第729話・評定

Side:久遠一馬


 都に戻った近衛稙家さんから義統さんに手紙がきた。あっちも無事に戻れたとみんなで喜んでいたが、大内義隆さんと二条尹房さんが亡くなったとあり清洲城は少し騒がしくなった。


 織田家の皆さんも、こんなに早く義隆さんが亡くなるとは思っていなかっただろう。もっと言えば大内家が危ういという情報すら半信半疑な部分があったはずだ。


「西国は荒れるか」


 急遽評定が開かれた。義統さんを上座に信秀さん、信長さんと以下続く。ああ、少し前から評定に顔を出すようになった土田御前を筆頭にした女衆の姿もある。ウチからもエル、ジュリア、セレス、ケティが参加している。ただし帰蝶さんだけは妊娠中なのでいないが。


 信秀さんは開口一番、これが始まりなのだと理解しているようだ。


「大内家が行なっていた明との正規の交易はしばらく無理でしょう。もしかすると再開も難しいかもしれません」


 重臣の皆さんもいまいち事態の深刻さは理解していない。ここはオレが説明する必要があるだろう。大内家が行っていた勘合貿易。あれが日ノ本にとっていかに重要な貨幣の入手ルートだったかを説明していく。


 そして日ノ本では良銭を持ち使える少数の人たちと、悪銭鐚銭しか使えない大多数の人たちに分かれていることも話す。


 良銭を持ち使える側からすると、貨幣が不足するとデフレが加速する。質の良い銭が足りなくなると、選り銭、つまり悪質な銭を拒否する人が増えて世の中にお金が足りなくなる。


 この時代の場合は一部の粗悪な悪銭や鐚銭は選り銭によって価値を今まで以上に失い、それ以外の良銭が更に足りなくなるので、良銭の価値が上がる。すると物の値段が良銭と比較して低くなり下がってしまう。よって良銭側から見るとデフレになる。それじゃあ、悪銭鐚銭しか使えない側から見たらどうなるか、物の値段がどんどん上がるから、当然インフレだよね。


 史実では織田信長の経済政策の失敗もあり、貫高制から石高制にまで最終的にはなってしまう原因がこの件にもある。


 貫高制とはお金を基軸とした経済で、石高制とは米を基軸とした経済。天候次第で収量が左右される米が基軸の経済なんて冗談じゃない。


「つまり久遠殿の力が……ひいては織田と斯波家の力が強まるのでは? ならばよいこととも……」


 半数以上の人の頭から煙りが上がっているように見える中、いち早く大筋で事態を理解したのは信康さんだった。さすがだね。


「一時で見るとそうです。ただ現状の当家と織田には負担でしかありません。それに今まで以上に注目を集めて狙われることも考えられます」


 評定衆には何度か、かみ砕いて説明しているんだが、言われたことを理解はしてもそれがどうなるかわからない人が多い。


 オレが言うならそうなんだろうと思う人がいるくらいだ。


「厄介なのはそれを理解しておる者が都にほとんどおらぬことであろう。命じれば如何様にでもなると考える者が多かろう」


 必要以上の力を持つと狙われかねない。無理難題が幕府から命じられる恐れもある。無論、すぐにではないし、五年とか十年とかそんなレベルで先の話であるが。


 信秀さんは中央の人たちがほとんど経済を理解していないことに上洛して気付いたらしい。まあ中には理解している人もいるだろう。ただし細川晴元のような人たちが経済よりも己の都合を優先させるので、混乱に拍車をかける。


 というか日ノ本全体の安定とか利益って考えないんだよね。自分や自家の利益優先で。


 刈田狼藉と同じ。他国の不幸は自分の幸せ。まるで世紀末の世界だね。


「エル、いかがすればいいのだ?」


「もともとこの件の対策はしています。今までと変わりません。私たちは私たちで生きていけるようにするしかありません」


 どうなるんだろうとみんなが不安そうだが、信長さんは単刀直入にエルに対策を問うてきた。でもそんなに一発解決する策なんてないんだよね。言い換えれば今までの改革もこれを見越してやっているしさ。


