第709話・諌める者

Side:陶隆房


「大内家を食いつぶさんとした穀潰し共ごくつぶしどもめ」


 面白うない。面白うないな。


 さんざん好き勝手して、大内家を食いつぶさんとしておる穀潰し共め。都が落ち着けばさっさと戻るだと。周防に残るは奴らの食い散らかした残飯か?


「殿、なりませぬぞ! 相手は五摂家。そのようなことを口にすればたちまち朝敵とされてしまいまする!」


 わしの怒りに意見したのは宮川房勝だ。忠義に厚い男だが、いささか融通が利かぬ。今時朝敵などいかになるというのだ。むしろ一向宗のほうが厄介ではないのか?


「貴様らがいつまでもそのような甘いことを考える故に、あの穀潰し共が勝手をするのだ」


 公家も朝廷もすべては過去の遺物。わしは連中を見てわかったのだ。世が荒れるはあの者らが勝手するからだ。一度叩き潰して、己の立場を教えてやればいいのだ。


「殿!!」


「露見せねばよいのだ。そうは思わぬか?」


「殿! そのようなことが露見せぬはずがありませぬ!!」


「ここのところよい秋風が吹いておる。火事にでもならねばよいがな」


 懸念は一向宗と三好と黒い南蛮船だ。連中も己の命を懸けてまで公家など守るまい。とはいえわざわざ兵を上げてしまえば確かに面倒なことになろう。


 だが、周防は今、わしの謀叛の噂で持ち切りなのだ。商人は逃げ出し、民は戦々恐々としておる。賊のひとりやふたり出てもおかしくはあるまい?


 まあ近衛は使いとして参っただけだ。奴くらいは生かして戻してもよい。だが残りは許さぬ。穀潰し共が食らった飯の代金、己が命で払ってもらう。


「御使者殿には帰っていただかねばならぬが、大内家を堕落させた穀潰し共は焼けてしまえばよいのだ」


 独り言のように呟いたわしの言葉に、近習はそっとわしの前から下がった。宮川は慌てて追いかけていく。


 あれはあれでよき家臣だが、あちらこちらと気にしておって駄目だ。


「尼子を滅ぼし、大内家が再び京を制する日も遠くあるまい」


 大内家は天下を制するべきなのだ。三好如き御せぬ細川も落ち目。尼子を一気に攻め滅ぼして都を制した暁には、あの穀潰し共を根絶やしにしてくれるわ。




Side:宮川房勝


「止めよと言うておるのがわからぬのか!!」


 殿はご理解されておらぬ。公家という者がいかに厄介かをな。それに大内家が行う明との取り引きは、元は公方様がされておられたもの。近衛太閤殿下を怒らせてしまえば、それを召し上げるという話にもなりかねん。


 三好や堺の商人とて明との取り引きは喉から手が出るほど欲しておるのだぞ。


 大内家が他家より優位に立つにはあれが必要なのだ。さもなくば博多の商人はそっぽを向き、たちまち田舎の貧しい国になってしまう。


 明とて謀叛を起こすような者を足利家の代理として認めるのか? そう甘くないはずじゃ。なんとしても謀叛と公家への手出しはやめさせねば!


「宮川殿、そなたのお心は某もようわかる。されどこれは主命も同じ。某はこの身を殿に捧げたのでございまする。なにかあれば、某が一命を懸けて償いましょうぞ」


 くっ、戦だけで世が治まらぬから乱世が続くのだ。それが何故わからぬ!


