第689話・近衛とうなぎ
Side:久遠一馬
大量のウナギを捌き焼くことの大変さは凄かった。一日かけてなんとか間に合った感じか。
これって、さっさと捌き方を広めたほうがいいのではないだろうか。中村さんに期待しよう。エルも捌き方を教えていたしね。
「お待たせ致しました。料理は左下からウナギのひつまぶし、きゅうりの浅漬け。肝吸い。左上からウナギの骨焼き、ウナギの肝焼き、ウナギの卵巻き、ウナギのかば焼きと白焼きとなります。ひつまぶしはまずはそのままお召し上がりを、二杯目には薬味を、三杯目にはそちらの出汁を入れてお召し上がりください」
広間では近衛稙家さんを上座に、義統さんや信秀さんたちが座っていた。ああ、やっぱり帰っていなかったね。稙家さん。昨夜は泊ったらしい。
運ぶのは武衛陣の奉公人の人たちだ。オレとエルも最後に席に着いて、エルが料理を説明していく。卵に関しても明や南蛮では食べられているもので、尾張だと薬として食していると説明すると特に異論はでなかった。
「これが……鰻か?」
不思議そうに口を開いたのは稙家さんだ。かば焼きや白焼きを見て、ウナギを開いたのかと驚いている。ここの宴のメンバーには特に冷めないようにとタイミングを見計らい調理をしていたから、まだ温かい料理なんだよ。
「殿下、まずは毒見を……」
「不要じゃ。さあ、皆も遠慮せずともよい。温かきうちに
ゴクリと生唾を飲み込んだのがオレには見えた。稙家さんの近習が毒見をしようとしたが、それを制すると箸をお膳に伸ばした。
信頼していると取るべきか。武衛陣の中にウナギの匂いが広がっていて我慢できなかったとみるべきか。迷うところだ。
慣れているのは尾張から来たみんなだろう。宴でエルが料理を振舞うのは珍しくない。
「辛いぞ!」
義輝さん、ワサビは辛いものです。白焼きと一緒に食べてください。なぜ最初にワサビだけ摘まんだのですか?
宴の末席にいる資清さんは少し緊張している表情だ。公家の中の公家である近衛稙家さんや将軍様と同じ宴に出られる身分じゃないと、さっきこぼしていたからね。緊張しているんだろう。
慶次もさすがに今日は大人しい。空気の読める男だったか。ただし、箸の動きは誰よりも速い。
「なんと美味たるものじゃ……。大智よ、何故鰻を選んだ?」
まずはそのままの味をとおもったのだろう。白焼きを一口ぱくりと食べて噛みしめると驚きの表情でエルに直接問い掛けた。そんな稙家さんの様子に武衛陣の人たちが驚き、微かにどよめいた。
殿上人だからね。見た目が明らかに日ノ本の人ではない女性のエルに、そこまで親しげに声をかけるとは思わなかったのだろう。ただ、旅の時からこんな感じなんだよね。多分観音寺城の茶会と宴の影響なんだろう。
「これならば京の都でも容易に手に入ることと、下魚となっておりますが調理法次第では変わるということをお伝え出来れば、都の皆様のお役に立てると愚考いたしました」
エルの返答に武衛陣の人たちは更にどよめいた。信じられないと顔に書いている気がするほどだ。関白や太閤も歴任した人にそんなことを言うなんて思いもしなかったのだろう。
「されど、これはそなたしか作れまい?」
「餅屋の中村五郎左衛門殿にお教え致しました。しばし修練がいるでしょうが、じきにものにするでしょう。そちらのタレも中村殿に当家から融通致します」
「ホッホッホッ。見事じゃの。大智と呼ばれるだけのことはある」
見せびらかすだけ見せびらかして終わるとイメージ悪いからね。中村さんはちょうどよかった。ただ、あとでウナギの獲り過ぎに気を付けるように言っておく必要はあるかな。この時代だと根こそぎ獲るかもしれないから。
稙家さんのご機嫌な様子で場の空気が一気に和む。義輝さん? 彼は黙々とひつまぶしを食べているよ。さすがに食べ方は綺麗だが、周りの空気とか気にしちゃいない。そこんとこは将軍様だね。本当。
Side:近衛稙家
なんとも驚きじゃ。この食感、香り、そして味。いずれをとりても申し分ない。上物を
金色酒、尾張澄み酒、紅茶、花火、ほかにもまだまだあるのであろうが、近頃話題となるものはすべて久遠が日ノ本にもたらしたもの。
しかも下魚じゃぞ。ぶつ切りにして焼きしだけで、食えるだけいいという程度のウナギをこれほど変えるとは。
知恵と技を見せただけではない。それが都に残るようにとの配慮も欠かさぬ。付け入る隙も与えず嫉妬も受けぬように配慮した。一馬と大智のいずれの策か知らぬが、大樹と変わらぬ若さだけに恐ろしきとなるほどじゃな。
「これは、柔らかきものと身の歯応えが良きものがあるの」
「はい、焼き方を変えております」
白焼きにした身を山葵と久遠醤油につけて食うたが、先ほどの身と食感がまったく違う。よう見ると分けておかれておって、念のため大智に訊ねてみたが、やはり焼き方を変えておるか。
臭みもない。醤油と山葵がよう合うの。酒が進むというもの。
おっと、ひつまぶしというたか。おひつに入りし飯も食わねば。大樹が人目も憚らず食うておるのが気になっておったのじゃ。
朽木でもたいそう良うしてもろうたが、そうそう温かい飯は食えなんだ。朽木の者を疑うわけではないが管領が
ああ、やはり飯は温かきものに限る。しかも白飯とは豪勢な。香ばしゅうに焼いたウナギとタレであろうか。白飯にかけてある。見た目もよいの。
しかし自ら椀に飯を盛るのは初めてじゃ。近習がやろうとしたが制した。これはこれで面白きことよ。久遠家の料理ならば久遠家の作法で食すべきであろう。
「ほう……」
まだ温かき白飯には甘辛いタレが染みておって、これだけで美味し。ウナギも一口で食せるように切られておって、皮が香ばしゅうて身は肉厚でよいの。
箸が止まらぬ。大樹が我を忘れたように食うたのがようわかる。まあ大樹だけではないな。平然としておるのは武衛と三河守とその嫡男に久遠家の者くらいじゃ。食べなれておるのかと思うと少し嫉妬しそうになるわ。
いかんな。ここで吾が隙を見せては日ノ本の恥となろう。ウナギを鶏の卵で巻いたもので落ち着くか。
「……これは鶏の卵とは、斯様な味になるのか?」
ああ、つい余計なことを口にしてしまったわ。ウナギの味は覚えたのじゃ。驚きに至ることはないと
「はい。明や南蛮ではよく食べられているもので、当家では長寿の薬とも言われております」
宴がかほどに静かなのも珍しいわ。場の様子が重苦しいのではない。皆が
肝の吸い物か。これは……。なるほど、
この肝と骨を焼きしものもよいのう。酒がよう進む。
ああ、ひつまぶしの二杯目と三杯目がまだあるのであったな。飯をお代わりするなど若い頃に戻りたようじゃわい。
薬味と出汁をかけるとまた味わいが変わる。このような飯がこの世にあったとはのう。
なにもかもいずれでも良うなるほど美味し。明日からは内裏に参内して三好と和睦を皆に
ウナギならば
それにしても、美味し。
美味しよの。あと、このタレのかかりし飯をあと椀に一杯だけでもくれぬものか。
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