第705話・とある行商人
Side:周防のとある行商人
ここ周防にある
「大変だ!」
今、周防は危うい。これ以上残れば我らも危ういので、掟に従って他国に行こうかと相談しておったのだが、先ほどから湊の様子を見に行った仲間が血相を変えて戻ってきた。
「なんだ? まさかもう……」
「違う! 船だ! 黒い船が来た!! それも五隻も!!」
まさか陶隆房がもう蜂起したのかと冷や汗が出てくるが、仲間はそんなことどうでもいいと言いたげに言葉を続けた。
「何処の船だ!!」
「丸に二つ引と織田木瓜の旗が見えた! それにあの船は間違いねえ!!」
間違いない。久遠家の船だ。なんでこんな時に来たんだ? 大変なことになるぞ。周防は今、守護代の陶隆房が守護である大内様に謀叛を起こす寸前なんだぞ!
「すぐに行かねばなるまい」
「だが船は沖だ」
「銭ならある。小舟を借りればいい。商いに行く者などほかにもおろう」
信じられんことになった。何故、この時期に周防などに……。
我らは甲賀に生まれし者。遥か故郷を離れこんなところにおるのは、久遠家に仕えて西国の様子を知らせるためなのだ。
周防に船が来るなど聞いておらん。とはいえ、なにか来たわけがあるのならば行って指示を仰がねばならん。
行商の荷物を抱えて急いで旅籠を出て湊にいく。そこにはすでに多くの見物人が集まっており、武装した兵もおる。この時期に来たのだ。警戒されて当然だ。下手をすれば夜討ちでもされてしまうぞ!
「なあ、なにがあったんだ?」
「さあ、なんでもどこかの坊主を乗せて来たらしいが……」
見物人に声を掛けて聞くが、わかったのは船から降りて来たのは坊主たちだけで、どうも連中を乗せて来たということだけ。
坊主の帰りを待つようで、数日は沖合に泊まっておるということで湊役儀の武士が慌てておるらしい。
湊に入れぬほど大きな船だ。すぐに陶隆房に知らせが行くだろう。さてどうやって舟を借りようかと悩んでおると、秋穂でも
好機だと判断した我らも近くの者に頼み舟を出してもらう。懸念は船に我らのことをわかる御仁がいるかだが……。
「お初に目にかかりまする。某は周防屋。一言ご挨拶に参りました」
大店の商人が小舟から南蛮船に声を掛けた。ほかにも商人の小舟が数艘。南蛮船のほうはあまり乗り気ではないようで何人かがこちらを見下ろしておるだけだ。
ほかの船だと湊に付けば必要な者を残して降りてくるものだが、久遠家の船は必要がないと降りてこぬからな。接触するにはこれしかない。
その時船に見えた御方に見覚えがあった。滝川八郎様だ。向こうが覚えておるかわからぬが、覚えておることに期待して見上げる。
八郎様と目が合った。そして程なくして小舟で集まった我らは船に上がることを許された。
集まった者は我らを除き、それなりの商人らしい。なにか入用なら用立てるつもりなのだろう。あわよくば久遠家の品がほしいと言ったところか。
皆、茶器や明からもたらされた品など自慢の一品を持ってきておる。それを八郎様と数名の織田家家臣が検分していく。
「その方らはなにを持ってきたのだ?」
「薬でございます」
最後に八郎様が我らに声をかけてくださった。周りの商人はそんなものなど要らんだろうと笑っておる者もおるが、知ったことか。薬ならば連中とは別に行動が出来るはずだ。
「ほう、ちょうどよかった。少し具合が悪い者がおるのだ。特別に中に入ることを許そう」
やはり八郎様は我らを覚えておいでのようだ。刀などを預けて我らだけが船の中に入ることを許された。
苦々しげに見つめる商人もおるが、まあ仕方あるまい。
「少しよろしいでしょうか?」
八郎様に案内されて通されたのは、船の中とは思えぬほどしっかりとした部屋だった。何人かの身分の高そうなお方たちがおられる。
「八郎、いかがした?」
じわっと汗が噴き出した。なにやら絵札のようなものをもっておられるお方に見覚えがある。我らはそのまま平伏する。
「周防にて探りを入れておる当家の者が参りました」
「ほう、遥か周防にまでおったか。大儀である。
尾張の祭りでお見受けしたことがある。尾張守護である斯波武衛様その人だ。織田の大殿様もおられるし、若様もおられる。殿と奥方様もおられるな。
皆様の視線が集まるとまるで罪人になったような、そんな気になる。特にやましいことなどないのだがな。
「ふふふ、罰を待つ罪人のような顔を致すな」
なんと言えばいいか言葉が出ぬ。我らは久遠家忍び衆の中でも新参者。本家が三雲家に従うおかげで我らは安易に信用していただけぬ立場なのだ。
そんな我らに思わず笑われたのは織田の大殿様だった。
「だれぞ、白湯を持って参れ。そなたたちも楽にいたせ。まさか西国の周防でこれほど早く参る者がおるとはあっぱれ」
我らは命じられるがまま、皆様が座られておられる
「しかしよくわかったね」
「はっ、我らはここを拠点に大内を探っておりました。ただ既に大内家中はいつなにが起きてもおかしくない故、掟に従い、いつでも退避出来るここで様子を窺っておりました」
殿と直接話すのは初めてのことだ。されど我らの役目は見聞きしたことをそのまま伝えるのみ。我らのことばに皆さまの顔色が変わる。
「現状を報告せよ」
「はっ、大内家においては文治派と武闘派との対立が長年ありましたが、ここに来て文治派で大内様の側近である
八郎様に命じられて知りうる限りの現状を報告するが、皆様の表情が一段と悪くなる。
ここ周防の忍び衆と伊賀者は少ない。そもそも西国に忍び衆がおるのは博多やここなどごく僅か。とはいえ皆で苦労をして集めたのだ。
「思うておったより悪いな。それとも間に合ったと喜ぶべきか?」
「難しいところです。村上水軍には接触しておくべきかと」
織田の大殿様は運ばれてきた白湯を飲み、大智の方様に問うておられる。やはりなにかいらっしゃったのにはわけがあったか。
「ふたりも冷めないうちに飲んで」
我らはお役に立てたことに喜びを感じておると、殿に促されるまま出された温かい白湯を口にして気付いた。この船は船の上で煮炊きも出来るのか?
「大内殿はいかがなのだ?」
「はっ、ここ数年。大内様は政から離れておられると噂でございます。巷では隠しきれぬほどの謀叛の噂は以前からございましたが、あまり深刻にとらえておられぬ様子」
「知らぬということではないのか?」
「いえ、それはあり得ぬことかと。相良武任が出奔したのは三度目でございます。それに以前には陶隆房の謀叛を訴えたとも聞き及んでおります。その、憚りながら申し上げますが……。大内様は腑抜けになったとも……」
そのまま我らは守護様と織田の大殿に問われるままに知りうることを話した。その過程で知ったのは、山口の町におる公家衆が危ういとの知らせがあり京の都に戻すために参ったということであった。
これは大変なことになった。陶隆房は公家を嫌い、公家に見立てた人を斬ったなどと噂すらある男だ。
我らは公家がどうなろうが構わぬが、お家が巻き込まれたらどうなるのだ?
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