 止められん。ならば公家衆にこれを知らせて逃がすしかあるまい。幸い、秋穂にはまだ南蛮船がおる。川を下ればすぐだ。近衛太閤殿下に知らせを出してお逃げいただくしかあるまい。


「宮川殿……」


 わしは近衛太閤殿下に使いを走らせると、屋敷に戻った。そこで待っておったのは同じく陶家の行く末を憂いておる深野房隆殿だった。


「深野殿、わしは腹を切る。あとを頼む」


 どういう理由があれ、殿を裏切ったのは変わらぬ。わしは責めを負って腹を切る。願わくは、これで殿が目を覚ましていただければよいのだが……。


「わしも供をいたそう」


「深野殿、されど……」


「同じなのじゃ。わしも散々大殿に気付いていただきたく殿を裏切っておった」


 そうか。深野殿も……。共に先代様の下に参って謝らねばならん。先代様は殿の御気性を最後まで案じておったからな。


 願わくば陶家によき明日が訪れんことを。




Side:影の衆


 陶隆房の居城である若山城の様子がおかしい。城下の屋敷から数名の者が人目を忍んで山口方面に走ったのを追い掛ける者がおる。


 困るな。ここ周防には人が多くないというのに。


 先日なんの前触れもなく御家の船が秋穂にやってきた。真っ先に気付いた忍び衆の報告により周防の影の衆であるわしにも知らせが届いた。


 まさか近衛太閤殿下を乗せてお越しになったとは事前に知らせが欲しいところだが、間に合わないほど急な話だったという。


 影の衆。そう名付けたのは今川方の者だったという。もとはウルザ様が忍び衆を密かに支援して万が一の際には助けるために、腕利きを集めて自ら差配しておられた者たちだ。


 ただ久遠家の忍び衆は、今や南は九州から北は奥州まで潜んでおる。我らは各地の忍び衆と繋ぎを取って助ける役目も担っておる。


「仕方ない。ここは任せた。わしは少しあちらを追う」


「ああ、気を付けてゆけ」


 同じ陶家の者が人目を忍んで山口の方角に走り、追っ手を出した。何事か気になりわしは単身で連中の後を追う。


 街道ではなく獣道を行くところを見ると知られたくない密使か?


「死ね!!」


 先に走っておった者が追い付かれてしまった。ひとりの者が追っ手を食い止めるべく止まり仲間を逃がしておるが、多勢に無勢。あっという間に囲まれて斬られてしまった。


 追手は斬り捨てた者など無用だとばかりに残りの者を追う。わしはそれを更に追いかけようとするが、先に斬られた者もまだ微かに息があることに気付く。


「くっ……」


「介錯は必要か?」


 自らの命を懸けて仲間を逃がして、なにかしらの役目を担うこの者をわしは見捨てていけなんだ。せめて苦しまぬように介錯をと申し出ると、男は血まみれになりながらも隠しておった紙をわしに差し出した。


「これ……を……信光寺の……この……」


 真っ赤な血に染まる紙は文のようだ。わしがそれを受け取ると、男はすでに目が見えぬようで、震える手を突き出しながら必死になにかを訴えておる。


「あいわかった。近衛太閤殿下に届ければよいのだな」


「かた……じけ……ない……」


 信光寺。あそこには近衛太閤殿下がおる。男がそれを言いたかったことを悟ったわしが答えると、男は最後に笑みを見せて息絶えた。


 とはいえ中身は検めさせてもらうぞ。こちらとて譲れぬものがある。


「これは……」


 わしは走った。先ほどの者たちを避けるように街道に出るとそのまま急ぐ。すでに日暮れていて、月や星が辺りを照らしておる中を走る。


 文は陶隆房が公家を殺さんと謀っておるとの知らせだ。殿下に逃げるようにとの密使だったのだ。先ほどの者たちは。


 船にも知らせに行かねばならん。兵を上げるというわけではないが、賊に見せかける人を集めるのに一日か二日か。早ければ明日の夜には公家衆は殺されるかもしれん。


 山口が焼ければ、それを口実に陶隆房は挙兵するだろう。


 すべてを賊のせいにして己は大内義隆を討ち、家を乗っ取る。よくある策といえばそうだ。


 人が足りん。先に船に参って指示を仰ぐべきか? いや、途中に一向宗の寺があった。あそこの者に、この血に染まった書状を届けてもらうべきだ。


 くっ、こんなことならもう少し人を増やしておくべきであったな。





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