第659話・熱田の様子

Side:久遠一馬


 花火大会のために今年も公家の皆さんがやってきた。日々の暮らしが苦しいなどと聞くが、毎年のように花火見物に来る。


 実際飢えるというほどでもないのだろう。ただ公家は昨年と同様に越前と駿河から来た人たちがほとんどで、京の都から来た公家は数えるほどしかいないようだ。


 京の都の公家は単純に旅費が出せないのだろう。京の都では公家が趣味と称して、山菜採りや魚釣りをして食べている者も珍しくないんだとか。殿上人でさえ食えずに困ることもあるとすら聞くからね。


 越前や駿河の公家は朝倉や今川が旅費を援助しているようだ。尾張の内情を探り、友好を深めるという意味では悪くない選択肢だからだろう。


 あと伊勢の北畠家や大湊の会合衆に願証寺なんかは今年も招待している。みんな花火見物を楽しみにしているみたいなんだよねぇ。


 北畠家の具教さんは放っておいてもお忍びで来そうだが、願証寺あたりは招待しないと上層部が来られないということで、それとなく招待してもらえるのかと気にしているとの情報が入った。


 当然、斯波家名義で家族を連れて花火見物来ませんかと招待しておいたので、今後も願証寺との友好な関係は続くだろう。


 そうそう招待といえば三河と美濃の独立領主も招待してある。なんかこの前会ったばかりなんだけどね。花火は招待する人を増やしたところでさほど費用が変わるわけではないし。


「しかし、ゲルは本当に役に立つね」


 今日は熱田に入り熱田祭りの準備の手伝いをしているが、熱田郊外にはゲルが並び臨時の宿として機能している。これは関ケ原にて軍が使っていたものを持ち帰ったものだ。


 寺社や近隣の村まで旅人が泊まっているが、足りるはずもなく野宿している人すら珍しくない。せっかくなんで関ケ原で軍が使っていたゲルが空いていたので臨時の宿にしたが、これも結構評判がいい。


「戦以外でこれほど人が多く集まるなど、あまり考えませぬからな」


 今日のお供である太田さんが、立ち並ぶゲルを見てその数をメモしている。この人も忙しいんだよね。最近では関ケ原の戦の資料をまとめているらしい。参戦した兵の数は元より、布陣の詳細な様子から戦の流れまでいろいろとメモして記録に残すべく頑張っている。


 太田さんで言えば、昨年のウチの島へ帰省した時の様子を記した『天文十九年久遠諸島訪問記』という本が完成していて関係者に配られた。評判も上々で慶次の協力で紙芝居バージョンの製作に現在は入っているんだとか。


 紙芝居に関しては関東訪問の時のお話である、『天文関東道中記』がすでに紙芝居化していて人気だからね。


「やはり警備兵が足りませんね」


「そうか。人を増やさないと駄目か」


 ちょうどゲルに泊る他国の人たちに見せるべく紙芝居が行われていた。オレはそれを見ていたが、警備の状況を確認しに行っていたセレスが渋い表情で戻ってきた。


 警備兵も熱田に常駐している人以外に増員したんだけどね。清洲、那古野、津島、蟹江もこの時期は人が増えるから、あまり他から引き抜けない。


 あとは信長さんの領地で土地と切り離した武官も動員して警備をさせているが、どこもかしこも警備兵は不足気味だ。


 織田家の武士を動員するしかないだろうな。領民までは動員しなくてもいいだろうが、期間中の警備要員として臨時で人の募集もしておくか。花火の当日と翌日は賦役もお休みにするので働きたい人がいるだろう。


 ただ元の世界で言う市中警備という概念もあまりない時代だ。警備をさせるのでも警備兵と組ませる必要もある。この手のイベントは何回もしているが、毎回課題が見つかるね。




「熱田は正条植が多いね?」


「昨年試しに正条植にした田んぼが良かったからですわ」


 そのままオレたちは視察を終えて熱田の屋敷に立ち寄った。屋敷を任せているシンディもここのところ忙しいようで、屋敷ではウチの家臣や奉公人が忙しそうに働いている。


 シンディにひとつ気になったことを尋ねてみるが、どうも熱田は農業改革の先進地らしい。


「そうか。意外と言えば意外だなぁ」


「いいものは積極的に取り入れるべきだと熱田神社で号令をかけましたから。まあ田んぼの仕事より賦役や人足の仕事が増えたので、単純に効率化を進めたという理由もありますわ」


