第719話・義輝さん、駄目出しをされる

Side:柳生宗厳


 まるで童のようだ。酒が薄められることすら知らぬ身で、世を見聞するなど無謀というもの。近衛殿下もよくお認めになったものだ。


 細川殿はまだ理解しておるように見えるが甘いな。この御仁も世の厳しさを知らぬと見える。


「慶次、次はいずこにゆくのだ?」


「さて、どこに行こうかね」


 慶次殿は上様をお連れすることをあまり乗り気ではなかったようだが、なにも知らぬ上様に世を見せることを楽しんでおるようにも思える。ふらふらとあてもなく裏通りを歩いておる。


 対する上様は見るものすべてが珍しく楽しげだ。だがこれでは世慣れぬ高貴な者だと教えておるようなもの。良からぬ輩が寄ってこなければいいのだが。


「あれ、慶次郎様じゃないですか!? そちらは柳生様。そうか、湊の船はそういうことでございましたか!」


 しばらく歩いておると見知らぬ男が寄ってきた。着流しを着て長めの刀をぶら下げておる男だ。わしは顔も知らぬ者だが慶次殿は承知の者らしい。


「おお、いいところで会った。なにか面白いことはないか?」


 何者だ? ただの男ではない。身のこなしが素破、忍び衆のような男だ。当家の者ならばわしもほぼ知るはずだが、見覚えがないということは一時雇いの者か?


 まともな男ではあるまい。しかし慶次殿は、この男に会うと面白いものを見つけたと言わんばかりに顔が綻んだ。


 ああ、慶次殿はこういう男であったな。危うい博打のようなことを時々する。


「えっと……、そちら様は?」


「ああ、塚原殿の弟子だ。船の中で博打をしたら負けてな。酒を飲ませる約束をしたので果たしに来たのだ」


「なるほど。道理で腕の立つ御方をお連れになって。まるで殴り込みにでも行くのかと思いましたよ」


 あまり良い予感はせぬな。この男の視線に嫌なものを感じる。まさか……。


「柳生様もそう睨まないでくだせえ。あっしは真っ当に生きておるだけですぜ」


 下賤な笑みを浮かべてこちらの考えを読んだ男は、わしの刀が間合まあいの際となる場所にて、まるで敵対する意思などないと言いたげな態度を示した。


「慶次殿、何者だ?」


「ああ、素破ですよ。名を銀次。甲賀出身のひねくれ者だ」


 あまり関わり合いになりたくない男だが、上様は興味を持たれたようだ。このような男は会ったことがないのだろう。


 銀次。名は聞いたことがあるな。津島や蟹江にて余所者を探っては報告書を出しておる者か。召し抱えておるわけではないが、敵でもないと思ったが……。


「ほう、中々の腕前だと思うが?」


「へへへ。ひとりで生きておればね? お武家様、どこかの庶子か、もしかすると世子ですかい? 隠したいならもう少し言葉とか振る舞いに気を付けねえと駄目ですぜ」


 その時、慶次殿が噴き出すように笑った。上様は固まり、与一郎殿に至っては刀に手を掛けたのだから、慶次が笑ったのもわからなくもない。


 半分は勘だろう。カマをかけただけであろうが、見事に引っかかったな。


「慶次殿!」


「やめておけ。良からぬことを企むのなら、ここで言わぬさ。なあ?」


「そうですぜ。あっしは思いやりから教えただけで」


 与一郎殿は銀次に悟られたことで斬り捨てるつもりのようだが、慶次殿が止めた。わしも斬ったほうがいいかと少し思うところがあるが、ここは大湊。織田の領地ではない。いきなり斬り捨てるのはちとまずい。


「与一郎。やめよ。銀次とやら、なにゆえわかった?」


「人というのは面白いものなんですよ。旅をしておれば手足から着物に顔までもが汚れて臭いがする。田畑を耕しておれば足の爪には取れぬほど泥が染みつく。牢人は少なからず傷のひとつやふたつがある。それがどれも当てはまらない。そしてあっしを見て毛嫌いせずに面白そうに見ておられたのは、よほどの物好きか世間知らずだ。まして立ち居振る舞いが堂々として武芸に励んでおられるとなると……ね」


