第703話・石山での休息

Side:久遠一馬


 石山本願寺に泊った翌日、朝食を頂いて他の皆さんと一緒に少し体を動かした。オレの場合は鍛錬というよりは、体がなまらないように動かす程度だったが。


 補給は今日中に終わるので、出発は明日となった。


 出発日時は近衛稙家さんが決めた。今日は本願寺の人たちと交流するらしい。証如さん自身が九条家の猶子であるため、稙家さんとはあまり近いとは言えない立場だ。


 稙家さん自身は幕府と義輝さんの後見的な立場だ。この機会に少しでも本願寺との関係を良くしたいんだろう。細川晴元を切ることになったからね。味方は増やしたいというところか。


 しばらくしてお昼を前にした頃、証如さんからお茶でもと誘いがきた。誘いと言えば聞こえがいいが、事実上の強制だよね。気が進まないところもあるが、明確な理由もなく拒否は出来ない。


 案内されて出向く。メンバーは義統さん、信秀さん、信長さん、オレの四人だ。他には稙家さんと松永久秀さんがいる。本願寺側は証如さんと高僧が三人ほど。


 特に詫び寂びという感じもなく、ひとりひとりにお茶と茶菓子が運ばれて来た。


「これは……」


「お団と呼ばれております。団喜という菓子で古くに唐から伝わった菓子になります」


 菓子は茶色い茶巾のようなものだった。ちょっと見たことないなと思って眺めていると、高僧のひとりが説明をしてくれた。初めて見た菓子だ。こんなものもあるんだね。


 お茶は抹茶だ。うん。質のいいお茶だと思う。


 菓子はちょっと香辛料というか線香の匂いがする。出す前に仏様にでも捧げたんだろうか? 中は餡が入っていて普通に美味しいね。


「石山は活気があってよいの」


 身分もある。オレは例によって座っているだけ。ふと外を見ると秋の空が広がっていた。先に口を開いたのは稙家さんだ。


「山科を追われ、ようやく安住の地を得ることが出来ました」


「管領にも困ったものじゃの。あちこちに憎しみを残しておる」


 証如さんは静かに誰かを責める様子もなく答えたが、稙家さんはなんとも言えない表情で細川晴元のことを口にした。


 この時代はやったもん勝ちだけど、それでも晴元のやったことを褒める人は見たことないね。権威ある細川京兆家だし公然と批判する人は義輝さんくらいか? 今は苦境に見えるが明日はどうなるかわからない。ちょっと賢い人なら迂闊なことは言わないからね。


「都も落ち着くとよいのじゃがの。周防、越前、尾張と都から離れたところばかりが栄えるのは寂しくもある」


 稙家さんは悩みを口にしているとも、愚痴をこぼしているとも受け取れることを話しているが、それに答える人はいない。言いたいことはわかる。とはいえ迂闊なことは言えないんだよね。ウチも本願寺も久秀さんも。


「こうして皆で顔を合わせる機会はよいものじゃ。諸国の者とも顔を合わせることが出来ればよいのじゃがの」


 答えが欲しいというわけではないらしい。こうして話す意義を語った稙家さんは満足そうな笑顔を見せた。


「そういえば尾張では流行り病を封じたとか。よければ話を聞かせてくれぬか?」


 ぽつぽつと話が進んでいた。弾むというほどではないが、険悪な様子はなく互いに慎重な感じか。そんな中で稙家さんはこちらを見ると流行り病のことを尋ねてきた。


「それほど難しきことを致しておりませぬ。病に罹った者に粥と薬を与えただけでございます」


 義統さんは答えることがなく、信秀さんが答えた。細かい統治は任せているというスタンスなんだろう。もともと守護とはそんなもんらしいからね。


「都では難しきことよな」


「そうとも言い切れませぬ。病を起こりにくくすることを尾張では致しておりまする。日頃から身を清めることや、町を片付けることをしており、亡骸は腐敗すると病が起こると考え、土葬か火葬で埋葬しておりまする。」


