第644話・武田家家臣の憂鬱
Side:真田幸綱
尾張に来てからというもの、甲斐がいかに貧しいか嫌というほど実感しておるわ。しかも戦をすれば負け知らずとなれば、今川が
「銭、兵糧、人。すべてにおいて織田は盤石だ」
先日、織田が戦を見分せぬかと言うてきたので、関ケ原にて織田と近江の浅井の戦を見分した。一言でいえば己の強さを見せつけたかっただけであろう。
ただ恐ろしいのは、いかにして戦を減らすか知恵を貸してほしいと我らにまで言われたことだ。何処まで本音かは知らぬ。とはいえ戦のない国を造りたいと本気で考えておるのは確かであろう。
「ではあの件は受けるのか?」
「御屋形様の許可はある。なによりここで暮らすには銭がいる」
そんな我らだが織田から思いもよらぬ提案をされた。
織田学校にて我らが師となり、子たちに教えてやらぬかと言われた。信濃や甲斐の暮らしや伝統に文化、またそれぞれが得意なことを教えてよいという。織田も教えるのだからこちらもなにか教えろということであろうが、なんともおかしなことを考えるものだ。
拒否すると織田の心証を悪くする。それに謝礼もくれるというのだ。悪い話ではない。正直、賦役の現場で働きたいとすら思うこともある。
いかにも織田には、我らの暮らしが厳しいことを知られておるようだな。
「一日三食とは尾張は余裕だな」
「薬師の方の教えらしい。効果はあろう」
尾張での暮らしは甲斐や信濃とは違い過ぎる。飯は一日三食が望ましく、野菜や魚も食べるようにと勧めておるのだ。
甲斐ならばそのようなことが出来るかと激怒しそうだが、尾張では真面目に働けば出来ぬこともない。
「
我らは甲斐や信濃での暮らしを続けるという名目で一日二食にして、しかも日々の暮らしで飲んでおった濁り酒すらここでは満足に飲めぬ。飯も麦飯で、小さな鰯を干したものがここでは安く、領民がよく食べるのだとか。それと味噌汁くらいしか毎日は食べられん。
とはいえ毎日魚が食えるのは悪いことではない。甲斐では無理だからな。若君は学校にて昼を食べておられるようで、変わった飯が食えると喜んでおられる。
まあ甲斐の御屋形様には文で織田の様子や尾張の様子を送ったので、甲斐から送られてくる銭は多少増えた。京の都より物の値は安いが珍しき品があふれておって、甲斐源氏の面目を保つには相応の銭が掛かることは察していただけたようだ。
もっとも我ら家臣の暮らしは変えられぬが。ここで尾張に合わせて贅沢をすれば、後でなにを言われるかわからん。御屋形様はともかく重臣たちは許すまい。
わしの場合は、別に信濃の領地から米は送らせておるが、それでも手間と途中の税と
「憎らしきは今川だ」
「ああ、織田に勝てぬからと甲斐を攻めてくるとは!」
たまには金色酒でも飲みたいと思いつつ麦飯と鰯を食べておると、ほかの者が今川に対する怒りをぶちまけておった。
気持ちは分かるが、それは武田家が言えることではないな。御屋形様は武勇に優れておるし、甲斐の家臣には気配りをされるお方だ。しかし他国には冷たい。和睦や同盟すら破るということで、尾張では武田家の評判がよくないほどだ。
仏の弾正忠と呼ばれ、敵にも慈悲を忘れぬと言われる織田とは対極だからな。
わしが今川でもおなじことをしたはずだ。
夏になれば今川が甲斐に攻め込むだろう。いっそこちらから攻められればいいのだが、それも難しい。救いは信濃の情勢がかわらぬことか。村上ではなにも出来ぬ。
もし御屋形様が負ければ、若君を武田家の跡取りとして尾張で残す。これが御屋形様の狙いだ。いかにしても武田家を残すための苦肉の策。
尾張で見ておるしか出来ぬのは歯がゆいが、若君を任された以上は、いかにしても守り立派な武士とせねばならん。
Side:久遠一馬
