第708話・それぞれの動き・その三

Side:周防の忍び衆


「危ういらしいよ。旦那様もいざとなったら店捨てて逃げるって支度しているね」


 太閤様は公家衆の屋敷を回って歩くというので、我らは山口の馴染みを回ることにした。前に来たのは十日前か。薬を売りつつ馴染みの店の奉公人と話すが、すでに相当危ういと覚悟しておる者が多いようだ。


 陶隆房の人となりは知られておるからな。荷物と持てるばかりの品をまとめておるらしい。中には戦に巻き込まれぬ寺社に預けておる者もおるとか。


 それなりの商人となると武士との付き合いもある。陶隆房の謀叛が確かなのは間違いあるまい。


「まだいたの? お逃げって言ったのに」


「これが最後だ。昔馴染みのお坊様に道案内を頼まれてな」


 どこも不安を感じつつ暮らしておる。そんな中、馴染みの遊女に会ったが、未だに山口におることを心配された。この遊女は陶家の者とも馴染みのようで、いち早く陶隆房の謀叛を教えてくれた者だ。


 我らのような余所者は、戦になれば真っ先に間者を疑われて殺されかねん。主に薬の行商をしておるのだが、我らの薬は薬師の方様に習ったものゆえ、評判がよく案じてくれたのだろう。


「そう。山口は多分駄目よ。陶様はこの町が憎いと仰せだとか。あのお方は戦場でしか生きられない御方。そう言っていたわ」


 陶家の者も謀叛の行く末を案じておったそうだ。謀叛によって新たな主を迎えることは聞かぬ話ではないが、その先に今のような大内家でおられるかと言われると疑わしいからな。


 我らも久遠家にお仕えしてわかったことだが、戦をしていかに勝っても荒れ果てた領地ではその後に苦労をする。陶隆房は力で従えればいいと考えておるらしいが、それだけでは博多の商人は従わぬだろう。


 そのうえ、山口の町を憎むとは。確かに贅沢をしておる町であろうが、この町で銭が生まれ動いておるとも言えるというのに。


「お前は逃げぬのか?」


「何処に行けというのさ。三十路の遊女に」


「……行くあてがあれば逃げるか?」


「あればね」


 この町にいて逃げる気のない者もおる。この遊女のように天涯孤独で行くあてのない者だ。


「すぐに出られるか? なら秋穂に行け。そこに黒い南蛮船がおる。その船の滝川様というお方に会え。これを見せれば飢えずに生きていけるようにしてくださる」


「……あんた」


 敵地で遊女など助けるために素性を明かすとは、我もあとで罰を受けるだろうな。とはいえこの遊女には世話になった。そのことを書いて、我が命と引き換えに助けてほしいと嘆願した文を持たせる。


 これで助かろう。滝川様も殿も慈悲深い御方だ。逃げて来る素破を助けるほど。


「あんたも後から来るの?」


「ああ、船に乗るかはわからぬが、いずれな」


「待っているわ」


 二度と会えぬかもしれん。この女もそれをわかっておるようだ。交わした誓いを破ると地獄に落ちるのだろうか。今更だな。


 もともと我が一族は三雲家に仕えておったものを、我は裏切ったのだ。そう思えば女をひとり救えただけでよしとせねばなるまい。


 さて、知りたいこともだいぶわかった。太閤様のもとに戻るか。なんとか謀叛の前に山口を離れられればよいのだが。




Side:近衛稙家


 今宵の宿は一向宗の寺だ。何軒か訪ねた屋敷でも泊まって行かぬかと誘われたが、謀叛がいつ起きるとも限らん時に、ろくな備えもない屋敷に泊まるなど恐ろしゅうて敵わぬ。


 素破が探って参った話を聞くが、早う戻らねば吾も危ういの。まさか陶隆房が町を憎むとは。私怨でもあるのではあるまいな。


「陶隆房と大内様は、以前は衆道の間柄だったとは聞き及んでおります」


 吾の懸念の答えは素破が持っておった。野心もあり私怨もある。これはどちらかが死するまで続くの。




「実はの、主上が公家に都に戻るようにとお望みなのじゃ。吾は密使での。長居が出来ぬ」


 翌朝、大内家から使者が参った。二条め。早くも大内家に話してしまったか。幸いだったのは主上が帰還を望んでおるということだけを話したようで、陶隆房の件は話しておらぬようなところか。


