第640話・久政と資清
Side:久遠一馬
「見事だな。文句の付けようがない完勝だ」
関ケ原城の本陣は勝利の余韻そのままに和やかな雰囲気になっている。東美濃の遠山家など美濃の独立領主は顔色が悪い者もいるが、三河の吉良家などは諦めにも似た表情をしている。
戦勝祝いということで金色酒を振舞うと、北畠具教さんがご機嫌な様子で飲み始めた。この人もお酒好きなんだよね。
「地の利も戦力差も国力も、負ける要素はなかったんですけどね」
具教さんだけじゃない。みんなが勝つと思っている戦なのでオレもエルも気を使った。下手をすれば、信長さんの大将としてのデビュー戦に泥を塗りかねないという懸念もあった。
一度の戦の失敗が後世まで無能とか失敗だと言われるのは、元の世界の歴史を見てもわかることだ。
「勝てるとわかっておっても確実に勝つのは難しいことだ」
まあ、具教さんはそんな勝ち戦の難しさも理解してくれているようだ。
結果は浅井勢が総崩れとなり、味方は追撃と掃討に出ている。大人しく近江に帰るならいいが、途中で領内を荒らす者がいたり、残って賊になるなんてこともあり得る。
ただ皮肉なことに、現状では前線で積極的に攻めてきていた人ほど投降する人が相次いでいる。領民兵はいい。最後まで戦う理由なんてないんだし。問題は前線で逃げ遅れた武士が結構な割合で投降していることだ。
味方が三方から攻めていたので逃げ場が少なく、前線の者は逃げ遅れたとも言うが。
勝敗が決まったら勝った者に従う。一見すると物分かりがいいように思えるが、これって領地安堵とか期待してのことなんだよね。
国人や土豪が領地を治めて、それを束ねる者が守護や守護代となる。この時代の仕組みがそうなんだから仕方ないけどさ。
気に入らないと後で謀叛や一揆を起こすから面倒な相手だ。
「申し上げます。浅井下野守久政を滝川八郎様が捕らえました!」
さて、この後はどうしようかと考えていた時に、この戦で最大の武功が決まる伝令が舞い込んだ。
「ほう、捕らえたか」
ずっと緊張気味だったのか無言だった信長さんが、その知らせに戦が始まってから初めて笑顔を見せた。
どうやらウルザとヒルザは上手くやったらしいね。実はこの戦で資清さんには武功を上げさせたいと考えてタイミングを狙っていたんだ。
この時代はどうしても武功がないと発言力が得られない。今までは武功らしい武功がない資清さんに武功を付けさせてやりたくて、エルたちと相談していたんだよ。
この先、資清さんが戦に出ることは決して多くはないだろう。性格的にも能力的にも資清さんは戦場よりも文官として統治に向いている。
ウチが更に大きくなれば後方を安心して任せる人として、資清さんには期待しているんだ。その前に大きな武功をあげる機会を与えたかった。
久政の動きは虫型偵察機や人工衛星で把握しているし、人となりもわかっている。逃走経路で一番確率の高い場所に資清さんを派遣した結果、捕らえてくれたらしい。
それとこの件にはもうひとつ思惑がある。なるべく戦=首を取るという慣例というか習慣をなくしていきたいんだ。戦い討ち取った証拠に敵将の首を取ることなら仕方ないけど、だからと言って戦の目的が首を取ることになるのはよくないと思うんだよね。
「これで六角との交渉も有利になりますな」
もともと完勝だったところに敵の大将を捕らえたという結果は更に大きい。歴史上でも稀に見る戦として残るのかもしれないね。
政秀さんは文句ない結果に我がことのように喜んでいる。六角と朝倉とは戦後のことである程度の話は進んでいるが、負ければそんな話は反故にされるだろうし、苦戦してもまた状況が変わる。
これでこの後の六角と朝倉との交渉が織田の有利に運べる。
