第670話・悩む宗滴

Side:朝倉宗滴


 尾張はいったい、いかがなっておるのだ? 玻璃の器に、紅茶の冷たさと入れた牛の乳の癖のなさに驚きながら考えてしまう。


 笑っておるのだ。武衛殿と弾正忠殿が。嘘かまことかわからぬ戯言とも取れることを口にしてな。そんなふたりに困ったような顔をしつつ久遠殿もまた笑っておる。


 これが守護とその家臣の様子だというのか?


 弾正忠殿は武衛殿を傀儡としておるとも思えるし、そうでないとも思える。もともと守護は京の都にあって、領地は守護代が治めるものだ。


 そう考えれば守護が直接領地を治めることはない。とはいえそれは今や昔のこと。わしが物心つくより前からすでに各地では守護代が力を付けて勝手をしておる。我が朝倉家もまた言い分はあれど、傍目はために見るとそうみえるはずだ。


 織田が領地を治めて守護は外向きな役目を果たす。これではまるでかつての守護と守護代の役目がそのままのようではないか。


 かつて大和守家の時は、まさしく傀儡だったようだし、今もそれは変わらぬと思うておったが、傀儡にするには武衛殿は聡明すぎる。


 三管領家として足利家を盛り立てようというのか?


 尾張はいかんとも理解出来ぬ国だ。堺を敵に回して絶縁したかと思えば、攻め獲れる北近江を放棄した。まるで野心がないかのように振る舞うが、気が付くと領地が増えておる。


 公方様には申し訳ないが、今時、足利家の定めた法など誰も守っておらぬ。誰が征夷大将軍を継ごうともほとんど影響はないのだ。畿内ですら公方様のご威光は最早あってないようなものになりつつある。


 そんな中で足利の定めた法を守るようにしつつ、まったく異質な国を作っておる。これはいかがみるべきだ?


 気になるのは、やはり久遠殿とその奥方たちか。


 鹿島新當流の塚原卜伝が認めて自ら師事したという今巴の方。確かに強い。見ておるだけでも震えがくるような女は初めてだ。それと大智の方。あの一向衆を殲滅に追いやったのは、かの者の策であるという噂がある。いささか誇張した噂であろうと思うておったが、会ってみるとまったくの嘘とも思えぬ。まるでこちらを見透かすような目をしておる。


 とはいえ一番わからぬのはこの男。久遠家当主だ。ある者は恐ろしき野心を抱えた男だと言う。またある者は武士としては不向きなほど甘く慈悲深いとまで言う。


 尾張のここ数年の変化がこの男の影響であること以外は、よくわからぬ男だ。日ノ本の外で生まれ育っただけに日ノ本とまったく違うものの見方をすると、馴染みの公家が言うておったが、それが一番しっくりくる。


 まるでわしの思惑を見透かしたように鷹の話を口にした時などは、少し寒気がしたほどだ。


 いっそのこと戦でもしてみれば、この者たちがいかなる者かわかるというものだが、勝てぬであろうな。


 戦とは武士がいかにやる気になっても、それだけで勝てるものではない。明の言葉に『天の時、地の利、人の和』という言葉があるが、まさにその通りであろう。


 尾張を敵とするならば、まだ一向衆を敵とするほうがいい。あの者たちは所詮は我らと考えておることが変わらん。いくらでも戦いようがある。


「そうだ。今度、屋敷にいらしてください。是非、鷹のことをお聞きしたいと思います。代わりと言ってはなんですが、当家で試しておることを僅かですがお見せいたしますよ」


「ほう、それは願ってもないことですな。某も是非、明や南蛮のことをお聞きしたいと思うておりました」


 夏なれば、寸刻すんこくしか貴重な冷たさを保てぬ紅茶を名残惜むように味わっておると、久遠殿から予期せぬ話をされた。


 この男、やはり油断ならんな。


 とはいえわしに出来ることは限られておる。勝てぬ以上は戦以外に道を探すしかあるまい。それがたとえ相手の策であるとしてもな。




side:久遠一馬


 浅井久政と捕虜たちの扱いが決まった。


 すでに今須宿を襲った者、美濃で賊として捕らえられた者、土岐家の旧臣で追放されていた者は処罰された。主立った者と土岐家の旧臣は磔にされて切腹も許されなかった。


 これに関して彼らは六角に助けてもらおうと使者として来ている後藤さんにすがったらしいが、当然相手にされるはずもなく見捨てられた。勝手に騒動を起こしたんだ、当然だろう。


 なお土岐家旧臣に関しては、血縁がある国人や土豪の一部では追放された者の動きを織田家に報告している。彼らには褒美が与えられたが、逆に一切報告もなかったところや、一族や領民の一部が助けたところは厳しく詮議が行われている。


 領地召し上げまでいきそうなところもある。この時代ではよくあることだが、敵味方の双方に人を送り生き残りを図ることがあるんだよね。さすがに一族郎党の命までは奪わないが領地は召し上げだろう。やる気と反省があるなら俸禄で出直しとなる。島流しの出番はあるかな?


 この件にはウチは関与をしていない。信康さんと道三さん、義龍さんが中心になり対処している。正直小さい領地をぽつぽつと召し上げてもすぐには利益にはならない。手間がかかる割に実入りは多くないからね。とはいえ長い目で見れば悪いことではないんだけど。


 残りの久政が助命嘆願した家臣たちと久政本人は六角預かりとなる。こちらからは久政本人を含めた助命の確約で引き渡す。もともと六角定頼もあまり苛烈な処罰はするつもりがないようで、全員隠居で決まりだろう。


 まるで謀略で漁夫の利を得たような印象になるのを嫌がっているので、寛大にせざるを得ないというのがエルの見立てだ。信用や風評はオレが思っていた以上にみんな気にしている。


 気にしていないのは土豪や国人レベルとか、道三さんや武田のような開き直った人たちなんだろう。


「しかし、六角からの銭を断るとはな」


 お茶会も終わり清洲城にある織田家の私邸にて休憩していると、信長さんがなんとも言えない様子で六角とのことを口にした。


 六角では今回のお詫びに銭を支払うと内々に言ってきたんだ。北近江の領地の代わりをどうするかは六角でも悩んだようだね。地理的な要所であり、今の尾張と比べちゃダメだけど一般的な実入りも悪くはないからね。断ったけど。


「近江や畿内では相変わらず銭が不足気味ですので。下手に受け取るとそれを悪化させます。その結果、こちらの良銭が流れることになり、あまり得はありませんね」


 信長さんの問いにエルは少し苦笑いを浮かべて仕方なかったと語る。この件は評定でも結構な議論になったが、これ以上畿内の経済を悪化させるとこちらにも悪影響を及ぼす可能性が高い。


 銅銭を日ノ本に正規のルートで供給している大内家において、どうも史実通り謀叛が起きそうなんだよね。史実の大寧寺の変だ。あれが起きれば明との勘合貿易が終わる可能性が高い。


 史実で貫高制から石高制になった原因のひとつでもあり、貨幣経済の崩壊とまではいかないだろうが、ちょっとシャレにならない事件になる。


 もっと言えば、六角には織田のような良銭で大金をそろえる力はないだろう。それに悪銭や鐚銭を織田で定める材料としての価値しか認めないようなレートで払うことも難しいだろう。この件は五千貫分を良銭やこちらが欲しがる金や銀で、ポンと寄越した本願寺が凄すぎただけだ。あれは参考にならない。


 近江は堺に対しては織田の定める悪銭や鐚銭の材料分しか認めない価値での取引もしているが、すべてそれに移行したわけではない。日ノ本全体としてはデフレであり、その上で近江は尾張、美濃の影響で多少のインフレの傾向もあり、貨幣が足りないので出来ないと言ってもいい。


 六角とは交易に関する優遇と商人の保護。それと上洛の際の道案内で話を纏めつつある。当然それには無茶を言いそうな剣豪将軍とか諸勢力への対処も含まれている。


 虫型偵察機などの情報では剣豪将軍こと足利義輝は、歴史の創作物で見るほど傲慢でも物事が見えてないという人物でもなさそうではある。ただ、将軍の周囲にいる幕臣や細川晴元など、正直始末したほうが世のために思える人もいる。


 史実でも将軍が殺されたのに側近は逃げて義昭の擁立に動いたからね。信用ならない人たちだ。


 比叡山との関係もあまり良くない。どうも織田は本願寺と親しいと畿内で見られているからね。面倒事が起きたら六角に丸投げすることが一番だ。


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