 もしかすると言えぬのかもしれぬが。


 そのすぐあとには陶隆房の使者も参った。別の使者を寄越すほどとは謀叛を隠す気もないのか?


 こちらにも公家を迎えにきたので、すぐに帰ると伝えた。長居して恨まれる気などないわ。


「これは太閤殿下、遠路はるばるようおいでくださいました」


 使者が参った以上は会わぬわけにはいかぬ。大内も朝廷に貢献しておるからの。


 大内義隆。いくつであろうな。四十は過ぎておろう。温和で武士としてはいささか物足りぬように見える。二条と気が合いそうな男じゃ。


 己の足元が揺らいでおること、どこまで分かっておるか怪しき様子。腑抜けとなったとの噂が消えぬわけか。


「前触れもなくすまぬの。吾は主上の密勅として参ったのじゃ。そろそろ諸国に散った公家を戻してはとな」


 こちらの意図を探っておるようじゃの。銭の無心とでも勘違いしたか?


「ほう、そうでございましたか」


「大樹と三好が和睦をした。良い機会じゃからの」


 公家を都に戻すと言うと、少し残念そうにしておる。まことに雅なものを好むと見える。昨今では珍しき男よ。


 もう少し刻があれば陶との和睦でもまとめてやりたいが、なにより公家が恨まれておる以上は関わることは危うい。少なくとも数年は落ち着かぬであろう。


 この男が陶を御して現状を維持するか、陶が大内を乗っ取るか。いずれにせよ一波乱あるのは確か。


 最後にせめて今宵は宴でもと言いだしたが、主上をお待たせするわけにいかぬと申して話を終えた。


 あまりに危うさを感じておらぬ姿に、見ておるだけでこちらが恐くなったわ。




Side:久遠一馬


 夜はオレとエルたちはリーファと雪乃と共に休んでいる。この旅ではずっとエルたちと同じ部屋だ。義統さんたちが女性同伴でないので遠慮しようかとも思ったが、そんなことより早く子供を作れと信秀さんにはっぱを掛けられて義統さんにも笑われた。


 まだ若いのになぁ。オレたち。


 現状は微妙だ。一応、こちらとしては湊の使用税である津料は払った。湊に入れないのに。ただ通行税は払っていない。これ以上瀬戸内海を進むことがないからだ。


 なんというか陸と海で警戒されている。当然と言えば当然なんだろうが。無論こちらも警戒していて、停泊しているのに警戒の人員が二十四時間体制でいるんだ。


 あわよくば船を奪おうなんて人はどこにでもいる。村上水軍も何処まで信じていいか現状では怪しいしね。


 陶隆房の謀叛で近隣の水軍がどう動くかわからないので、政秀さんは近くにいた村上水軍に接触した。現時点では進んでこちらと敵対する気はないらしいが、ウチの船って明と取り引きをするために時々倭寇狩りをしているからね。


 かなり警戒されて恐れられている。


 いや、そもそも先に手を出してきたのは倭寇らしいんだけどね。船と荷を寄越せって。傍若無人な海賊だから明でも困っている。彼らを狩ることでウチは明の信頼を得ている。


 まあ倭寇と言っても様々だから、ウチと友好的なところもあるらしいが。


 稙家さん早く戻らないかなぁ。長居するとろくなことないよ。まさか大内家を気に入って滞在するとかないよね? まあそれならそれでオレたちは帰ればいいんだけどさ。


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