 信秀さんの返答に稙家さんは少し渋い表情をした。都で薬を民に与えるなど不可能だろう。人口も多いし、都の周りには関所だらけだ。薬を買い付けて都に運ぶ頃には庶民には手が出せない額になっている。


 ただ信秀さんはそれ以前の段階として、予防的な対策を口にした。言い方が上手いな。身を清める。べつにこの時代でもそんな概念がないわけではない。寺社なんかでは穢れを払うために身を清めるのはあることだ。


 埋葬に関しては少し踏み込んだか。都の現状は荒れていたというのもあるが、病人や亡くなった人を放置しているのが見えたからだろうね。


「興味深いの。それも久遠の知恵か?」


「そうと言えるものもあれば、古来よりの知恵を見直して皆で考えたものもありまする」


 信秀さんはそれほど難しいことは言っていない。身綺麗にして遺体なんかは埋葬すればマシになると言っただけだ。とはいえそれすら出来ていないのがこの時代であり都でもそれは同じだった。


 武衛陣の皆さんには簡単な衛生管理を教えてきた。それだけで食中毒なんかは減るだろう。この時代の人はお腹が弱くないからさほど実感はないだろうが。


 ただやっぱり警戒しているんだろうね。知識の出所に関しては濁している。


「そういえば石山も片付いておるの」


「身を清め、町を片付けることは確かによきこと。亡骸も当然供養いたしております」


 少し考えるそぶりを見せた稙家さんは、そのまま証如さんに話を振ると証如さんは信秀さんの言葉を認めた。


 まあ程度の違いはあるだろう。とはいえ町の中が結構片付いているのは確かで、少なくとも大通りでは路上で生きているか死んでいるかわからない人は見かけていない。


 無論寺内町を一歩出れば別世界だろうが。史実でルイス・フロイスが日ノ本の富はここに集まっているとまで書いた町だからね。相応にちゃんとしている。


 少なくとも大通りから荒んでいた都とは別格だろう。


「都ももう少しよくしてほしいものじゃの」


「主にしかと伝えまする」


 なるほど。稙家さんの狙いが分かった。三好だ。尾張や石山を意識して少しでも都をよくするように三好に促すことが狙いか。


 ただ銭や知恵を出せと言うのではなく、より進んだ場所を見習えと三好に言いたいのか。武士の時代とは言え五摂家の近衛家の力は侮れない。史実では稙家さんの息子に当たる近衛前久が織田包囲網を作ることに貢献している。


 まして稙家さんは義輝さんの伯父だ。この人を怒らせると大変なことになる。


 上手いなぁ。対比として石山や尾張を出すことで、出来ないと三好が無能と言われてもおかしくない状況を作り出した。


 天下を治めるならそのくらいしろと言いたいんだろう。しかし稙家さん、意外と尾張のこと知っているね。尾張にきた公家から聞いたのか、独自に調べたのか知らないが凄いや。


 ちょっと顔色がよくない久秀さんに、稙家さんは満足げに笑みを浮かべて話題を変えた。


 新しい御所をとか言っているわけじゃないしね。少しは都を気に掛けろと言いたいんだろう。


 その後、話は紅茶や陶磁器の話などに移った。朝廷と義輝さんには季節の献上品を贈っていたし、石山本願寺は願証寺を介して高価な品々を一番よく買うお得意さんだ。


 献上した品がどうなったかとか、石山本願寺には遥々九州からも商人が来ると稙家さんや本願寺の高僧に教えられた。


 こちらからは関東など東国へ売っているという話をした。いわゆる情報交換だね。


 結論からいえば畿内はウチの品が不足しているが、そのおかげで持っている朝廷や幕府や石山本願寺が優位にたっている。これからもよろしくねというところだろう。


 しかし都でもここでも誰も密貿易のことを口にしないのが笑える。どうもウチは織田一族でありながら日ノ本の外の人間としても扱っていて、立場をそれぞれの都合がいいように解釈しているらしい。


 みんな強かだね。



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