第695話・都の商人
Side:久遠一馬
官位もいただいたし、義統さんと信秀さんの参内も終わった。武衛陣在住の斯波家家臣に世話になった商人たちと会ってほしいと頼まれたので会うことにした。
苦労人なんだと思う。こっちは斯波家古参だと威張ることもなく、こちらの様子を見ながら頼んできた。この程度は想定の範囲内だし、そろそろ京の都を離れるタイミングを探しているので今日これから会うことにしたんだ。
「ほう、吉岡がおるな」
事前の招待者のリストをもらったので確認していると、相変わらず暇なようで一緒にいた義輝さんが反応したのは吉岡直元さん。通称清十郎。吉岡って武蔵に殺された吉岡か? あれ創作疑惑が強かったような?
「大御所様に仕えておった者だ。兵法が得意で武功を上げたそうだ。歳も歳らしく隠居しておったが、まだ生きておったか。確か藍染めの家業があったと聞いた記憶があるな」
間違いないね。足利将軍家剣術指南役となる吉岡家だ。ただ義輝さんのところにはまだ吉岡家の人間がいないようだ。剣術指南役として取り立てる前か?
呼んだということは世話になった人なんだろう。
「で、今日はなにを作ったのだ?」
剣豪将軍が美食将軍になるんだろうか? 義輝さんはここのところ日々の食事を人一倍楽しみにしている。そんなに目を輝かせなくても、
「鯉の味噌煮込みだと聞いていますよ」
京の都には新鮮な海の幸がない。若狭あたりからの塩漬けか川魚か肉類になるが、エルは無難に鯉にしたらしい。羊羹とうなぎが騒ぎとなったことで、珍しい料理は自重するそうだ。
多少のインパクトと朝廷への貢献のためにうなぎと羊羹は出したが、これ以上のインパクトはろくなことにならないとエルは判断した。まあ義統さん、信秀さんからもやり過ぎるなと言われたこともある。
「オレも出たいが吉岡には顔を知られておる。残念だ」
「あとで塚原殿のところにも運ばせますよ。皆さんで召し上がってください」
困った人なんだけど、嫌いじゃないんだよね。この人。世間知らずな面もあるが、それでも周りに合わせようとしている。
「気を付けるがよかろう。今巴が師に勝ったという話は京にも伝わっておろう。吉岡の性根だと手合わせしたいと言い出すかもしれんからな」
「そういうお方なんですか?」
「武芸に自信のある者はそんな者が多い」
料理とお酒で接待して終わるつもりだったんだけど、義輝さんに不吉なことを言われて思わず顔をしかめてしまった。
「アタシは別に構わないよ」
「そういうわけにもいかんだろう。面倒になるぞ。師に相談してみるか」
ただジュリアは相手が誰でも望まれたら受けて立つという性格なんだよねぇ。意外なことに義輝さんのほうが心配している。この辺りは将軍家嫡男として育ってきたと思えるところだ。
義輝さんはすぐに藤孝さんを卜伝さんのところに行かせると、卜伝さんはすぐにこっちに来た。
「吉岡清十郎殿か。わしも何度か会うたことがある。大御所様に仕えし時は自重しておったようだが、隠居したとなれば確かに手合わせをと言い出しかねんな」
卜伝さんは事情を知ると、少し考えてあり得る話だと口にした。卜伝さん自身は隠居する前に会ったのが最後で手合わせの経験はないらしい。
まあ義輝さんの親父の義晴さんの客人として会ったんだろうしな。手合わせしたいとは言えないよね。
「無難なのは主命で認められておらぬと断るのが一番であろう。昔からこの手のことは後々まで因縁として残ることがある。吉岡殿はそのようなことをせぬと思うが、それなりに弟子を抱えて一族もおるとな」
さすがは歳の功といったところか。卜伝さんは断り方まで教えてくれた。
武士もヤクザみたいなところがあるからなぁ。因縁なんて御免だ。
世話になった商人たちとの宴には信長さんも参加してくれることになった。あとはオレとエルとジュリアに資清さんと太田さんだ。
商人の側には先日会った餅屋の中村五郎左衛門さんもいて、歴史に名が残る人と言えば、中島明さんがいる。通称は四郎次郎さん。
