第702話・静かな宴と本願寺の本音

Side:久遠一馬


 証如さんと高僧たちの顔色が変わったのは、手土産として香木を贈った時だった。息を呑むというのは、まさにこんな感じなんだなと言える反応だね。


 石山本願寺ほどになれば香木も手に入るだろう。金に糸目を付けないなんてことも出来るだろうしね。


 ただ、三種類の香木を一度に揃えられるということの意味は理解してくれているだろう。この時代での香木は南蛮と呼ばれている東南アジアで産出しているが、それでも望んでも中々手に入らないほどの貴重な品であることに変わりはない。


 なんかオレを見る視線に恐ろしいものを見るようなものも混じっている気がするが。仕方ないんだろうね。甘く見られて鼻で笑われるよりはいいということか。


 その後、一旦宿として借り受けた寺院に戻り、歓迎の宴に参加した。参加は皆様でということでエルたちや資清さんたちも含めたみんなで宴に参加した。


「ほう、豆腐か」


 仏具はないので本堂ではないだろう。宿坊だろうか? 広い板の間での宴だ。


 膳は豆腐と湯葉がある。肉と魚はないね。一向宗は基本的に肉食を禁じていないが、正式な客人への歓迎の宴だし生臭は避けたか。


 信秀さんは膳を見て微かに笑みを浮かべると意味深な表情で呟いた。


 清洲では貴重ではあるが珍しくはない。豆腐屋さんがあるからね。値段も安くはないが、武士や坊さんなんかは買っていくという。ウチでも買っているし、八屋なんかでも買っているので結構売れていると聞いている。


「この海苔って……」


「尾張の海苔ですね」


 料理としては豆腐ばかりではなく、野菜や海藻類もある。ひじき、昆布、海苔とあるが、海苔が板海苔だったことに少し驚く。


 まさかこっちでも作っているのかと一瞬疑ってしまったが、エルいわく尾張産の海苔らしい。今では知多半島のあちこちで海苔の養殖をしているからね。


 ひじきと昆布は煮物にしてある。海苔は風味を生かすためかそのまま出されているが。醤油は使っていないな。ウチの醤油は現時点では市販まではしていないからか。織田家には売っているが、自分のところで食べるか接待の料理に使うことで精一杯だろう。


 尾張の味噌商人が醤油の生産を試みているが、ものになって売り出すまでには今一歩というところだったはず。


 地味だけど結構美味しい。醤油や味醂を使えばもっと美味しくなるだろうが、それがない範囲で考えると相当気合を入れた料理なのは明らかだ。


 味噌は米味噌だ。この時代では米ぬかを味噌にした糠味噌が一般的だが、高価になる米味噌の類だと思う。自家製というかこの土地の味噌かな。悪くない。


「豆腐、美味しいね」


「そうですね。さすがです」


 一番美味しいのは豆腐と湯葉かな。そのままでも豆腐の滑らかな味がして美味しい。ただね。オレの一挙手一投足を見るのはやめてほしい。食べにくいです。


 エルも結構見られている。多分知られているんだろう。尾張ではエルがもてなし料理をよく作ることを。願証寺はよく招いているからね。


 ジュリアとマドカも見られているね。雪乃も参加した。こちらは少し恐れるような人もいる。幽霊じゃないっていうのに。坊さんが幽霊を怖がるなよ。


 ただまあ時間は既に夕暮れを過ぎたあたりで、周囲には蝋燭による明かりが灯されている。この時代だと高いんだけどなぁ。薄暗い宴だと余計に幽霊っぽくみえるらしい。


 リーファは参加しなかった。船に誰か残っていないと危ないと言っていたが、多分面倒だっただけだろう。


 お酒もない宴だけにそんなに長くかからないでお開きとなった。あれだけ大量に金色酒を買っておきながら自分たちは飲んでいないという体裁を装うのか。


 まあ高僧が酒で悪酔いなんかしたらシャレにならんということだろうが。




Side:本願寺の高僧


「やはり、甘く見てはならぬ相手ですな」


「手土産に香木とは恐れ入った」


 殿下と斯波武衛殿たちをもてなす宴も無事に終わり、ホッとしたところを上人に呼ばれて主立った者が集まった。


 一通り話が終わり安堵した隙に、ただの土産と変わらぬような態度で見せられたのだ。拙僧ばかりか皆も驚いていた。


 手に入れようとしてすぐに手に入る代物ではない。日頃からこのような品物も得ておるとみるべきであろうな。


「これほどの品。なかなかお目に掛かれませぬな」


「殿下がわざわざ動かれたわけだ」


 近衛太閤殿下は近江で公方様と共におられたはず。肝心の公方様は病とかで六角家の観音寺城で静養されておるのだ。そんな時に単身で都に戻り三好との和睦を成して、大内に乱の兆しありとわざわざご自身で使者となり出向く。


 なにがそこまで突き動かすのかと思うておったが、噂の出所が尾張だとすれば戯言だと笑って済まされんということか。


 願証寺の者らも言うておったな。尾張でも久遠は別格なのだと。織田に従い、内匠頭殿の猶子となっておるが、その権勢は尾張でも抜きん出ておるとか。


 ここまで来ると内匠頭殿や武衛殿も恐れて警戒してもおかしくないのだが、そんな気配はまったくなく、むしろ久遠一馬とやらが実は内匠頭の実子だったと言われても驚かぬほどの親しい間柄だとか。


 わからぬ。仏の弾正忠と呼ばれておる男には人の心が見えるのか? それとも虚勢を張っておるだけなのか?


「五千貫が高くなかったということだけは確かであろうな」


 ひとりの者がため息交じりに昨年、織田に出した本證寺の始末料のことを口にした。あれはやり過ぎだと批判もあった。何故尾張の田舎者に五千貫などくれてやるのだとな。


 ただあの時は昨年身罷られた蓮淳様が床に伏せっておられて、本願寺も戦どころではなかった。それにあのお方も歳を取り随分と変わられたからな。争いを避けたがるようになっておられた。


 それにあの決定には願証寺の意見も大きかった。仮に本願寺が織田と敵対しても願証寺は従えぬと使者が口にしたのだ。織田は決して一向宗を敵にしておるわけではない。願証寺は共に助け合い上手くやっておるのだと言われると、戦だと騒ぐ者も下がるしかなかった。


 もともと願証寺を介してやっておった織田との取り引きは、こちらにも大きな利があった。畿内では手に入らぬと言われた金色酒や絹に白砂糖などのものまで様々な品物を得ていたからな。


 ろくな抵抗もせず潰れた本證寺のために、願証寺をも敵に回して戦をするなどほとんどの者は望んでおらなんだがな。


「このまま万事抜かりなく」


「はっ、心得ております」


 上人は我らの様子をみて少しホッとしたお顔をなされて、一言命じると下がられた。


 叡山の連中も信じられぬし六角も信じられん。無論細川も公方様もだ。尾張との取り引きは向こうにも大きな利があろう。堺の愚か者どもが自滅しておるからな。


 考えてみれば尾張とはちょうどよいへだたりなのかもしれぬ。近すぎず遠すぎず。噂の久遠とやらも、思うておったよりはまともに見えた。


 少なくとも怒りをまき散らして暴れるような男ではあるまい。このまま気分よくお帰りいただくべきであろうな。




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