第726話・菊丸、お市ちゃんにも感づかれる
Side:久遠一馬
季節は秋になっていた。
武芸大会の支度が進んでいて、野分、台風の季節にもなっている。卜伝さんと義輝さんはしばらく尾張に滞在するそうだ。野分があるので関東行きをしばらく見合わせて、尾張、美濃、三河など織田領内を旅することにしたそうだ。
オレたちと離れての旅の経験がない義輝さんだけに、比較的安全な織田領内で少し旅に慣れる必要はあるだろう。
留守中に信光さんの守山での酒造りと瀬戸の焼き物村が始まっていた。酒造りはこの時代では寒仕込みが一番いい。清酒は相変わらず市販するほどの量がなく、織田家を通しての贈答や褒美に使われているのでこれで一息つくだろう。
焼き物村はメルティ監修で焼き窯を造っていて、知多半島と瀬戸の焼き物職人でとりあえず陶器から焼いてみるそうだ。
そうそう蟹江の公設市場はいろいろと問題が出ているらしい。米や雑穀に大豆などの戦略物資をあそこで大口の取り引きをしているのだが、明らかに故意に混ぜ物をした品や粗悪な品を持ち込む商人があとを絶たないようだ。
そもそもこの時代では品質管理という概念があまり重要視されていない。言葉は悪いが、いかに相手を騙して利を得るかということ考えている人が多い。それに根本的な価値観として平等で対等な商いをするという価値観はほぼない。
無論、買い手も決していいわけではない。武力や権威で威圧するなんて可愛いもので、困ったら徳政令を出せばいいと思っている人すらいる。
まあ尾張はまだマシだろう。悪質商人はウチとの取り引き禁止にしたことで、自然に淘汰されてだいぶ減った。買い手も威圧などすればウチの耳に入るし、徳政令は織田家の許可がないと出せない仕組みにしている。
少し話がそれたが、湊屋さんは公設市場にて商品の品質検査をすることを提言して留守中に試験的に実施している。
大湊からスカウトしてきた丸屋さんにも手伝ってもらいつつ、織田家の文官とウチの家臣と蟹江の商人たちが検査をしているらしい。
尾張に戻って数日は屋敷に缶詰め状態で書類の決裁をしていたが、落ち着いた頃になると慶次が義輝さんと藤孝さんを連れてウチに来た。
ふたりは卜伝さんの弟子として清洲城に滞在しているのだが、明らかに目立っていて何者だと噂になっているらしい。
鍛錬の合間に清洲の町に行ってあちこちと見物しているようで、危なっかしいので慶次を表向きは遊び仲間として付けているんだけど、資清さんは身分を考えると不安なようで渋い表情をしている。
無論、忍び衆の護衛は付かず離れずで付いている。あまり過保護にしても意味がなくなるしね。信秀さんや義統さんと相談して、慶次には危険がない範囲で好きにしていいと言っている。
「尾張は面白いな!!」
屋敷にやってきて開口一番でなにを言うかと思えば、面白いとは。籠の中の鳥が大空を知ったようなものか? 籠の中の猛獣かもしれないが。
「そうですか?」
瞳を輝かせて興奮する様子は、ド田舎の子供が都会に遊びに行ったようにも見える。戦乱の時代だけど清洲はすっかり平和だからね。
ひとつのきっかけを与えると、波紋が広がるように変化が現れる。食べ物の屋台なんてその典型だ。小麦や蕎麦の粉を扱う商人が増えて、手軽に食べられる屋台が各地に増えた。
最近だとウチが関与しない紙芝居もあるそうだ。寺社の中には自分のところの教えを、ウチの紙芝居を真似てわかりやすくして読み聞かせしているところもある。
絵解きといって、もともと仏教画を見せて説法するのはあったんだけどね。それよりは娯楽寄りでマイルドなものが最近の主流になるようだ。
運動公園とか公民館とか、寺社に集まらなくてもいいのも増やしているしね。寺社の側も流行に合わせて動いている。知識層なだけに世の中の流れに機敏なんだろう。
「ああ、凄いぞ!! 昨日は土岐家の人形劇を見た! あのような愚か者がおったとはな!」
あの、それ土岐家の人形劇じゃないですよ? ちゃんと名前を変えてフィクションにしてあるのに。