この中島さんは小笠原長時の元家臣で、怪我で武士を辞めて商人になった人になる。史実だと彼の子が茶屋四郎次郎として有名になる人だが、現状ではまだ中島姓を名乗っているらしい。呉服屋らしいが豪商と言えるほどでもないんだとか。
それなりに大きな商人らしいが。
「これもまた、おいしゅうございますな」
一通り挨拶を済ませるとお酒と料理で宴になる。一番リラックスしているのは中村さんか。ウナギの件以降も毎日武衛陣に手伝いに来ているからね。ウナギもまだ未熟ながら捌き方を覚えたらしい。
もう少し練習して上達したら内裏にお届けするとはりきっている。今日は特に珍しい料理ではないとはいえ、きちんと下処理をしたことや味噌がウチの味噌なんで普通よりは美味しいと思う。
味付けは元の世界の京風に近いのかな? そんなに詳しくないけど。鯉も結構美味しいね。元の世界では食べたことがなかったけど。
商人たちは少し表情が硬く、中村さんが同席する商人に話したりしながら場を盛り上げている。
エルとジュリアの容姿に驚いているという部分もあるだろうし、ウチはいろいろと噂されているからなぁ。堺の件もあって恐れている人も多いと忍び衆の報告にもあった。
せっかくなんでオレも京の都の話を聞きたいとお願いした。正直世紀末の覇者でも現れそうな町だが、それでも日ノ本の中心であることに変わりない。相手を立てておかないと面倒なことになる。まして斯波家が世話になった人たちならば尚更ね。
「昔はよかったと聞き及びますな。今は内裏ですら荒れ果てております」
「かつていた公家や商人たちも随分と減りました。下京などなんど焼かれたことか」
ただ、商人たちの話はあまり景気のいいものではなかった。彼らは応仁の乱の前の京の都を親などから聞いた話でしか知らない世代だ。応仁の乱から七十年以上過ぎて、平和な時代を知るのはごくわずかな人だけだろう。
話として聞く都の話を懐かしむような商人たちの様子が京の都の現状なんだろう。無論、こちらの同情を誘うという思惑もあるのかもしれないが。
平和な時代を知らない世代はどうやって平和にしていいかわからない人も多いのかもしれない。ふとそう感じた。
まあ戦があるたびに焼かれて略奪される側とすれば、決していい気持ちはしていないんだろう。ただ生まれ故郷を捨てるというのは、オレたちが考えるより遥かに重いからね。まして京の都ならば尚更だろう。
踏ん張って生きている。そんな印象がある。
その後、ある程度和んだところで商いの話となった。京の都の商人としてはもっとウチの品が欲しいのが本音らしいね。
ただ遠方から商品を運ぶのが大変なことも理解はしている。現状だと尾張まで買いに来るなら売るという以外の約束は出来ない。とはいえ今後もお互いにいい形になるように検討したいということで落ち着く。
「鹿島新當流の塚原殿に勝ったという噂、まことでございましょうか?」
吉岡さんがそのことを口にしたのは宴も最後のほうのことだった。
「あれを勝ったと言えるのかねぇ。先生が満足してそう言ったことは確かだけどね」
単純に興味があるんだろう。ただジュリアはその答えに笑ってあるがままに答えた。勝ち負けに関しては当人同士が納得しただけで、客観的な勝ち負けとはまた違うものがある。
「手合わせの後にアタシは鹿島新當流を先生に頭を下げて習い、先生にアタシの久遠流を教えた。それが答えだよ」
塚原さんの存在は軽くない。そして塚原さんに勝ったジュリアの存在も。一部では女に負けたことで誹謗中傷されているらしいが、塚原さんと彼を直接知る者の大半はそんなことはなく正当に評価している。
懸念していた手合わせの話はなかった。とはいえ興味津々にジュリアを見ていた吉岡さんがなんか気になるんだが。
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