第641話・敗者のゆくえ
Side:久遠一馬
最終的に三千ほどいた浅井勢から千人近くの捕虜を捕らえてしまった。さすがにびっくりしたが、総崩れで組織的な撤退が出来なかったことと、前線の武士が割と簡単に投降したことが原因だろう。
浅井方の領民には、とりあえず戦の後始末をさせている。犠牲者を弔うことや彼らが荒らした近隣の田畑の復旧など、やることはたくさんある。
肝心の浅井方の武士と信長さんとの対面は翌日に行われた。織田側の諸将と観戦武官の皆さんの目の前での対面だ。
というかオレの座る位置が随分と上なんだね。オレは今回なにもしていないが、ジュリアとかウルザが活躍したので相応に席次が上に置かれたんだろう。
「面を上げられよ」
政秀さんの言葉で平伏していた浅井方の皆さんが顔を上げた。浅井久政。なんというか性格がきつそうな顔をしている。こちらを見て少し驚いたようだ。若い人が多いからね。
信友さんとか信安さんもいるが、エルやジュリアにウルザもいるので全体としては若い人が目立つ。すずとチェリーは掃討戦の続き、ケティとヒルザは戦傷者の手当てで忙しくて欠席していて、メルティも応援に行っている。主に浅井方の戦傷者なんだけど。
「
さて、この捕虜の皆さん。武士は全員まとめて清洲に送ることにした。信長さんたちとも相談したが、六角と朝倉との交渉の前にさっさと尾張に送ってしまえばこちらが交渉の主導権を握れるという判断だ。
「お、恐れながら発言をお許しください」
「なんだ?」
勝者が敗者を首実検するような雰囲気なんだろう。織田側の諸将の皆さんが誇らしげに見下ろす中、一人の浅井方の武士が口を開いた。
「近江を攻める際には是非、先陣を承りたく存じます。必ずやお役にたってみせましょうぞ!」
信長さんの冷めた表情がすべてを物語っている。久政は意外に冷静だ。ただ織田側の諸将の皆さんのなんとも言えない表情に彼らは気付いてないらしい。
空気が読めないってやつですかね?
「近江など攻めんぞ。従って己らなど不要だ」
浅井方の武士たちが固まったのがわかる。久政は資清さんから知らされていたので冷静にそんな家臣たちを見ている。目の前で寝返ると公言する家臣を見た心境はさすがにつらいだろうな。
「……何故でございますか!」
「左様、今なら北近江三郡を制することもたやすいはず!!」
固まった武士たちの顔色がみるみる悪くなり、最早体裁を繕うことも出来ないのか騒ぎ出した。
周囲にいた織田の兵たちが無礼は許さないと武器を彼らに向けようとしたが、信長さんはそれを制して言いたいように言わせている。
「何故、攻めねばならん? そもそも織田も斎藤も近江になど興味がないわ」
ある程度彼らが言い終えると、信長さんは一言で切って捨てた。六角と朝倉の間を領有するなんて御免なんだよね。
朝倉はそのうち宗滴が亡くなると加賀の一向衆の相手で精一杯となる。六角も管領代である六角定頼が亡くなれば衰退していき、六角崩れが起きる可能性が高い。
北近江三郡なんて領有したら巻き込まれるじゃないか。まあそれ以外にも畿内の争い。三好と足利家の対立にも巻き込まれる。冗談じゃないよ。
「己らには先に今須宿を襲った嫌疑もある。此度の戦の始末共々清洲にて裁く。連れていけ」
「待ってくれ! それでは我らの領地はどうなる!」
「そうだ!」
話が違うとでも言いたげで最後まで騒ぐお馬鹿さんたちは、兵の皆さんに取り押さえられて実検の場から連れ出された。
久政を筆頭に諦めたのか大人しい人たちもいるけどね。
君たちの領地なんて知らないよ。一族や家臣と信頼関係があれば帰りを待っていてくれるだろう。ないならとっとと代わりの当主を立てて終わりだろうね。
そのあたりはドライだから。この時代って。どのみち彼らの半数以上は信長さんも言っていた今須を襲った罰を受けることになる。
彼らからすると一連の戦と考えているんだろうが、あれと今回の戦は別だ。もっとも今回の戦も正式に軍使が来て、開戦の口上があったわけじゃないから、賊の来襲だと決め付けても問題ないんだけどね。
あとは六角と朝倉と折衝して北近江三郡の始末を決めれば終わりだね。
「まあ、合格点でしょうか」
浅井方の武士たちを清洲に送るとオレたちは一息ついていた。今日も雨が降っている。ケティたちは忙しいが、オレはエルが淹れてくれた紅茶を飲んでのんびりする時間もある。
