第701話・本願寺証如

Side:本願寺証如


 斯波武衛殿と共に、近衛太閤殿下までもがお越しになられたか。


 ここのところ石山でも公方様と三好筑前守の和睦、その話で持ち切りです。なんでも和睦に動かれたのは近衛太閤殿下だとか。


 これで畿内も落ち着くとよいのですが、一方でそれを良しとしない者たちもまた多い。この本願寺にすらそのような者がおるのが嘆かわしいことです。


「上人、支度は整いました」


「斯波家には唐や天竺を知る者がおるのです。決して気を抜かぬように、最上のもてなしをするのです」


 こちらのもてなしに抜かりはないでしょう。堺では尾張の田舎者と罵り軽んじておるようですが、私は尾張を軽んじるつもりはありません。


 金色酒と称して出回る酒と絹や綿織物や陶磁器、薬や蜂蜜、砂糖に醤油などの調味料から香辛料に至るまで極上の品はほぼ尾張の久遠がもたらしたもの。


 そして螺旋線香。本来は蚊を寄せ付けぬ香だと聞き及んでおりますが、この高貴な香りは今や一向宗の寺院には欠かせぬ代物。つまらぬ諍いで品物が入らなくなれば、私とて困るのです。


 懸念は山科を追われたことを、未だに根に持っておる者がおることです。斯波も織田も関わりはありませんが、叡山や武士など一向宗の教えに従わぬ者は、すべて敵だと考える者がここ本願寺にはおるのです。


 加賀もよくありませんでした。致し方なかった部分もありますが、実態は武士と変わらぬ争いをするばかり。争い奪い、王法為本の教えを理解せず荒れ果てておるとか。


 そのうえ、未だに近隣の土地と富を奪おうと侵略を続けております。おかげで各地の一向宗の寺院がどれだけ困っておることか。


 三河で仇敵である織田と今川が手を組み、対抗しようとしたのもそのためでしょう。


 もっとも現時点で斯波と織田を排除しようなどという者は、少なくとも私の目の届くところにはおりません。ここでおかしなことを企んでも堺の二の舞いであることを、皆も理解しておるはずです。


「上人、お通ししてよろしいでしょうか」


 さて、噂の仏の弾正忠と、虎を仏に変えた者を見極めるとしましょうか。




Side:久遠一馬


 本願寺証如。史実では信長さんと十年にも及ぶ戦いを繰り広げた、顕如の父親として知られている。


 若いね。三十代だったか? ただ、オレはこの人はあまり史実の印象がない。


 石山本願寺自体は過渡期にあるはず。証如の母方の祖父でもある蓮淳が長年本願寺を支配して畿内と北陸などの争いの中心にいたが、彼は昨年の夏に亡くなっている。


 蓮淳はある意味本願寺の現状を良くも悪くも作った人物と言えるだろう。証如は長らく彼の傀儡というか、御輿でしかなかった印象がある。歴史では信頼があったとされるがどうなんだろうね。


 本願寺は一揆を禁じてはいるが、その一方で自分たちの都合で頻繁に一揆を起こしている。まあ本願寺を語るなら日本の仏教史を振り返る必要があるんだろうし、比叡山などとの争いなど面倒なことが山ほどあるが。