 紅茶を淹れてもらい、一息ついて話を聞く。蟹江も好景気で仕事が増えたが、近隣の田んぼの効率化まではしていない。熱田は一歩先に行ったね。千秋さんが音頭をとったんだろう。


 税の権限とかほとんど織田家で取り上げたが、領地は未だ国人に任せている部分が多い。熱田神社のように積極的なところは恩恵を受けているんだよね。


 この分だと対抗意識から津島でも農業改革が進むだろう。険悪な雰囲気とかはないし協力するところは協力しているがライバル意識はあるみたいだし。


「区画整理もしてくれるといいんだけど」


「そこまでいくと大変ですもの。それは織田家で号令をかけるべきだという意見ですわ」


 本当は区画整理をしての正条植が理想なんだが、熱田神社でも細々とした田んぼの整理は大変らしい。


 この時代の特徴なんだろうね。やりたいなら強権を発動してしまえという意見が結構ある。ウチのやり方が甘いとか温いとかはよく言われる。


 反発があっても力で従わせろという意見が多く、反発する側もそれなら仕方ないと諦めも付くそうだ。もっともそんな強権を連発すると誰も付いてこなくなるだろうから、結局は地道に理解してもらう必要があると思うんだが。


「関所と街道整備で強権発動したからなぁ」


 熱田神社の意見はもっともだ。本音は従うから織田家の責任で命じろということだろう。とはいえすでに関所統廃合と街道整備はだいぶ強権を発動している。利害調整はしたが、自分たちの利権を手放したくないのが当たり前だしね。


 街道整備は今でも揉めている。単純に道の凸凹を直す程度ならば誰も文句を言わないが、道を新しく作るとか、広げるとかなるといろいろ騒ぐ人が出てくる。これは元の世界と変わらないね。


 織田家では現在、河川の抜本的な改修計画と共に街道の新設を含めた整備も計画している。素案は例によってウチで出したものだが、東海道はともかく残りは田舎道がある程度だからね。


 美濃の稲葉山城下である井ノ口や、尾張の犬山から岩倉を経て清洲を繋ぐ道の整備など美濃と尾張上四郡の整備計画も検討が始まった。


 下四郡も蟹江を中心に津島や熱田と結ぶ街道は、ほぼ新設と言っても過言ではないほどの計画で現在工事が進んでいる。


 熱田で言えば、那古野へ繋がる街道を新しくする計画も出ている。清洲と那古野間の真っ直ぐで橋が掛かっている街道の評判がいいんだよね。本当。


 領地防衛の観点から道の整備なんて考えなかった人たちだが、織田家が盤石だと判断してその恩恵に与ろうとすると街道の整備が必要なのはわかることだ。


 しかも街道整備は織田家のお金でしてくれる。誘致合戦とまではいかないが、早く動いた者が得をすると気付いている者は当然いるんだよね。


「しかし忙しそうだね」


「熱田の者として当然ですわ」


 ウチの家臣は忙しい人が多いが、今日の熱田の屋敷も本当に忙しそう。ウチは別に熱田神社の氏子でないし、正式に熱田神社の支配下にいるわけでもない。


 とはいえシンディは熱田に住む身として当然協力しているみたいだ。この時代、祭りは一大イベントだからなぁ。


 エルもさっきから熱田神社の宮司さんたちと相談している。招待客の皆さんのもてなしなどは熱田神社にも協力してもらうからね。


 その分、熱田神社には多額の寄進などが集まる。北畠家は公卿家の体面があるから当然としても、願証寺からも寄進があるんだそうだ。いいのかと思うが、持ちつ持たれつというところか。


 願証寺は相変わらず独立寺領としてあまり口出ししてないが、昨年にウチがすすめて始めた綿花の栽培なども含めてすでに尾張の経済的植民地と化している。


 放っておくとあそこだけ飢えるんだよね。賦役の出稼ぎ労働者でなんとか食っているが、止めたら大変なことになるくらいには。


 まあ大人しく従う者を潰すほど暇じゃないんで、願証寺の面子をつぶさぬように織田でも気を使っているけどね。




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