 今は重臣や織田一族の皆さんに危機感を理解してもらうだけで十分だ。


「管領殿は若狭か。畿内も荒れそうじゃの」


 ああ、もうひとつの懸念を口にしたのは義統さんだった。史実を見るとこの先そこまで脅威とは思えないが、史実並みには畿内が荒れるだろう。


「美濃も少し動くかもしれませぬ。臣従しておらぬ者の民が不満を抱えて少し騒ぎを起こしておるところがございます」


 そして足元の問題を報告したのは義龍さんだ。信秀さんとウチは把握しているが美濃の独立領が少し騒がしい。


 西美濃と南美濃などでは賦役の効果が確実に出始めたことが原因だ。西は大垣と関ヶ原で賦役が続いている。南は稲葉山城と井ノ口を中心に大垣や関ヶ原に通じる街道整備が始まっているんだ。


 この時代だと村単位で暮らしているので、賦役も村をあげてやってくる。ところが近隣でも賦役に参加出来ないところは確実に暮らしのレベルが変わる。


 大垣や関ヶ原では定期的に医者の診察が行われているが、それにも当然参加出来ない。また商人が売る品物も独立領には安くはない。


 現在、織田領では全域での関所撤廃の交渉をしていて交渉が済み次第、順次関所は撤廃されている。ただし関所撤廃に従わない場所や織田領以外に通じるところには関所を新設しているところもある。


 関所の管理はすべて織田家がしていて、人員は今のところ人手不足なので管理する人以外は地元の人を雇う形になっている。独立領や従わない人が関所を設ける手前で、こちらも関所を設けるんだ。


 関税を取るし怪しげな人を通さないという本来の関所の役割も担っている。


 おかげで隣村と物価がまったく違うなんて事態も発生していた。なんか勘違いしている人も多いが、ウチの商品も領外には普通に領外の市場価格で売る。水飴、麦酒、ふりかけなどの庶民向けの商品なんか典型で、領外だと結構高い。公営市場の価格はあくまで領内の価格だ。


 中には周りを独立領に囲まれた織田領なんかもあるが、そこは高くならないように織田家で関税の免除をしたり、時には補助金までして価格を調整しているくらいだ。


 賦役に参加出来ない。ものの値段がまったく違う。織田領に行くだけで銭が取られるという現状に当然独立領の領民は不満を持つ。


 一部では村が独自に織田に従うと決めたところがあって、元の国人領主なんかと対立しているところもあるらしい。


「放っておけ。ただしこちらの領内や領民に被害が出れば許さぬ」


 今度は美濃かとため息がどこからか聞こえるが、信秀さんは考える間もなく関与しないと決めた。


「今後臣従する者には領地を整理することも加える。文句があるなら従わなくて構わん。斎藤家より良い条件での臣従などありえんと伝えておけ」


 駄目なら臣従すればいいんだと安易に考える人、多いんだよね。ただあとから臣従した人が斎藤家より良い条件でなんて美濃ではありえないのに。


 氏家さん、稲葉さん、不破さんはなんとも言えない顔をした。彼らは早くに臣従したので領地を削られていない。ただこれから臣従する人たちの心情も多少は理解するのだろう。


 美濃で一揆でも起きそうだなぁ。さすがにこっちに矛先が向くことはないと思うが、念のため準備しておく必要があるかな。安藤さんとか竹中さんはどう出るかわからない部分がある。


 さすがにこっちを攻めてくることはないだろうが、近隣の独立領主を相手に戦を始めたり一揆が起きて鎮圧くらいはしそうなんだよね。


 西三河も微妙だしなぁ。岡崎の松平宗家は未だに臣従と独立で揺れている。織田が独立でいいというなら独立でいいだろうという人がそれなりにいる。戦なんかで協力すればいいのだとしか考えていないらしい。


 まあ、松平宗家は今川に捨てられたこともあるしね。他所なんか信じるかという人がそれなりにいる。西三河はあんまり不安定化すると面倒だから、独立でも飢えない程度の食糧を流しているから危機感もないんだろうが。


 ああ、吉良家は文句を付けていたが、検地と人口調査を受け入れた。どうやら本当に臣従する気があるらしい。ただあそこの家臣には反発している人もいる。もっともたいした力がないので構わないが。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る