第707話・それぞれの動き・その二

Side:周防の忍び衆


 まさか太閤様の供を命じられるとは。どうしてよいかわからぬ。


「よい町に思うがのう。陶隆房はそれほど気に入らぬのか。わけがわかるか?」


 身分が違う。直接は話してはならぬ身分のはずが、太閤様はなぜかそんな我らに直接お声を掛けていただいておる。とはいえ、どう答えるべきか難しきことを問われる。


「……陶隆房は武辺者という噂でございます。また、この町や公家衆のために重税を強いておるとの噂もあり……」


 一言で言えば、立派な町や寺社では腹は膨れぬ。それだけのことであろうな。重税を強いて関わりのない公家や寺社が潤うと思えば、面白くない者は多かろう。


 陶隆房に至っては武芸には熱心だと聞くし、家臣たちの評判もいい。だが公家や坊主や商人を軽んじておると聞く。


 己の武芸と用兵に自信があり、それを認め崇めぬ者には冷たいともな。


「心貧しき者よの。気持ちはわかるが……」


 太閤様はため息交じりに歩きだされた。心か。飢えたことなどないであろう太閤様らしい言葉なのかもしれぬな。


 もっとも我のような者を人として扱っていただける御方だ。慈悲深い御方なのであろうが。


「しばし休んでおれ」


 到着したのは入るのも憚るような立派な屋敷だ。僧兵たちと共に休ませてもらえるようだ。


「お前たち飯はないのか?」


「はっ、急ぎで参ったもので……」


「仕方ないな。食え。その代わり危うい時は道案内を頼むぞ」


 これが久遠家ならば飯が食わせてもらえるが、ここはそんなものが出ぬ。急いで出て来たので今日は朝飯も食えなく腹が減っていると、一向宗の僧兵が持参しておった握り飯をわけてくれた。


「ありがとうございます」


「それより、どうなのだ? まことに危ういのか?」


 握り飯を共に食べつつ、僧兵たちと話す。彼らも気になるのは謀叛のことらしい。


「はっ、すでに謀叛の根回しはかなり終わっておるようでございます。また戦を拒む大内様を腑抜けと罵り、それはお公家様のせいだと言っておるとか。その辺りはそこらの者でも知っておる噂でございます」


「危ういな。最悪の場合は殿下を守りながら安芸まで行かねばならぬ」


「川舟が使えればよいが……」


「いや、陸路のほうがよかろう。川舟は逃げ場がない」


 そのまま僧兵たちと今後のことを相談する。秋穂までゆけば船がある。よほどでなければ待っていてくれよう。とはいえいない場合も考えなくてはならん。


 博多は大内様の所領。陶隆房の追っ手にかかるかもしれん。九州へは行けぬな。逃げるなら隣国である安芸がいいらしい。安芸まで行けば門徒が多いので匿ってもらえるとのこと。我らはその時にお役に立てばよいようだ。


 懸念があるとすれば、ここにおるお公家様が同行するかどうかだ。女子供が増えると厄介だぞ。




Side:近衛稙家


「遥々参ってくれたことは感謝するが、突然参って戻れとは……」


 訪ねたのは元関白であり同じ太閤でもある二条尹房にじょうただふさの屋敷じゃ。主上からの密勅の書状を見せたが戸惑うておる。この男、己がいかに危ういか気付いておらぬのか?


 いかんな、明らかに帰る気がない様子じゃ。さて、いかがするか。

「我は他の者のところへ行かねばならん。それに長居をする気はない。決断は早う頼む」


「なにをいておるのだ? わけを話せ。知らぬはずがない」


 まあ二条が駄目でも他の者は戻る気があるやもしれん。先に他の者のところへ行こうとしたが、そんな吾を不可解そうに見つめて止めるか。


「知らぬのか? 陶隆房の謀叛の噂」


「そのようなことで参ったのか? あのような噂は何年も前からある。陶隆房という男は騒ぐだけで終わる男じゃ」


 やはり戻る気はないか。しかも呆れた顔をされるとは。


「吾にはそうは思えぬが。なにより主上がお心を痛めておられる」


 大内と共に腑抜けとなったか? それともこの屋敷の中にはそこまで知らせる者がおらぬのか?


