第645話・領地を失った者の後日談

Side:久遠一馬


 半月ほど滞在した関ケ原を後にして大垣に戻ってきた。


 六角と朝倉との折衝で、浅井久政と浅井領の扱いを清洲で交渉することで話がまとまったためだ。関ケ原の荷留は戦のあとも貴重品など一部では継続していたが、この段階で完全に解除した。


 ただし不破の関は今後も保持していくことになり、荷物検査や怪しい人の入国禁止は継続して行うことになる。


「浅井領の現状は?」


「よくありませぬな。小谷城は片桐殿が留守居役として未だ浅井家が維持しておりまするが、当主が帰らぬところではすでに新しい当主が立っております。近隣との小競り合いをしておるところも幾つかありますれば……」


 近江には忍び衆と伊賀者が結構入っている。望月さんが彼らの報告をまとめて持ってきたが、北近江三郡は嵐の前の静けさという雰囲気らしい。


 片桐さん。史実の片桐且元の親父さんだ。義理堅い人で留守を任された小谷城を孤軍奮闘とも言える中で守っている。


 国人や土豪は様々だ。はやくもポスト浅井を目論み動いているところもあるし、長年争っていた水や土地の利権で小競り合いを始めた者もいる。悲しいかな捕虜として捕らえられた者の家では、すでに死んだものとして切り替えているところが多い。


 もっとも大きな騒動には当分なりそうもない。北近江三郡でも浅井長政の母方の伯父にあたる井口経親が六角に臣従しているし、ほかにも浅井家が領有していた北近江三郡のうち一番南にある坂田郡などは六角の影響が強くなっている。


 一番の問題が働き盛りの人たちが千人以上帰らぬことだ。織田が攻めてくるという根強い噂もあり、派手に動けないというところもある。


 しかしまあ、当主がこんな形で帰らないとどうなるかは史実を見ても明らかだ。史実の織田家だって分裂してしまったくらいだ。


「しかし殿、あの犬たちは伊賀者が驚き、真似したいと申しておりましたぞ」


 浅井領は悪いが六角と朝倉次第だ。織田としては維持する意味がない場所は取らないというのが結論だ。今回の戦で西美濃の堅守に街道整備や尾張と西美濃の一体化が進んだだけで十分だろう。


 話を変えるわけではないが、望月さんは今回の戦で大活躍した警察犬、ウチでは警備犬と呼ばれているが、彼らのことを口にした。


 浅井の工作として西美濃に入った賊の捜索から、戦のあとの敗残兵狩りでも大活躍したんだ。山での捜索の大変さを知る伊賀者も当然見たんだろう。


「やれるものならやってみたらいい。駄目と言ってもやるんでしょ?」


「まあ、そうでございますな。密かに試すことくらいは致しましょう」


 志願してきた伊賀者も大活躍だった。近江での情報収集から敗残兵の追跡まで見事だったとすら思う。伊賀者は基本的にウチの志願兵として扱ったんだが、差別されなかったと喜んでいるみたい。


 どんだけ酷い扱いだったんだ。特に優遇したわけでもないのに。


 ただ彼らはウチのやり方や道具を見て真似ようとしている。著作権とかない時代だしね。真似たもん勝ちな時代だ。もしかするとそれも志願兵の狙いだったのかも。


 とはいえ犬たちを上手く使うには訓練も必要だが、その訓練方法も伊賀者は知らない。当面は戦力にならないだろうね。しかも訓練に長い時間がかかるので、使い捨てにするほど軽い存在じゃない。


 伊賀者だと使いどころが難しいかもしれないね。




side:服部家元家臣


 父の墓参りのために久方ぶりに故郷の市江島に戻ったが、服部家のことなど誰もが忘れたかのように穏やかな村になっておる。


 湊も新しくなり佐治水軍の船が見受けられて、輪中の堤も補修が進んでおるではないか。


 田んぼの一部が見慣れぬ作物に代わっておるので気になって聞いてみたが、綿花だと言う。そういえば三河や長島で作った綿花が蟹江に運ばれておったのを思い出した。ここでも作っておるとは。