「ほう、ここで氷を作るのか?」
「はい。ここなら近江にも売れます。いい稼ぎになりますよ」
戦も終わったが、六角と朝倉を牽制するためにも、しばらく軍は関ケ原で待機することになった。ウチは六角と朝倉にその気がないことをオーバーテクノロジーで知っているが、一般的には六角と朝倉の動きがまだ見えない部分がある。
大勝したし、動く可能性が低いのはみんな理解しているけどね。五月の熱田祭りに合わせて尾張に戻る予定だ。
せっかくなんで人海戦術で、戦の後始末と大垣から関ケ原までの街道の整備などを行うことにしたが、関ケ原の北にある伊吹山の麓で氷を作ることにして、視察に信長さんと一緒に来た。
冬に氷を作り氷室で保管して夏に食べるのは昔からある。とはいえ尾張だとちょうどいい所がないんだよね。美濃の北部なら別だが。
関ケ原にて氷を作って売れば、西美濃や近江に売れる。今から氷室と氷作りのための溜池や施設を造っておけば、今年の冬から氷作りが始められるだろう。
「なるほど。氷ですか。それなら高く売れますね」
今日は勘十郎君とか先日初陣を済ませた子たちも同行している。領内見学だ。
勘十郎君を筆頭にみんな、自領と清洲や那古野などの主要な町しか行ったことがない子たちが多い。国境の領地の実情を知らないんだよね。信長さんの命令で彼らは賦役や今須宿などを見学に歩いている。
「皆さん、お昼の支度が出来ました」
ここ数日は天気がいい。ござを敷いて外でエルの作ったお弁当をみんなで食べる。
「おいしいです!」
おにぎりには海苔も巻いている。知多半島で作っている板海苔だが、未だに高級品で織田家以外では滅多に食べられない品だろう。初陣組の子たちが嬉しそうに食べている。
「この鰻も美味いな」
今日はおかずとして、うなぎのかば焼きと白焼きもある。関ケ原だと単純に海の魚より安くて手に入りやすいんだ。信長さんも結構気に入っているらしい。
エルはみんなが美味しそうに食べる姿に嬉しそうにニコニコとしている。本来はこうしてのんびりとしている家庭的な女性なんだよね。
「本当だ。美味しいです」
信長さんの反応を見た勘十郎君たちは一斉にうなぎに箸をつけた。かば焼きのタレなんかは初めて食べる味なんだろうな。醤油はさすがに織田家関係には徐々に広まっているので、祝いの日とか正月くらいは使った料理を食べたことあると思うが。
「たくさんありますので、遠慮なく食べてください」
にっこりと微笑むエルに見惚れるような子たちが何人かいる。ちょっと刺激が強いのかもしれない。
一応織田家家臣の子たちだけど、ほとんどの家は半農の武士だからね。こう言っては失礼かもしれないが、垢ぬけている人って、織田家の女性とか裕福な商人の娘くらいなんだよね。
信長さんはそんな子たちを見てニヤニヤと楽しげな様子だ。みんな若いね。
「あー、もうご飯食べているでござる!」
「私の分がなくなるのです!」
「そんなに騒がなくても、ふたりの分もちゃんとありますよ」
そのままいつもより賑やかなお昼を過ごしていると、さっき猪を狩ると飛びだしていったすずとチェリーが戻ってきて騒ぎ出した。
食べ物の恨みは恐ろしいからね。でもエルがふたりの分を忘れるはずがないのに。
「猪はいかがした? 逃したのか?」
「ちゃんと捕まえたでござる!」
「先に城に運んでもらったのです」
若い子たちはすずとチェリーにもちょっと緊張気味だ。先日の戦では並み居る武士に混じって前線にいたからなぁ。女性として見る部分と尊敬する部分がある感じか。
信長さんは珍しく手ぶらで戻ったふたりに声を掛けたが、逃げられたわけではなかったか。今夜はぼたん鍋かな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます