第697話・都の者たち

Side:曲直瀬道三の弟子


「お久しぶりでございます」


「久しいな。息災であったか?」


「はい。師もお元気そうでなによりです」


 師が突然尾張に行くと言うて都を後にして、 如何いかばかりが過ぎただろうか。斯波武衛様のお供として都に戻られたと聞き挨拶に参った。


 お元気そうでホッとしたというのが本音だ。尾張はあまり悪い噂は聞かぬとは言え、東は恐ろしい坂東武者が多いと聞き及ぶゆえにな。


「都の様子はいかがじゃ?」


「相も変わらず良うありませぬ」


「そうか……」


 わしはすでに独り立ちしておったので都に残ったが、師が去ったあとも都は酷いものだった。都は品物が高くて食べ物でさえ手に入れるのに苦労する。薬に至ってはわし如きが買えるはずもない高値でしか手に入らぬ。


 町には戦がなくとも徒党を組んで荒らす輩が頻繁に出没しており、捨てられた者や病で動けぬ者がそこらにおるのだ。


 野山を歩き己の手で薬となる草を採りなんとかやっておるが、助けられるのはごく僅かな者しかおらぬ。


 師はそんな都の現状にため息交じりに心を痛めておられる。


「いつ頃、お戻りになるので?」


「実はの。わしはもう戻らん。尾張に骨を埋めるつもりじゃ」


 師が久遠様というお方に仕えることにしたとふみが来たのは、尾張に旅立ちしばらくした頃だった。残したご家族と弟子たちを尾張に呼ばれたことから、そんな気はしておった。


 都でも噂となった南蛮船の主であり、斯波武衛家の飛躍は久遠様のおかげではとまで言われるお方のところに仕官したのも、師ならばあり得ると思い誇りに思えた。


「そなたも尾張に来るか? 少なくとも子は安心して育てられるぞ」


 都を去る者は珍しゅうない。かつては都におった各地の守護もすでにおらず、商人も僧侶でさえも都では生きてゆけぬと出ていく始末だ。


 公方様でも細川様でも三好様でもいい。戦がなく飢えぬようになれば、誰でもな。とはいえそう上手くいかぬのが世というものであろう。


「ありがたいことでございますが……」


「そうか。それもひとつの道じゃな」


 ここは、都は父や母と共に暮らして育った地なのだ。捨ててなど行けぬ。師のお心遣いは涙が出るほど嬉しいがな。


「新しき医術は学べたのでございますか?」


「ああ、学んでおる。あれが世に広まれば救われる者も多かろう。とはいえこの乱世ではな」


 明や南蛮の新しき医術を学びたいと尾張に出向いた師は、新たな暮らしに充実しておられるようでなによりだ。


「困ったらいつでも尾張に来い。都はまだまだ荒れるやもしれん」


「ありがとうございまする」


 都では尾張から仏と言われる織田弾正忠様が来ると噂になり期待する声があった。事実、直接関係があるのかないのか知らぬが、公方様と三好様の和睦がこの時になったのは織田弾正忠様の徳のおかげであろう。


 もう年老いた師が尾張の地で穏やかな日々を送っておることに感謝しつつ、わしは師と短い時を共に過ごした。


 願わくは都も争いがなくなればよいのだが……。




Side:近衛稙家


 三好は思っておった以上にまともな男よの。ほぼこちらの要求を丸呑みした。細川晴元を管領職から降ろすことは退かなかったがな。


 晴元は逃げるであろうな。大人しく出頭して隠居をするような男ではない。とはいえ比叡山も石山本願寺も、最早あやつに助力はするまい。六角、朝倉も然り。斯波と織田に至っては関わるのも嫌な様子。


 懸念は三好筑前守を嫌う者を焚きつけることであるが、その程度ならば三好がなんとか致すであろう。


 欲を言えば武衛に管領職を任せたいが、いかにもその気はまったくない様子。内匠頭とは上手くいっておるが、領国を空けるといかようになるかわからぬのが今の世じゃからの。


 もっとも武衛も内匠頭も畿内に関わるのを望まぬのは同じ。尾張に大きな利がない以上は仕方なきことか。


「父上、大樹が旅に出るなどとよいのでありますか?」


「構うまい。あのまま晴元と共におっても先はなかった。それに三好と合うかもわからん。いずれにせよ大樹には苦難の道が待っておるのだ。少しは世をみることも良かろう」


 いかにか都と畿内の大乱は避けられたかと安堵しておると、倅の内府が少し不満そうにしておる。倅の考えることなどお見通しじゃ。


「本音は其方そちも行きたいのであろう?」


「まあ、それは……」


 大樹の勝手に不満があるような様子をしておるが、本音は己も旅に行きたいのであろう。西国の大内、北陸の朝倉、東海の今川、そして尾張と今や畿内から離れるほうが栄えておるという始末じゃ。若い者ほど都を出たいと思うてもおかしくあるまい。


「今はしばし待て。時が来たら尾張には行かせる。大樹と三好の和睦が成ったとはいえ、しばし様子を見ねばならん。それにわれは大内の下におる太閤を連れ戻しに行かねばならんのじゃ。其方まで主上の下を離れると困る」


「本当でございますか?」


「嘘など言うわけがあるまい」


 ほれ見ろ。顔色が一気に変わった。最早荒れておる都に嫌気がさしておることなどお見通しじゃ。


「花火が見とうございます」


「噂の花火か。確かに見たいものじゃな」


 ほう、内府の望みは花火か。まさか織田に都で花火をやれとも言えぬしの。仮に織田が良しとしても三好がいい顔をせぬだろう。苦労して都を維持しても都の者が尾張に心酔しては面白うはずがない。


「武衛たちはそろそろ出立するが、その前に其方には会わせる。よう見ておけ。其方とは長い付き合いになるやもしれん者たちじゃ」


 内府も大樹も、三郎と一馬とは歳も近い。今から会わせておくべきであろう。もしかすると、武衛と弾正忠が兵を率いて畿内を制するなどという夢物語も実現せぬとは限らん。


 大内ほど領国が離れておれば難しかろうが、尾張と美濃だとそこまで離れておらん。近江の六角次第ではあるが……。


 三好筑前守、六角定頼。共にこの乱世で名を残すに相応しい者たちじゃ。されど乱世を治めるにはいまひとつなにかが足りん。


 それがなんなのか吾にはわからんが、もしかするとあの男にはそれが見えておるのかもしれんと思える節がある。


「久遠一馬。あの男をよう見ておけ」


「父上がそれほどお認めになるのは珍しきこと。それほどの男でございますか?」


 都が乱れて数十年。そろそろ天が動いてもおかしゅうないと思うのじゃ。もし、天が日ノ本の乱れを憂いて使者を遣わすとなれば、あのような男ではとふと思う。


 武衛と内匠頭もまた、あの男には特別ななにかを感じておる様子であるしの。


「さて、それは其方が見極めよ。少なくとも晴元と会うよりは有意義な時を過ごせよう」


 それほど歳を取ったつもりはないが、旅に出たいと申す大樹やそんな大樹と親しくなった三郎と一馬を思うと世が変わりつつあるのかと思える。


 すべては吾の勘違いでも構うまい。


 吾が次なる世を夢見ることすら忘れては、日ノ本に先はあらぬであろう。


 吾は次なる世を夢見て、今を生きてみせようぞ。






◆◆

近衛稙家の倅、近衛前久。

ただし、1551年:晴嗣→1555年:前嗣→1560年:前久と名前が変わる。

内府は内大臣の唐名。前久の現状の官位。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る