戦の総評についてエルに尋ねるとそう答えてくれた。勝ち戦だからね。課題が見つかりにくいということもあるが。
「今後のことを考えるのなら、武官の専業化を更に進めるべきだろうね」
「そうですね。あとは浅井を見てもそうですが、国人衆の軍事権は今後の弊害になります」
戦も終わったことで暇になったジュリアとウルザも一緒にお茶をしているが、前線に出ていた二人には今後の課題も見えているらしい。
「確かに現状でうまくいっているのは、ジュリアとセレスが織田家中の武闘派を押さえているからなんだよなぁ」
武士に抜け駆けするなというのはなかなか難しい。尾張や西美濃のみんなは、ウチがいろいろ試して頑張っていることを知っているので協力してくれているが、今回のように降伏した人をそのまま戦に組み込むのはオレなら怖いな。
今年は種籾の塩水選別など一部を試している人は武闘派にも多い。とりあえず一部で試してみたいと考えるくらいの柔軟性は彼らにある。
ただそれもオレたちが尾張にきて、最初の冬に起きた流行り病の対処などで協力した実績があればこそ。まあオレが信秀さんの猶子となり立場も上になったことで従いやすくもなったんだろうが。
「武官に専業化は意外と抵抗はないね。武力がまだまだ必要だというのが大きいよ。ウルザの言う国人の軍事権は、若様の領地で試しているからみんな気にしているけど、現状がよくないのは理解している奴が多いね」
ジュリアは武闘派の武術の指南ばかりか、兵法というか戦略的な思考と言えることも教えている。専業化の抵抗がないのはジュリアとセレスの功績だろうね。
ただそんなジュリアたちでも国人の軍事権を取り上げるのを説得するのは、まだ無理があるようだ。
「あと西は美濃関ケ原、東は三河安祥、北は美濃の井ノ口までの街道整備を促進するように提言致しましょう。尾張南部ほどきちんとした道でなくてもいいのです。道幅を今よりも広げて必要な場所には橋を架けるだけで違います。橋は舟橋でいいでしょう」
それとエルが指摘したのはやはり街道整備だった。
今回でも明らかだが、補給の輸送がやはり織田のネックになりつつある。関ケ原に堅固な城が出来るのならば、尚更迅速な軍の派遣のためにも街道整備が必要になる。街道整備の賦役は経済的にも地元に恩恵があるし、尾張を中心とした織田家の勢力圏をより一体化することにもなる。
「そういえば信濃の小笠原家には銭を支援したんだっけ?」
「はい。陶磁器や武具と銭などを少々。斯波家との縁があり、過去に助けられていますので。それに向こうもすぐに兵を挙げて来てくれるとまでは思っていませんよ」
そうそう以前助けてほしいと手紙が来た信濃の小笠原家には、斯波義統さん名義で援助の資金を送ったと信秀さんから手紙が来た。
エルいわく軍を挙げて派兵していくのは現時点ではまず無理で、向こうもそこまで期待していないらしいね。まあ今川と武田の争いを見守りつつ様子見だろう。
そんな東を見ると今川と武田の対立が鮮明となってきている。信玄は戦の支度をしながらも和平の道も探しているが、今川にとっては北に活路を見出すしかないと義元と雪斎が考えている。
駿河と甲斐。今はちょうど富士山のあたりの国境で調略や小競り合いが起きている。北条は両家が和議を結ぶなら仲介してもいいと考えているようだ。
信秀さんのところにそれを匂わせる手紙が氏康さんから来ていて、オレのところにも幻庵さんから今後の東海から関東に関する商いの相談として、それらしきことが書かれた手紙が来た。
こちらにも根回しして大きな齟齬が生じないか確認したいんだろう。北条とすると駿河と甲斐で勝手に争うなら構わないが、甲斐と信濃は微妙に関東とも絡む。
関東管領の山内上杉とか信濃の村上とかがおかしな動きをして、戦火を拡大しないか心配しているようだ。
北条にとっても尾張との交易は、先年の地震からの復興のためにも欠かせないものだからね。関東と東海、そして尾張近隣がどうなるか向こうも気にかけているんだよね。
まあ理想は武田、今川、長尾はしばらく潰し合っていてほしい。
織田はまだまだ四方を敵に回す余裕はないんだ。
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