第643話・それぞれの戦後
Side:関ケ原の捕虜
「そういえば浅井様たちがいねえな?」
「みんな尾張に送られるとよ。打ち首じゃねえか?」
戦に来て敵に捕まるなんて、おらたちもうつけだが。しかし戦を始めた連中ほどじゃねえ。
織田に捕まったおらたちは、荒らした田畑や村を元に戻せと言われて働かされておる。賦役とここでは言うらしいが、どういう訳か飯が食える。美濃者はそのうえで銭も貰えるらしいが、おらたちは貰えるはずもねえ。
まあ、この時期食いもんが足りねえんで食えるなら文句はねえが。
「へぇ。じゃあ、村は織田様が治めるのか?」
「それが違うらしい。織田様が近江など要らんと言いなすったって話だ」
おらたちの国は奪う気にもならねえ国なのか? 誰だよ。近江ほど恵まれた国はねえって自慢しておった奴。東国は蛮族ばかりの未開の地だなんて見下していたくせに。
「今日も雑炊に米が入っとるな」
「ああ、具も多い」
昼は現場で飯が食える。賦役の美濃者と同じだ。今日は塩味の雑炊だが、数日に一度は味噌の雑炊も食えるそうだ。米に麦や蕎麦なんかの雑穀を混ぜたものに野草を入れたもので食べ応えもある。
ウチのかかあの飯より美味いのが悔しい。
朝晩は自分たちで作って食えと言われておるが、雑穀や塩をくれる。一日三度も食うなんておかしいと思うが、どうも織田様の賦役はそうなんだそうだ。
貧しい連中は朝と昼の二度にして、
「売られねえだけマシだ」
「そうだな。ろくに飯も食わせて貰えねえで、死ぬまで働かされるとも聞いたぞ」
戦に負けるとなにをされても文句は言えねえ。奪えるものはすべて奪われていくし、捕まると殺されるのと変わらねえ、酷え目に遭うんだ。
どこだったか忘れたが、ろくに飯も食わせてもらえねえで、鉱山で死ぬまで働かされるって国もあるんだそうだ。旅の商人が言っていたな。
「もう少しで娘に新しい着物買ってやれる。嫁にいくんだ」
「そうか、良かったな」
ふと耳を澄ませば、近くの美濃者の話が聞こえる。着ておるものはおらたちと大差ねえ。食っていくので精一杯の連中だろう。
着物か。おらにも娘がおるが新しい着物なんて買ってやったことねえ。かかあと娘は元気だろうか? 男衆が捕まっちまって村は困っておるだろうな。
隣近所の連中も男衆が出ておるんで攻めてくるとは思えねえが、他所から攻めてこられたらどうするんだ。
「なあ、逃げるか?」
「やめておけ。昨日逃げた連中が捕まって罰を受けた」
ここは飯が食えるが、村が心配だ。帰りてえ。
織田様は飯を食わせてくれるが、さすがに逃げた者には厳しいのか。
くっそ。負け戦を始めた連中なんてみんな殺されちまえばいいんだ。
Side:朝倉宗滴
「殿、尾張には某が参ります」
織田が大勝した。織田の勝利を予想しておったとはいえ、浅井久政が生きたまま捕らえられたのは驚きであった。
「なにも、そなたが行かずともよいのではないのか?」
「この目で見てこそわかることもありまする。織田弾正忠殿と久遠をこの目で見とうございますれば、お許しいただきたく。ただ倅は残していきますので、万が一の時には倅に任せていただければよいかと」
殿は反対まではされなかったが、驚き少し渋い顔をなされた。浅井への処罰を見届けるための使者など誰ぞでもよいと思うておられるのであろう。
わしももう歳だ。旅をして尾張まで行ける機会はこれが最後かもしれん。噂と素破の見聞きした話だけでは見えぬものが見たいのだ。
「そこまで言われると反対も出来んな。朝倉の家はそなたが戦い守ったのだ。存分に織田を見分すればいい」
「はっ、ありがとうございまする。交易の件もお任せを」
殿ばかりではない。周囲もわしにそろそろ隠居してはいかがと勧める者もおる。わしを案じてくれておる者もおれば、わしが邪魔な者もおろう。
わしを邪魔に思う者の筆頭は一族の孫八郎景鏡だな。奴の父が謀叛の罪で、先代様によって京の都に棄て置きにされて以降、奴は一族でも冷遇されておることが不満なのだ。
今のところ殿には忠義顔をしておるが、奴が心から殿に臣従しておるとは思えん。わしが留守の間にいっそ尻尾を出してくれるといいのだが。
まあ奴のことはいい。今は尾張へ行き見極めねばならん。これからいかがなるのかということをな。
Side:六角定頼
「勝ち過ぎだ。よく近江に攻め入らんな」
織田が勝ったか。いかにも弾正忠殿は来ておらぬらしいが、それでも勝ちは揺るがぬか。報告では関ケ原の地を上手く利用したばかりか、討って出たというではないか。
嫡男は大うつけとの噂も以前はあったが、少なくとも戦には弱くはないらしいな。
「一度攻めてしまえば、退くのは難しゅうございますからな」
腑に落ちぬのは若い嫡男が大人しく関ケ原から出てこぬことだ。並みの男ならば自らの功を求めて出てくるものを。ふとそんな問いを誰に問うわけでもなく口にしてしまったわしに答えたのは、後藤重左衛門尉だ。六角家を支える宿老になる。
本来なら同じく宿老の進藤山城守に頼みたかった尾張への使者を、後藤に頼むことにした。進藤は体調が優れず尾張まではいけぬからな。
「それを知っておるということか?」
「本人か周囲かは知りませぬが、誰かは知っておるのでしょう。ここ数年の織田の動きを見ればここで無用な欲を出すことは愚策でしかありませぬ」
「噂の大智の方の話はいかが思う?」
「まったくの嘘偽りではござらぬかと。それに大智の方の策だと言われる戦は某も聞き及びましたが、あれを誰かが考えたのは事実。その智恵者がおることに変わりございますまい」
ここのところ織田の戦で名が出て来るのは久遠だ。特にかの家の女の名がよく聞こえてくる。
真偽も不明で織田弾正忠殿の流言だと言う者もおるが、織田の戦や商いが巧みなことは間違いない。
「尾張への使者として行ってくれぬか? 出来ればわしが行ってみたいのだが、状況がそれを許してくれぬ」
「はっ、某が尾張に参りましょう。御屋形様が近江を離れるとよからぬことを企む者が出るやもしれませぬ」
叶うならば関ケ原で話が出来れば良かったのだが、致し方あるまい。
あれだけ大勝したのだ。こちらから出向くことをせねば家中に対して示しがつくまい。なにより斯波家が健在なのだ。
思わずため息が漏れる。西では公方様が未だに三好討伐にこだわっておる。中尾城で敗れて少しは状況をご理解されたかと思ったが、今度は暗殺を謀り失敗した。まあこちらは公方様ご自身ではなく側近が謀ったようだがな。
公方様と三好の和睦を
まだ若い公方様にいいように吹き込んで状況を悪化させる。いかにしようもない連中だ。
いっそ細川晴元を隠居させて側近衆と公方様を引き離すか? いや、それをやれば連中が別の者を将軍にしようとする。あの連中は誰が将軍でもいいのだ。己らの地位を守れればな。
頭が痛いわ。いったい、いつまでこのような争いを続ける気だ?
そんなことをしておると、かつての執権北条家のように滅ぼされてしまうぞ。
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