 よくしゃべる男だが、言っておることは間違いない。上様は塚原殿のただの弟子には見えんだろう。少なくともそれなりに人を見る目がある者にはな。


 上様はご自身の手足を見て、銀次の言に感心されておる。


「まあ、久遠様のお家の方なら違ったんですがね。あそこのお人はみんな綺麗なんで。ただ塚原様の弟子だと少しおかしいなと」


 如何するべきかと悩み慶次殿を見るが、面白そうに見ておるのみで動く気がないらしい。


「なるほど。参考になった。……口止め料が欲しいのか?」


 人は予期せぬ騒動が起きた時に器が知れるものだ。上様はその点、否定も肯定もせずに堂々とされておる。中々というところ。


 だがここで口止め料が欲しいと手を差し出した銀次に、しばし考えてそのまま問うたのは、やはり世間を知らぬからか。


「いけませんぜ。こういう時は少し間を置いて、渋々といったお気持ちの顔を作って黙って出すもんですぜ。銭の出し方ひとつで人は相手を見る。痛い痛くないを別にしても、腹を探られたくないなら、あまり早く出しても出し渋ってもいけねえ。ああ、口止め料もあまり多く払ってはいけませんぜ。せいぜい酒の一杯くらいでいい。多く貰うと要らぬ欲を出す。少ないと不満になる。何事もほどほどが一番とお心に留めておけばいいってことで」


「面白い男だ。慶次殿が声を掛けた理由がわかる。だがあえて問おう。なにゆえそのようなことを言う。銭が欲しければ他にやり方もあろう?」


 上様は与一郎殿が差し出した銭袋を受け取り、そこから先ほど料理屋で慶次殿が払った額から推測した酒が一本分の銭を銀次に払うと、単刀直入に銀次の真意を問うた。


 真っ直ぐな御方だ。それが仇とならねば良いが。


「ちょっとした暇つぶしですよ。慶次郎様が面白いことはないかと問われたのでね。後ろの御方も誤解しないでほしい。あっしはご素性をこれ以上探る気も聞く気もねえんで。過ぎたるものは毒にしかならねえでしょ。もっと言えば甲賀者にとって久遠様は仏のような御方だ。あっしらのような者が、日々飯を食えるのはあの御方のおかげ。久遠様がお困りになるようなことはしませんぜ」


 そう、久遠家と甲賀者は主従以外でも強い繋がりがある。甲賀者にとって久遠家と滝川家は光であり希望なのだ。


 上様はそんな銀次をじっとみつめておられた。ご自身は信の置ける者が少ない故に複雑であろう。


「さて、戻りますかね」


 そのまま銀次は去っていき、しばらく町をぶらぶらと歩いた慶次殿はこれ以上面白いことが起きぬと思うたのか帰路に就く。


「なんだ、賭場か遊女屋にでも行くのではないのか?」


「どっちも駄目ですな。あとで怒られます」


 上様はあまり応えてはないようだな。強いというべきかなんというべきか。帰ると言う慶次殿に少しがっかりされておる。


 駄目だな、遊女は。あとで病でも移されたと発覚したら大事になる。病院のケティ様や他のお方様がたに総出で説教されるに決まっておる。そもそも尾張と他国の遊女屋の違いは、慶次殿が尾張いち、知っておろう。博打もこのふたりを連れていけば騒動にしかならん。


 慶次殿もそこは分かっておるとみえる。久遠家で一番遊んでおる男だ。並みの家ならばこのような男は疎まれるのだが、いかなるわけか織田家では評判がいい男だ。


 殿は要領がよいと褒めておられたな。此度の旅でも絵を描いて絵師のようなことをしておったほどだ。戦えば強く、薬師の真似事も出来る。


 もう少し真面目に働けばさぞや立身出世するであろうに。


 いや、これでよいということか。先ほどの銀次が申しておったな。ほどほどが一番だと。そういうことか。


 上様たちにはよい経験となったであろう。




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