 証如との面会に出席したのは義統さん、信秀さん、信長さんとオレ。あとは近衛稙家さんがいる。


「太閤殿下、お久しゅうございます」


「すまぬの。突然参って」


 証如さんと稙家さんは面識がありか。大内の件は任せていいだろう。


 しかし随分と立派な寺院だと言えば怒られるんだろうか。仏様に仕える人が立派な寺院に住んで贅沢をしている。三河の本證寺の領地を思い出すとあまり好きになれない。


 宗教に対する感覚が違うんだろうね。この時代だと仏様の代理人とでも言いたげな特権階級になっている。元の世界では寺と言えば仏に仕えて祈る人を理想とするからな。


 信仰と寺院を守るためならば、なにをしても許されるという傍若無人な振る舞いもよくある時代だ。


 しかも同じ仏様に仕える坊さん同士が、教義の違いなんかで対立して世の中を荒らすんだから世も末だなと思う。


 正直、オレは宗教って信じていないし好きじゃないんだよね。まあ石山本願寺自体は現状では織田とは友好関係にあるし、対立する利点もない。大人しくしていよう。


「斯波武衛殿も織田内匠頭殿もよくおいでくださいました」


「しばしお世話になりまする」


 一通り挨拶を済ませると、そのまま稙家さんは本題に入った。大内家の内部の対立とそれに絡み公家が恨まれており危ういかもしれないということ。三好家ではすでに水軍の編成に取り掛かっていて、石山本願寺にも協力してほしいと説明していく。


「陶隆房ですか。いささか思慮に欠ける者だとは聞き及んでおります」


 事前に手紙で知らせも出していたし、先にウチの船で石山本願寺に入った伊勢守家の信安さんと対面した際にもそれらしい噂を教えている。従って証如さんも同席する高僧たちにも動揺はない。


 ただ思慮に欠ける人だということは知らせていないはず。独自のルートで調べたか。


「わかりました。ほかならぬ殿下がわざわざお越しいただいたのです。及ばずながらお力になりましょう」


 事前に根回しは済んでいる。交渉とも言えぬスムーズな決断だった。


 稙家さんは本願寺の高僧と護衛の僧兵を連れて、ウチの船で周防の大内家のところにいる二条さんたちのところに行く。一度都に戻るようにという帝の密勅をもってだ。


 彼らはそのまま迎えの船として派遣する三好の船に乗せて畿内に戻る計画だ。かなり強引だけど、そうでもしないと間に合わないし、正式な方法だと道中の無事を祈る祈祷とか大内家での送り出す宴とかあるだろうし間に合わなくなる可能性がある。


 それに公家たちが一度に出ていくとなれば、公家文化にのめり込んでいる大内義隆だと止めかねない。


 まさか謀叛が止められず義隆だと勝てないから逃げ出すとも言えないしね。毛利元就あたりが本気で義隆を守れば歴史が変わる可能性があるが、史実のあの人を見ると動かないだろう。


 証如にとってもこれは他人事ではない。大内のところにいる三条公頼の娘は、証如の息子であり史実の顕如となる茶々丸の婚約者となっている。


 まあ公家を憎む陶隆房のいる周防に稙家さんだけで行くのは不安だということで、本願寺の僧を同行させるんだが。この時代の本願寺の勢力は絶大だからね。それに寺社を敵に回すのは避けたいのが一般的な武士の本音になる。


 正直、織田としては必要以上に畿内に関わりたくないので、三好と本願寺に丸投げするだけとも言えるが。


 この策は稙家さんと義統さんと信秀さんで考えたものだ。まあオレとエルが、このままなりゆきで畿内に関わることを懸念したことも根底にはあるのだろうけどね。


「せっかく参られたのです。今宵は心ばかりのもてなしをさせていただきます」


 大内の件は決まった。ウチの船の支度が整い次第、使者となる稙家さんと本願寺の高僧などを連れて周防まで行くことになった。


 帰りに運ぶ荷はすでに積んであるようだし、水と食料の補給で早ければ明後日にも出航出来るだろう。


 証如さんの印象は可もなく不可もなく。ただ本願寺側の高僧たちも話がまとまると少しほっとしている。


 オレはチラチラとよく見られていたけどね。堺の件もあって腫れ物のような扱いになっているのか? 実は堺の件は、オレが激怒したことが原因で斯波家が絶縁したとこっちでは噂なんだとか。


 風評被害だよね。堺は嫌いだけど、そこまで怒ってはいない。絶縁はあくまでも今後の方針をみんなで話し合った結果だ。


 さて、畿内でやることはこれで終わりかな。



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