第658話・宗滴、ラーメンから尾張を悟る
Side:朝倉宗滴
斯波も織田もまことに北近江を取らぬか。理解はする。六角や京極がおる北近江は厄介な土地だ。我が朝倉家にもこの機会に北近江を取ってはとの声もあったが、わしはあり得ぬと一笑に付した。
我が朝倉家の場合は北には一向衆がおり、西の若狭も落ち着かぬ土地だ。南の近江と東の美濃まで敵には回せぬ。そういう意味では浅井は悪くない存在だったのだが。
「おお、昼ですな」
浅井領の扱いから、織田が捕まえた浅井久政とその他の者たちの扱い、また織田との交易の話など詰めることは多い。
そんな話をしておると、鐘の音が聞こえた。寺の鐘とは違うこの音は時計塔という時を知らせる鐘の音らしい。
規則正しい
「これは……」
「久遠家の拉麺でございます。近頃では尾張名物として知られておる料理ですな。なんでも明の料理を模したのだとか」
わしは好き嫌いもなにもない。食べられるものはありがたく頂くのが信条だ。この日、昼食にと出されたのは見たこともないものだった。
交渉をしておる平手殿が運ばせたのは、噂の拉麺か。越前にも参る旅の商人がえらく気に入ったと話しておったとか。連れてきた若い者が八屋という店に行き、これを食べたいと言っておったのだ。
「拉麺と言えば、八屋だと聞き及びましたが?」
「さすがは朝倉殿、よくご存じですな。ですが久遠家から直接作り方を習った料理番が作っております。味は八屋に負けておりませぬぞ」
自慢なのだろう。平手殿の表情が誇らしげに見える。今朝もそうだ。特に祝いでもない朝飯に鮭や豆腐があった。夜の宴では白い米を出しておったし、織田では随分と飯に銭をかけておる。
少々贅沢ではないのかとも思うが、だからと言って無駄というわけではない。茶にしても織田の花火とやらにしても、それがそのまま腹の足しになるわけではないからな。
「おおっ、これは美味い」
冷めぬうちにと勧められて若い者がさっそく箸を付けたが、驚きの声を挙げた。どれ、わしも頂くとするか。
ふむ、なんと複雑な味の汁だ。塩でも味噌でもない。田舎の料理のように塩辛くないのはもちろんのこと、京の都のように味が薄くもない。
ああ、美味い。縮れた麺に汁がよく絡む。それとこのメンマというらしいものは、シャキシャキとしていて美味い。それと野菜を炒めたものと、肉を焼いた叉焼というものに、海苔を板状にしたものが乗っておる。
いずれも美味い。汁によく合うように作られておる。殿もお好きな味かもしれん。
「いかがかな?」
「大変おいしゅうございますな」
平手殿がこちらの様子を見て声を掛けてきた。少し悔しいが美味い。無論、尾張など田舎だと軽んじておったわけではない。とはいえ越前にないものがこれほどあるのかと驚いておるのは事実。
戦に関しても噂の金色砲ばかりが騒がれるが、明や南蛮の兵法もあるのではないのか? むしろそちらのほうがわしには恐ろしい。
十年、いや、あと五年若ければ……。いや、それは言い訳か。わしには人より長い時があったのだ。それでもこれが現状なのだ。
敵には回せぬな。あまりに得体が知れぬものが多過ぎる。それに民の信もある。戦となれば民が自ら集まるほどだというのだ。まるで一向衆のようではないか。
武衛殿とはわしが、なんとか和睦の活路を開かねばならんな。武士は戦に勝ってこそ武士なのだ。勝てぬ戦をするのは愚かなこと。たとえ犬畜生と言われようが臆病者と謗られようが、勝てぬ戦などしてはならん。
武芸も戦も国も同じだ。ひとつひとつの積み重ねが強さとなり勝ちとなる。なにかひとつでも尾張で学んで帰らねばならんな。
Side:久遠一馬
