第720話・再会と伊勢神宮

Side:久遠一馬


 一日の休みを経て伊勢神宮に行く。


 奉納物や供物は別途尾張から運ぶ予定で、後日になる。大湊との関係など以前に来た時とは違う。今では毎日のように蟹江と大湊の間で船が出ていて、佐治水軍の改造船が人を運ぶ定期船を出しているくらいだ。和洋折衷船であるあの船ならあっという間に着く。


 同一の経済圏であり、伊勢神宮や南伊勢を領有する北畠家との関係は良好だ。油断は出来ないが、畿内よりはよっぽど安心出来る環境になる。


 あれから三年になる。大湊は変わった。元々伊勢神宮の湊として栄えていたが、今では東日本の物流の拠点のひとつになる。


「その方は確か……」


 大湊が用意してくれた馬に乗ってのんびりと伊勢神宮に向けて移動していると、沿道に控えている人たちが見えた。懐かしい顔ぶれに見入っていると、信長さんが行列を止めて声を掛けていた。


「はい。三年前、お助けいただいた者です。ほら、ご挨拶しなさい」


「きちじともうします!」


 オレたちが初めて伊勢神宮に参拝した時に助けた妊婦さんだ。隣でよくわかっていない様子で控えていた子供が、母親に促されて元気よく挨拶をした。


「おおっ、あの赤子か! 大きゅうなったな!!」


 オレたちがまた来ると噂で聞いて、一目会ってお礼を言いたいと待っていたらしい。確かに大きくなったなぁ。数えで四歳か。生まれた頃から考えると実年齢でも三歳だ。やんちゃな盛りなんだろうな。


 信長さんは馬を降りて嬉しそうに歩み寄った。


 吉二君はこの人、誰? と言いたげな顔で興味津々な様子で見上げている。


「本当に大きくなったなぁ」


「そうですね。つい先日のように思えます」


 オレとエルも馬を降りて歩み寄るが、エルは感慨深げに見ていた。


 あの後で聞いたことだが、エルが出産の場に立ち会い子供を取り上げたのはあの時が初めてだったんだそうだ。ケティは助産師の代わりに何度か子供を取り上げたことがあったらしいが。


 子供が生まれるという奇跡に自分が立ち会えたと喜んでいたのが懐かしい。


「父や母の手伝いをようしておるか?」


「はい!」


 優しく語りかける信長さんを信秀さんは少し嬉しそうに見守っていた。こんな時代だけど、領民に愛される殿様だっている。嫌われるよりはそんな殿様になってほしいのが親心なんだろう。


「そろそろ武芸や学問をやらせても面白いかもしれんな。これからは民も武芸や学問を学ぶ世になるぞ。いかがだ? 尾張に来ぬか? 尾張では望む者には武芸や学問を教えておる。働き口はいくらでもあるぞ」


 景色はすっかり秋になりつつある。懐かしそうに話していた信長さんは、唐突に吉二君と両親を尾張に来ないかと誘い出しちゃった。


 確かにこれからの時代は読み書き出来る人が有利になるだろう。とはいえ彼らにも生活があると思うんだが。


「はい。いずれ参りたいと思います」


 もっと戸惑うかと思ったんだが、吉二君の両親は意外に喜んでいるように見える。来るなら仕事とか世話してやらないとな。大湊の会合衆にでも様子を見てくれるように頼んでおくか。


 今回は特にトラブルらしいトラブルもなく、そのまま伊勢神宮に到着した。


「ようこそおいでくださりました」


 前回は禰宜さんのお出迎えだったが、今回は宮司さんらしい。義統さんがいるせいかお出迎えがランクアップしている。


 伊勢神宮自体はあまり変わりない。荒れていると見えるところもある。とはいえ参拝者は増えているようだ。道中でもぽつぽつといたが、伊勢神宮の中にも旅の参拝者がいる。多いのは大湊に立ち寄った商人だろう。


「以前に参った時よりも賑やかではないか」


「皆様のおかげでございます。近頃では諸国を旅する者も尾張から船で参ります」


 信長さんも以前より活気がある様子に気付いたようだが、宮司さんいわく商人の参拝者以外も多いらしい。


 先ほども言ったが、最近だと蟹江から佐治水軍の定期船が出ている。海が荒れないと毎日一便は出ているはず。蟹江から大湊に行き、大湊から桑名へと運んで、桑名から蟹江に戻る。そんなルートが一本ある。


 佐治水軍大忙しだからなぁ。単純な道案内で通行税を取るよりは、漁業と養殖に食品加工と輸送業で儲けている。本拠地も事実上蟹江に移りつつあるくらいに。


 品物を中抜きしないとか荷物を乱暴に扱わないとか、最低限のモラルを守らせているので評判がいい。人の運搬も蟹江から大湊までなら、風次第ではあるが一日掛からず着く。早いことを売りに運んでいると人気らしい。


 佐治水軍の皆さんが一番ウチのアドバイスを真剣に聞いてくれるんだよね。おかげで改革が一番早い。


 もっともその分だけ危機感があるのが、伊勢と志摩の水軍衆だ。佐治水軍は沿岸水軍から脱却したんだという誇りがあり、モラルもこの時代としては驚くほど高まっている。ただ周囲の水軍は変わらないんだよねぇ。


 織田領内で言えば、同じ知多半島の水野家にも規模は小さいが水軍はある。そちらは知多半島から三河湾の西側の一部がテリトリーになる。三河湾には渥美半島もあるし、三河系の水軍もいるらしいが。


 彼らも少し前から佐治水軍を見習いつつある。信秀さんや佐治さんと話し合い、改造船を融通することになっている。佐治水軍を正式に織田水軍とする際に、そのほかで一番勢力が大きいのは水野家の水軍だからね。


「とはいえ、少しばかり荒れておるな」


 さて伊勢神宮の境内を歩くオレたちだが、信秀さんはまだ荒れているのかと少しため息交じりに周囲を見ていた。


 オレたちも報告したし、信秀さん自身も頼まれて献金したので知ってはいたが、見るとまだまだ足りてなかったんだと思うらしい。


 旅をしていて思ったが、やはり寺社の整備はその土地を治める者の力のバロメーターでもある。石山本願寺のように寺社も町も立派なのは少数派で、他はそこまでの余力がない。


 伊勢神宮も大湊や南伊勢で支えられるレベルの場所じゃないしね。大湊や宇治・山田が商業は盛んだとはいえ、東海道が南伊勢を通るわけではないからね。人の流れも限定的だったし経済の規模も知れていた。


 海路で人が来るので最近は変わりつつあるようだが、見る限り伊勢神宮ではそこまで現状を活用出来ていないらしいね。


 放っておくと大湊から参拝に来てもすぐに帰ってしまい、大湊以外にお金が落ちないんだろう。ここらは織田領ならもっと出来ることはあるんだけど。なんかやるなら北畠家にも話を通す必要がある。


 北畠家も友好的ではあるが、具教さんの親父さんである北畠晴具さんはまあ様子見というところか。特に北畠家に損もないが、近隣で急激に大きくなっているからね。北畠家には警戒する声もあるんだ。


「ここが伊勢の神宮か。朝廷の始祖である天照大御神を祀るという……」


 ああ、楽しげな人もいる。義輝さんだ。昨日は外の散歩に行っていろいろあったらしいけど。


 もう少しなんとかしないと貴人であることがバレるよな。まあ時が解決するとオレは思っているが。


 卜伝さんはそれもまた経験だと考えているようで、細かく言っていないらしい。どこかの貴人だとバレるのは仕方ない。将軍様だとバレないならいいという感じだ。


 確かに義輝さんに必要なのは自ら学び経験して生かすこと。言われたままに動くなら朽木にいるのと変わらないし。


 とはいえ見抜いたのが銀次でよかったよ。大湊には他国の間者もいる。余計なことは極力知られないに限る。


 それにしても銀次さん、オレ会ったことないんだよね。一度会ってみたいんだが、タイミングが合わない。


 真面目な人は『あの男は大丈夫か?』と心配する人もいるが、オレはあまり心配していないんだよね。ああいう世の中を知っている人って、下手な武士よりも経験豊富で思慮深いから。ウチの家臣に欲しいくらいだ。


 どうも本人がそんなタイプじゃないらしいが。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る