第700話・石山本願寺

Side:久遠一馬


 遠くに寺院と町が見える。あそこが目的地の石山本願寺らしい。


 史実では大坂として有名で、石山本願寺が立ち退いたあとに豊臣秀吉が大坂城と町を築いている。とはいえここは古くから渡辺津わたなべのつという港があり栄えていた場所となる。


 ここは瀬戸内海と京の都がある山城、平城の都があった大和を繋ぐ、淀川水系や大和川水系の拠点として畿内で屈指の湊となる。それだけではなく周囲の交通の要所でもあるので、天下を治めると考えるとこの場所を押さえる意味は果てしなく大きい。


 史実の織田信長の最大の敵であり障害は、間違いなくこの石山本願寺になるだろう。


 石山本願寺自体は天下を自ら望むとまでは言えないが、すでにこの時代でも領国化している加賀のこともあるし、一声かけると一揆にて数万が集まる勢力がこんな重要な拠点を占拠していることは、国家運営としては見過ごせない。


 もっとも石山本願寺自体は細川晴元のせいで山科本願寺を失っており、被害者という側面もないわけではない。


 比叡山延暦寺とか大和の興福寺とか、古くから強大な権力を用いて強訴という強引な手法で自分たちの要求を押し通す寺社と比べると、そこまで傍若無人というわけではないはず。


「噂には聞いておったが、これほど人が集まっておるとは」


「確かに、いずれが都かわからぬではないか」


 目的地に近付くに従い、周囲に見える景色に人が増えていく。川舟を降りるとそれは顕著となり、多くの旅人が石山本願寺の寺内町に入ろうと待っていた。


 信長さんはまだ清洲や蟹江の賑わいを知るから冷静だが、義輝さんは京の都と比較してあまりの賑わいに戸惑っている。


 こういう細かいことも知らされてなかったんだろうな。石山本願寺が絶大な力を持つのは承知のはず。とはいえ具体的なことを一々教えはしないんだろう。特に細川晴元にとって都合が悪かったことは。


 ここで三好家の兵の皆さんとはお別れらしい。代わりに本願寺の高僧と僧兵が護衛として待っていた。


 寺内町。いわゆる寺院内の町ということで石山本願寺の支配する町のことだが、ここには複数の寺内町があり、二千ともそれ以上とも言われる町屋があるというが確かに凄い。


 清洲も那古野も蟹江も日々拡大しているが、ここを見るとまだまだ畿内の力が衰えていないと見せつけられる。


「おおっ、なんと黒く大きな船だ!!」


 海が見えると義輝さんが騒ぎ出してしまい、尾張から来たみんなの表情もほころんだ。ウチの船が見えたからだ。


 湊にはいくつもの船がいるが、その中でも異質で目立っている。義輝さんは単純に大きさに驚いているが、ほかのみんなは純粋にホッとしているように見える。


 荒れ果てた京の都と、その都より立派な石山本願寺には、それぞれに思うところがあるのだろう。


「ここをお使い下され」


 オレたちは本願寺の中枢に近い寺院のひとつを宿泊所として貸してもらえるらしい。そこには一足先に京の都から石山本願寺に入っていた、伊勢守家の信安さんたちが宿泊している場所だった。


 案内役の高僧にお礼を言うと、オレたちは旅の疲れを癒すことにする。


「雪乃。お疲れ様。こっちはどう?」


 信安さんと共に待っていたのは、雪乃だ。オレの妻であり万能型のアンドロイドになる。雪女をモチーフにした女性で、年齢が現在は十九歳。身長は百六十センチとこの時代では少し大きめになっているが、アンドロイドとしては標準な身長だ。


 紺色の瞳だが、一重の目で顔つきは日本人としても見えなくもない。真っ白い白髪と肌にしたせいか雪女というより幽霊みたいと言われてちょっとショックだったけど、本人としてはそれほど気にしていないのが幸いだ。


 同じく南蛮船を任せた戦闘型アンドロイドのリーファはやはり船に残っているか。上陸そのものを好まない変わった子だ。この時代の船ってそこまで居心地がいいわけではないんだけどね。