花火大会を間近にして、尾張には昨年以上の人が集まっている。人の噂が広がるのは早いというが、情報を周知させるのは大変ともいう。情報伝達が人の口に頼っているこの時代では、花火という新しいものが知られるのに時間が掛かっているということがあるんだろう。
まあ自分の村や領地を一歩離れると、そこは敵地と変わらぬ危険な時代だ。尾張はまだマシだけど、そう簡単に他国まで行ける人は多くない。
そんな時代にも拘らず、尾張まで花火を見に来たという人が多い。織田領外で比較的多いのは伊勢か。北畠家と友好関係にあり大湊とは商いで毎日のように船が行き来している。
伊勢の商人なんかがこれを機会に尾張に来る人が多いみたいだ。
「しかし花火、人気だねぇ」
そうそう、西美濃にて浅井家の放った賊を捕縛することに成功した人たちへの褒美が決まった。
花火見物と蟹江の温泉に清洲城の見学だ。時期的に旅館とかは無理でゲルでの宿泊になるが、温泉と食事はウチが提供する。
これに関しては資清さんや家臣のみんなと相談して、花火見物を避けて旅館に泊まれるようにするか、ゲルを利用して花火見物にするかでみんなで考えたんだが、ほぼ全員が花火見物を加えるべきだという意見となった。
一度は見てみたいものらしく、忍び衆の報告でも花火見物が出来るのではと期待しているとあったからね。
褒美の対象者が最終的には三百人ほどにまで膨れ上がったので、表向きは織田家からの褒美ということにしてウチに褒美を与えるように命じる形をとってもらった。
少数なら良かったんだけど、あまり増えるとウチが単独で褒美をあげるのもよくないからね。
「そりゃあ、そうでしょ。娯楽なんて子作りだけなんてのが当然だもの」
「だから子供が多いワケ」
今日は蟹江に来ていて、ミレイとエミールと褒美としてやってくる領民の受け入れについて相談していたが、この忙しい時に仕事を増やしてとちょっとぼやかれたよ。
確かに娯楽がないんだよなぁ。年に一度の祭りが唯一の娯楽だというのも珍しくない。日々の食事も食べるのがやっとで、ミレイの言うように唯一の楽しみが子作りくらいというのが比較的貧しい領民にはよくあることだ。
子供が大人になる割合もよくない。半分も大人になればいいほうで、子供は労働力にもなる。避妊なんて領民にはないし、本能のままに子供を増やしていくような感じなんだよね。
「そういえば人形劇はどう?」
「あれ? 相変わらず人気よ。あちこちに呼ばれているもの」
まだまだ課題は多いなと思いつつ、娯楽という言葉に人形劇を思い出した。慶次とすずとチェリーが流れの芸人みたいな人たちに人形を貸し与えて始めたんだが、地味に人気なんだよね。
基本的に蟹江と清洲と那古野で公演しているが、各地の寺社や国人なんかに呼ばれることもあるのだとか。
十八番は、どこかのお殿様の家来がお酒に酔って子供を無礼打ちにしようとするのを助けるお話だ。
まあ領民はみんなそれが誰だか知っているので、土岐頼芸を罵倒する声援がよく飛ぶらしい。土岐家に血縁がある国人がそんな人形劇をする様子を見て、肩身が狭いと嘆いていたとか。
それと、どっかのお立ち台に上る人が使いそうなド派手な扇子を作らせたのは君たちだね? 今使っているその羽がついた扇子が証拠だ。
いつの間にか尾張土産になっているじゃないか。扇子には花火の絵や清洲城の絵や南蛮船の絵など様々なものが描かれている。
基本一点ものなので値段も高価だが、最近尾張には畿内から文化人が集まっており、絵心のある人が飯の種にと作っているんだよね。
たかが土産品と侮ることなかれ。商人も地元の武士や寺社への献上品として結構買っていく。山の村で作っている木彫りの動物とかもあるし土産物は本当に増えたね。
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