まあ尾張だと子供でも知っていることなんだけど。見ている子供たちが悪い殿様を『土岐頼芸だ!』と叫ぶからさ。
「それは他所では言わないでくださいよ。仮にも美濃の元守護家なんですから」
「わかっておる。されど、ああして愚かなことをすると世に知れ渡るとなると、迂闊なことが出来なくなる。どこぞの小物のこともやればどうだ?」
美濃には今も土岐家の血縁の武士がいる。彼らへの配慮は必要だ。人形劇は河原者というか、流れの人たちがやっているんだよね。尾張は食えるからすっかり居ついちゃったけど。
尾張の武士なんかは祝いの席の余興にと呼ぶこともあるようで結構忙しいと聞いたな。
「駄目ですよ。どう考えても悪手です。嫌いな相手でも笑顔で付き合うくらい必要なのが世の中ですよ」
なんてこと言い出すんだ。いくら落ち目とはいえ細川晴元のことをこの時点で敵に回すなんて冗談じゃない。
「久遠殿の……、妻……、いや、妹君か?」
「殿の息女であられる市姫様ですよ」
とりあえずお茶でもと奉公人に頼む。義輝さんは部屋を見渡していて、ちょうどロボとブランカと遊んでいるお市ちゃんのことを妹かと勘違いしてしまった。
それはいいが妻とはどういうことだ、年端もいかない子供相手に。
「姫様、こちら塚原殿のお弟子さんの菊丸殿と与一郎殿です」
「いちでございます」
おおっ、お市ちゃんったらしばらく会わない間に挨拶を覚えたのか!? きちんと畏まって義輝さんに挨拶をした。
うん。待てよ? もしかしてお市ちゃん、この人どっかの偉い人だと勘づいた? ただの弟子にしては畏まり過ぎだ。
お市ちゃんはこれでいいのと乳母さんを見ている。乳母さんもにっこりと笑った。乳母さんはただの弟子じゃないと気付いているからなぁ。清洲城の中ではどこのお偉いさんの関係者かと噂になっていたんだと教えてくれたし。
「これは失礼致しました。某は菊丸でございます。良しなにお願い致します」
お市ちゃんがあれ? って顔で乳母さんとオレを見た。やはりお市ちゃんもただの弟子だとは思わなかったんだろう。オレとの話し方から判断したんだろうが。信長さんとか信光さんはフランクに話し掛けてくれるが、あとはそんな話し方する人いないしなぁ。
畏まる義輝さんに気付かれないように、お市ちゃんには秘密にするようにと口元に人差し指を立てて『しぃ!』と合図をする。ウチと付き合いが多いから、この手の仕草の意味理解しているんだよね。お市ちゃん。
「ほう? 犬か?」
一方、義輝さんのところにはロボとブランカが近寄っていた。知らない人が来たので誰だと少し警戒している感じか。
「ロボとブランカですよ。ウチの家族です」
「家族か。羨ましい限りだ。オレには弟がふたりいるが、数えるほどしか会ったことがない。ろくに話もしたことがないのだ。与一郎よりもオレにとっては遠い者たちだな」
警戒する二匹だが、お市ちゃんが呼ぶとお市ちゃんのもとに戻った。そんなお市ちゃんと二匹を義輝さんは少し羨ましげに見ていた。
この時代って親兄弟でも敵になるし、それを想定して引き離してしまうからなぁ。信秀さんのところでさえ嫡男とそれ以外、正室と側室の子には差がある。
もっとも信秀さんは子煩悩なところもあるので、身分に問わず我が子は大切にしているけど。
「そういうのが嫌なんで、オレは縁談とか断っていますよ。ウチは昔から家族も家臣もみんな同じ船に乗る大切な者たちですから」
縁談を断るという言葉が信じられないんだろう。義輝さんと藤孝さんは目を見開いている。
別に庶民がいいわけでもないけどね。庶民も上から下がるに従って扱いが悪くなる。下手すると一生タダ同然で働く存在として扱われるからね。
ウチはそんなことはなくす。それはオレのこだわりだ。家族や家臣のみんなが仲良く暮らせる世の中にするんだ。
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