「まあ、近頃は怪しくはあるが……、されど世話になっておるのじゃ。早急に出て行くとは言えぬ。それに悪くても吾に刃は向けまい」


「倅がおろう。それだけでも戻さぬか? こちらは三好と本願寺と斯波まで動かしておるのだ。手ぶらでは帰れぬ」


 それなりに危うさは感じておるようじゃが甘いの。まあいい歳であるし、すでに跡継ぎも都におる。こやつは好きにして構わぬが、若い倅は死なすには惜しい。吾の顔を立てさせると言うてでも倅だけは連れて帰らねば。


「……三好と和睦したのか? それに斯波とは……?」


「和睦した。細川は切ったがな。それと陶隆房が危ういと知らせて参ったのは、斯波の家臣である織田の者。久遠の一馬じゃ。名前くらい知っておろう?」


 ほう、一気に顔色が変わったか。和睦か? それとも一馬のことか?


「黒い南蛮船の噂は聞いておろう。吾はそれで来て秋穂に待たせてある。三好水軍も直に参るのだ。今ならば主上の密勅として堂々と急ぎ戻ると言えるぞ。しばし都で主上に仕えて、また来ればよいではないか?」


「少し考えさせてくれ」


「好きにいたせ。じゃが密勅とはいえ、勅に逆らうならば、相応の理由を考えておくことだ」


 みるみる顔色が悪うなってしまったの。もともと気の小さい男じゃ。都の暮らしに怯えてここまで逃げてきたほど。随分と立派な屋敷じゃ。この豊かな暮らしを捨てたくないのであろうが。さて、いかがするやら。


 恐らく他の者は吾の言葉に従い、素直に戻ろう。戻る銭があらずとも迎えまで用意したのじゃからの。


 吾もこれ以上の義理はない。一時の欲に迷うくらいなら勝手にせよ。主上がお困りであることを見て見ぬフリをしておるのだ。死しても自業自得。


 吾のように内匠頭や一馬を見ておれば、ここに残ろうなどと思わぬはずじゃがの。とはいえこやつひとりのためにこれ以上の刻はかけられぬ。




Side:久遠一馬


「一馬殿、商人とは面白いな」


 姿が見えないと思ったら、義輝さんは集まった商人を見ていたらしい。どうも商人らしい商人と会ったのは、オレ以外では初めてなんだって。


 緊張感がないね。仕方ないけど。


「商人も様々ですよ。斯波家の船として来ていることもありますが、ウチは他では買えない品を扱っているので、みんな腰が低いんです。身分もない武芸者だと相手にもされませんよ」


「ほう。そのようなものなのか」


 世の中を見聞しているとはいえ、まだ守られているんだよね。義輝さんは。斯波家の権威と織田家の力、それと久遠家の銭にあからさまに態度を悪くする人なんてそうそういない。


 従って義輝さんはまだ酷い人を見ていない。武士も商人も坊さんも。


「八郎殿とかそのあたり詳しいですよ。もっとも武士も力で借金を踏み倒したりするのでどっちもどっちですが。ただし信義は一度失うと取り戻すのに多大な苦労をします。そこは武士も商人も一緒ですかね」


「あの小物と同じか」


 義輝さんにとってろくでなしは細川晴元らしいね。それだけ人を知らないんだろう。とはいえ学ぶ意欲はある。


「私はその方を知らないのでね。なんとも言えませんよ。菊丸殿ご自身で世を見て考えるべきかと」


 義輝さんは海を見ながら無言になった。本音を言えば晴元がろくでなしなのに異論はない。とはいえあの人の身分と立場からすると、あれが正義なんだろう。代々似たようなことをしてきた家系だし。多分、晴元はやり過ぎだろうが。


 むしろ将軍家として従来のやりかたを否定する義輝さんが異端なんだよね。義輝さんが変わった原因は、直接でないにしろやっぱりウチにあるんだろうか?


 まあ将軍として生きると、どう考えても幸せな未来なんてないからね。唯一自身の人生を歩める可能性に気付いただけかもしれないが。



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