 まあ船を空に出来ないという事情もあるんだろうが。雪乃も基本は船に滞在しているが、今日はオレたちが到着したというので上陸してきたらしい。一応、髪をまとめて市女笠に薄布を垂らして、目立たないようにしたらしいが、それでも石山本願寺の坊さんや町の人々は肌の白さに驚いたのかもしれない。


 エルたちはここに来るまでは輿に乗っていたので目立たなかったけど。


「問題ないわ。さすがは石山本願寺ね。船のほうも護衛にと昼夜問わず周囲を警戒する小舟を出していただいているわ」


 ウチの船は目立つしね。よからぬことを企む者も出ないかと少し警戒していたが、石山本願寺のほうでも問題が起こらないかと警戒していたようだ。


「香木まで持っておったとはの」


 一方雪乃がわざわざ上陸したのは、もうひとつ。義統さんと信秀さんが本願寺証如と会う時に、進呈する贈り物を運んで来たからだ。


 香木。いわゆるいい匂いのする木材のことだ。薄く削って熱して香りを楽しむものや、そのままでも匂いがするので仏像などにするものもある。


 貴重品なので自分で運んできたらしい。この時代だと手癖が悪い人が多いからね。気を付けないと知らない間にポッケにナイナイされちゃう。


 そんな香木に、一緒に京の都からやってきた近衛稙家さんと、長慶の代理として三好家の兵と別れてオレたちに同行している松永久秀さんの目の色が変わった。


 史実でも東大寺正倉院の中に巨大な香木があり、歴史上の偉人が削ったなんて話もあるが、希少価値という点では銭を出しても簡単に買えないと言っても過言ではない。


 ただ、みんなありがたがるように見入っているが、あまり興味がなさげなのはオレやエルたちと慶次か。オレ自身はなんというか、そこまで欲しいものとは思えないんだが、慶次は相変わらずのへそ曲がりらしい。


 伽羅きゃらが五十グラムほどと、沈香じんこうが百グラムほど。白檀びゃくだんが数キログラムほどとなる。


 伽羅と沈香は特に入手が難しく、これを集められるだけでウチの力を見せつけることが出来るだろう。


「ちょっと小腹空いたね。なにかなかったっけ?」


「羊羹ならありますよ。お茶にしましょうか」


 みんな香木を眺めたり手に取って見ているが、オレはお腹が空いてきた。エルと一緒にお茶の支度をしよう。


 この時代だとお湯を沸かすにも水を汲み、火を付けることから必要だからね。蛇口をひねると水が出て、スイッチひとつで火が付く文明が恋しくもなるね。


「殿はあまり興味なさげでございますな」


 手伝うからと付いてきてくれたのは慶次だった。ジュリアはすでに興味を失って、マドカと雪乃と一緒に境内の散歩に行っちゃったしね。


 そんな慶次はどちらかと言えば、香木に興味がないオレたちに興味があるらしい。


「まあね。商品として高値で売れるからいいけど、所詮は木だよ? オレはご飯の匂いとか紅茶の匂いとかのほうが好きだよ」


「フハハハ、なるほど。言われてみると同意致しますな」


 ものの価値がわからない愚か者とかこの時代だと思われそうだけど、化学合成の香料なんてものがあった時代に生まれた庶民としては、あんな木片に馬鹿高い銭を掛けるのは興味がない。


 元の世界でも貴重で高価だったし、需要と供給の関係で希少価値があるのは理解するが。


 慶次はそんなオレの言葉に呵々大笑していた。


「あの香木で本願寺が織田を侮れないと思ってくれるといいんだよ。ついでに今後は買ってくれると嬉しい。商人だからね。ウチは」


「確かにあれで米がどれほど買えるか。皆で腹いっぱい飯を食うほうがよいですな」


 人は自然と身分に合わせた価値観や趣味を持つ。事実、信長さんや義輝さんも香木には興味津々だ。そして身分が低い者の身分が上がると、当人は元より、その周囲までもが、その身分に合わせたものを求める。


 そういう意味ではオレは変人なんだろうね。慶次もあんまり変わらないなぁ。


 関東では今弁慶なんて呼ばれて武功を上げたのに、元服をしても特に変わらない。変わった男だよね。





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