「和尚、久しぶりだな」


「これはお久しぶりでございます」


 父の墓のある寺を訪れると、馴染みの和尚が元気そうな様子で出迎えてくれた。


「息災でなによりだ」


「はい、以前より楽になりました」


 ここは水害が多いからか、海の水が周囲から流れ込むからか知らぬが、田んぼの稲が上手く育たぬ時もある。この辺りの輪中は皆似たようなものだが、お世辞にもいい土地とはいえぬ。


 魚が捕れることで飢えるとまではいかぬが、苦労が多い土地だ。三郎様の領地となり、いかがなるのかと案じておったが、信じられぬほど変わったな。


「今はいかがされておられるので?」


「わしか? わしは蟹江で文官をしておる。毎日諸国から来る船を検める役目だ。あの頃より暮らしが楽になったのは皮肉にしか思えんがな」


 かつての領地の者たちも、今は織田の賦役に出ておって、暮らしは上向いておると和尚に聞かされ安堵する。


 和尚はわしを案じるように近況を問うてきたが、わしも今の暮らしは悪くない。主家を裏切ったと陰口を叩かれることもあるし、領地を失った愚か者と謗られることもある。


 とはいえそれでも昔よりは暮らしが遥かに楽になった。わしは船にも乗れるし文官仕事も出来ることから少し前に蟹江にて役目を頂いたのだ。元の領地を召し上げられた時に約束された俸禄は今もいただいておるので、かつての領民や服部家の元同僚に悪いとさえ思う時があるほどだ。


「それはようごさいましたな。旧領の村の者も案じておりましたぞ」


 和尚もわしの着物を見てある程度は理解しておったようだが、服部家の時とは互いに全く変わった。


「服部の殿も愚かなことをしたものだ。少しでいいのだ。頭を下げておれば、今のわしよりもいい暮らしが出来ておったであろうに」


 父の墓のある寺に来ると昔を思い出す。悩み困ればよく和尚に相談したものだ。


「あのお方には無理でございましょう。願証寺もだいぶ変わりましたぞ。現状に納得せずに去った者も多いと聞き及んでおります」


 かつての殿はお世辞にもいい主君とは言えなかった。とはいえ主家は主家だ。いかがすればよいのかと悩むわしに和尚は親身になってくれたな。


 願証寺も変わったか。確かに近頃では願証寺の坊主が蟹江に来て温泉に入る姿もよく見られる。以前ならば考えられぬことだ。互いにそこまで信じておらなんだからな。


「そうだ。少ないが寄進しようと思ってな。銭を持参した。そろそろ本堂も建て替えが要る時期だ。足しにしてくれ」


「ありがとうございます」


 思っておった以上に寺の様子はいいようだ。わしが生まれる前からある寺の本堂はそろそろ建て替えの時期で困っておるかと思い、持ってきたが、そうでもないのかもしれぬ。


 まあ足りぬよりはいいはずだ。持参した銭は寄進して帰ろう。


「和尚、困ったら蟹江に来い。力になるぞ」


「はっ。源三郎様も、どうかお体にお気をつけて」


 わしは和尚と別れるとかつての領地の村に足を運んだ。若い連中は半数以上おらなかったが、長老衆が喜んで出迎えてくれた。


 皆元気そうで何よりだ。是非泊っていってほしいと言われたが、役目があり今日中には帰らねばならんというと残念そうにしてくれた。


 すでに失ったとはいえ故郷であり領地だった場所だ。皆が笑って暮らしておることがなにより誇らしい。


 明日からも頑張らねばなるまい。皆が少しでも同じように平穏無事に生きられるために、わしも尽力せねばならん。


 船で市江島を離れていくと、遠ざかる故郷にそれを誓わずにはおられなかった。




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