まあ勝ちすぎて面倒事に巻き込まれる懸念も増えたから、警戒は今後よりしなきゃいけないが。とはいえ今は資清さんの武功を素直に喜ぶことにしよう。
Side:浅井久政
織田の追っ手は早かった。前線におった愚か者が早々に降伏したのであろう。連中のことだ。織田に臣従するためについさっきまで味方だった者たちを、追っ手として討ち取っておっても驚きはせん。
殺してやりたいが、それが武士というものでもある。
街道は危ういと思い、少数に分かれて街道から外れた獣道にて近江へ向けて移動しておったが、雨の影響もあり思うように進めず、更に敵の素破らしき者に足止めをされておる間に囲まれてしまった。
一か八か戦うか降伏するか。もし織田に降伏した裏切り者が追っ手だった場合は討ち死に覚悟で戦うつもりだったが、現れたのは元近江甲賀の国人である滝川八郎資清だった。
忠義の八郎。そのような通り名がある男だ。嘘か真か、いかほどに銭を積んでも動かぬと言われる男。
まあこの男ならば、わしの首をやってもよかろう。
「浅井殿、これを着られよ」
虜囚として縄を打たれる覚悟もしたが、八郎殿はなぜか縄を打つこともなく運ばせた鎧兜をわしに差し出してきた。当然わしの鎧兜ではないが、差し出されたものも上物だ。
鎧兜などじゃまにしかならぬ。途中で捨てて来たからな。
「いかなるつもりだ?」
「最後まで将として務めを果たされよ。それがそなたの
情けなど無用だと怒りが沸くが、返された言葉になにも言えなくなった。
「そなたは本当に先年まで土豪だったのか?」
「ああ、そうだ。浅井殿など歯牙にもかけなかったであろう土豪だ」
最後まで共に付いて来てくれた者にも相応の鎧兜が用意されて、泣いておる者までおる。確か滝川家は甲賀の土豪だったはずだ。
わしは土豪風情に将として諭されておるのか。
「そなたのような男が浅井にもおればな……」
「浅井殿。家臣を信じ、家臣を教え導くのも主の務めではござらぬか? 少なくとも我ら久遠家ではそうしていただいておる」
悔しい。土豪風情に諭される己の不甲斐なさに、いかにしようもないほど悔しい。
下げたくもない頭を下げて、いかようにもして今日まで生きてきた。それにも拘らず、家臣はなにも理解しておらぬことが許せなかった。されど……。
「かたじけない」
ああ、武士としてもわしは負けた。
わしは北近江を治める器でなかったということか。
「滝川殿、前線におった浅井勢はいかがなりましたかな?」
「連中は降伏したので捕らえてある」
「ほう、つまり織田はこのまま近江を攻めぬと?」
しばしの沈黙が辺りを支配して鎧を身に纏う音が聞こえる。しかしその時、もうよいと言うのに付いて来た関家の縁者の男が唐突に口を開いた。
まさか織田はまたもや動かぬのか? 何故……。
「さて、それは守護様と大殿がお決めになること。わしは知らぬ」
「滝川殿が知らぬということは攻めぬということでしょうな。織田の戦にて武具矢弾の補給から兵糧の調達まで、久遠家の滝川殿が知らぬなどありえませぬ。ということは早々に降った者たちも立場がありませぬな」
信じられぬ。あれほどの兵がおれば北近江三郡などあっという間に攻め落とせるはずだ。
関家の縁者の男も八郎殿の返答からそれを導き出して大笑いしておるわ。
確かに織田に降った者たちは織田が近江を攻めると思うたからであろう。戦がなければ降った者たちが困るのが目に見えておる。連中の領地は北近江にあるのだ。六角や朝倉が動くかもしれんが、勝手に織田に降った者などいい扱いをされるはずがない。
かと言って織田は北近江を守ってくれんということになる。
織田は、いったいいかがなっておるのだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます