、都でもなかなか手に入らぬ上物だと言うていた。死病の父上を多少なりとも楽にしてやれたのは感謝しかない。


 もし、この者が近江まで参ってくれたらと思わなくもないが、如何ともしようがなかったのも事実。家臣の妻、しかも織田の者となれば武衛も出せまい。


 管領がよからぬことを企むは、考えるまでもないからな。


 本当に足利などおらぬほうが世は乱れぬのではないのか? 尾張を見ておるとそう思えてならん。




Side:久遠一馬


 朝倉との商いが結構な利益になっている。友好国でもないので結構吹っ掛けたんだけどね。紅茶や陶磁器に絹織物とかが特に欲しいらしい。


 それと浅井との戦の後始末で六角と交渉をまとめた、交易に関する優遇と商人の保護は順調なようだ。


「それにしても六角の動きが早いね。浅井の問題を片付けてこちらとの約束も果たした。この分だと三好との交渉も早々にまとめそうだね」


「やはり管領代殿の体調が思わしくないのでしょう」


 今日は牧場村に収穫の手伝いに行こうとエルと一緒に馬車で移動しているが、ふと六角定頼さんのことを思い出した。


 六角家は直接戦をすることなく北近江を制したことで更に強大となったが、そこで驕ることなく堅実に動いている。東の不安を解消した六角は、まだまだ畿内に敵の多い三好よりも安定しているだろう。


「今が一番いい時なのかもしれないね。六角は」


「はい。六角家の体制であの勢力圏を維持するのは大変ですよ。それに偉大な人の跡目は誰が継いでも苦しいものです。先代の影が判断ミスに繋がりかねません」


 世間では浅井の一件で六角が漁夫の利を得たようにみえるらしく、さすがの織田も六角には勝てなかったかという評価が、最近の近江や畿内であるらしい。


「北近江三郡はジョーカーだったのかもしれないね。使い方によっては強いカードになるけど……」


「確かにこの勝ちが、六角を苦しめるのかもしれません」


 定頼さんが北近江に織田を入れて、六角、朝倉、織田のバランスで地域を安定させようとしていたなんて、一部の六角の重臣しか知らないだろう。


 領地を得ると維持に苦労する。まして北近江には琵琶湖の湖賊や比叡山延暦寺がある。朝倉との関係だって史実は浅井という緩衝地帯があればこそだ。なにかがきっかけで悪化したっておかしくない。


 浅井の件と三好と義輝さんの和睦は定頼さんの名声を大いに高めた。史実より歴史的な評価は上がるだろう。


 それ故に北近江は手放せなくなったし、次の六角承禎が大変になるだろうね。今は表沙汰になっていないが、北近江は京極家の影響が大きく歴史的にも六角にそこまで好意的なわけではない。


 六角が揺らげば、あそこが足利のアキレス腱になりかねない。

 オレはふと史実の前田利家の晩年を思い出した。秀吉亡き後の豊臣家の最後の安定はあの人がいたからだ。足利家も同じように転げ落ちる可能性が高いだろう。


「難しいね。いろいろと」


「西と南美濃は早めに固めたほうがいいかもしれません」


「安藤殿か」


「はい。浅井の賊狩りも協力しなかったうえに、関ヶ原の観戦武官にも来ませんでした。斯波にも織田にも斎藤にも従わないと言っているのと同じです。あれを許せば他の国人も勝手をし始めますよ」


 六角バリアーは定頼さんが亡くなると揺らぐかもしれない。エルがそこで懸念を示したのは美濃だった。


 はっきり言えば臣従のタイミングを逃したんだと思う。西美濃のライバルとも言える氏家さんや稲葉さんや不破さんは織田家で居場所を見つけた。


 今更臣従しても彼らの後塵を拝することになる。それは嫌なんだろう。素直に息子にでも家督を譲って隠居したらいいんだけど。そんなタイプじゃないだろう。


 実は織田家中でも安藤と竹中のことは時々話題にあがる。あそこまで勝手を許していいのかと。


「殿とエル様だ!」


 悩んでいる間に牧場に到着すると、門の前を掃除していた子供たちに囲まれた。みんな頑張っているなぁ。


「みんな、元気にしてた?」


「はい! しっかり働いています!」


「うふふ、それじゃあ、あとで旅のお話をしてあげるわね」


「ありがとうございます!!」


 エルは子供たちの元気そうな笑顔に嬉しそうだ。ひとりひとりに声を掛けてあげている。


 子供たちはオレたちの旅の話が好きなんだ。畑仕事が終わったらおやつの時にでもお話をしてあげようか。



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