第635話・浅井軍美濃に入る!

side:久遠一馬


 関ケ原は雨が降っている。


「やっぱり三千か」


「はっ、四千はおりませぬ」


 小谷城を出発した浅井軍を忍び衆と伊賀者が見張っているが、とうとう美濃との国境にまで進軍して来たと知らせが届いた。


 伊賀者のやる気が恐いくらいだ。とはいえダブルチェックは必須だ。相手だって馬鹿じゃない。策を考えどう動くかわからない。監視は多くて困るなんてことはない。


「やはり、引き込むか」


 尾張から届いた書状の類を片付けながら報告を受けていると、ジュリアとリバーシをしていた北畠具教さんが忍び衆の報告に思案しながら声を掛けてきた。


 別に隠すことでもないので、そのまま報告させたんだよね。報告をしているのは望月さんだ。言っていいことと悪いことはきちんと理解している。


「ええ、そろそろ本腰を入れて叩かないと。いつまでも遊んでいられませんからね」


「二度も逃がしては舐められるからな。浅井はこの城の築城理由となったのだ。もう不要だろう」


 ただね。この人、もう少しオブラートに包んで発言して欲しい。言っていることはもっともだし、ウチのやり方とか地味に理解して北畠家と織田家を友好関係に持ち込んだ手腕は凄いんだけど。


「そこまで言うと、ウチが謀ったみたいに聞こえるからやめてほしいねぇ」


「結果としては同じであろう。ここ関ケ原を押さえたことがすべてだ。これだけの要所にこんな堅固な城を築いた時点で、浅井との戦など如何様でもいい価値がある」


 珍しくジュリアが言い過ぎだと具教さんを窘めるが、ここにはウチの家臣と具教さんとその側近しかいないからか、言いたいことをそのまま言っているね。


 気になるのは、この人の場合は裏表がないように見えて計算して発言している節があることか。メルティが以前指摘していたことだが、率直に話すように見せることで信頼関係を構築したいのだろうと。


 誰にでもこんなフレンドリーで言いたい放題ではないらしい。


 しかし武芸って偉大だね。史実では織田家に最後まで抵抗しようとした具教さんが味方として頼もしい。伊勢方面の安定がどれほど織田家にとってありがたいか知っている人でもある。


 無論、北畠家にとっても悪い話ではない。大湊を中心に伊勢の商人は尾張との取り引きで景気がいいからね。


「八郎殿、領民の避難は? それと近江側の商人たちの退去は?」


「順調でございます。すでに国境の領民は避難しておりまする。商人たちは今須宿の向こう側へ」


 肝心の味方の動きに関しては、北国街道脇道沿いの領民は避難させる計画を立てていて、すでに実行している。近江側の商人たちも退去させた。


 この時代も領民が自主避難することがあるものの、武士が計画的に避難をさせるのはあまり一般的ではないんだ。度々説明するが、惣という自治で生きている村単位でどうするか考えるのが一般的だ。


 どちらが優勢か。また領主である武士はどうするのか。いろいろ考慮して決める。


 だが織田家では領民の計画的な避難を実施した。食料や財産として奪われるものは持って避難する。村や田畑が荒らされる可能性もあるが、それは織田家で復興の保証をすると確約して従わせた。近江側の商人たちは退去させた後は自己責任だけどね。


 織田家中でもこの戦略は支持されている。きっかけは三河だ。本證寺との戦で完全ではないが、戦国版焦土作戦とも言える戦略をウルザが取ったおかげだ。


 食料を人と一緒に避難させることによって、食えない奪えない一揆勢は、もともと高くなかった士気と勢いを更に落として投降が相次いだ。


 まあ浅井相手に同じことが出来るとは思わないが、敵に奪われるものを残すなという策はウケがいい。信秀さんの名声もあり、領民も反発する人がほとんどいないことも実行できる理由だね。


「この雨の時期に久遠家が如何に戦うか。皆が見ておるぞ」


「いっそ苦戦してみせたほうがおもしろそうだね」


 あとは関ケ原まで引き込んで戦うのみ。それはいいんだが、具教さんはやはり高みの見物だと完全に割り切っているようだ。ジュリアはそんな具教さんを相手に、ニヤリと自信ありげな笑みを見せている。


 相手が三千くらいの兵だからね。火力はそれほど必要ない。それにジュリアや石舟斎さんとかウチにも白兵戦を戦える戦力はある。


 どうもウチが氏素性の怪しい商人上がりだということで、甘く見ている人が近隣には多いらしい。鉄砲や金色砲がないとたいしたことはない。そう思っている人が少なからず存在するようだ。


 まあ自分たちの積み重ねた武芸と歴史には敵わないだろうと考える人がいるのは当然だ。彼らはそれで生きてきたんだからね。


 無論、警戒して甘く見ていない人も相応にいるが。




side:浅井家の武士


「ちっ、米どころか雑穀すらないではないか!」


「逃げたのだろう。美濃者は臆病者ばかりだ。この程度では織田もたかが知れておるな」


 ようやく美濃に入った。とりあえず挨拶代わりに道中の村に押し入ったが、すでに逃げた後のようでもぬけの殻だった。


 威勢のいい連中は村を捨てるなど臆病者のすることだと笑っておるが、渋い表情の者もおる。それもそうだろう。次の村もおそらく同じでもぬけの殻なのだ。これでは進むしかない。


 たかが三千の兵で関ケ原を落とせるか? 無理だ。殿はひと暴れして浅井の武勇を見せて退けばいいとお考えのようだが、追撃されても逃げきれるのか?


 途中の村でも抵抗してくれれば、ひと暴れして退くという選択も出来たであろうに。戦わぬままでは退くことも出来ぬ。


「勘のいい者はおらぬな」


「ああ、殿は少し冷静さが足りんのかもしれん」


 わしと同様に殿をお止めするべきか悩むのだろう。父の代から親しい者が不安げに声を掛けてきた。


 家中でも戦上手と噂の者や、六角や朝倉の家中と血縁がある者がおらん。名代で人を寄越した者はおるが、やる気がないのが見ておってもわかるほどだ。


 井口殿が裏切ったせいだろう。井口殿の御父上は、先代の殿の身代わりとなり討ち死にしたお方だ。奥方様は井口殿の妹御で、殿も一族として遇しておったのだ。それ故に家中でも井口殿は別格だった。


 それがまさか、この時期に六角に寝返るとは思いもしなかった。とはいえ理由はわかる。奥方様や猿夜叉丸様が六角に人質に取られておるとはいえ、殿は隙あらば妻も我が子をも捨てても六角と手切れにするおつもりだったはずだ。


 実際、殿の行状はすでに六角の意向に反しておる。奥方様と猿夜叉丸様が殺されても文句は言えん。井口殿は情に厚い。妹御の奥方様とその子である猿夜叉丸様を捨て置けなかったのは、理解する。


 とはいえ……。


「威勢がいいのは先走りして奇襲に失敗した者ばかりか」


 隙あらば殿ですら討ち取ってやると意気込む者たちだ。殿もあのような輩を相手せねば良かったものを。


 確かに斎藤に嫁いだ、殿の妹君の件は面白くない。だがそれを理由に織田と交渉するくらいの知恵は回らなかったのであろうか。あの愚か者どもに乗せられるままに絶縁などしてしまうからこうなるのだ。


「あまり前に出ぬほうがよさげだな」


「ああ、そうする」


 あえて言わぬが親しいのだ。わかるであろう。この戦はいかに退くかだ。退路を塞がれる懸念もある。この辺りに詳しい者を味方に引き込む必要があるな。ある程度の人数で逃げねば数の力で皆殺しにされてしまう。


 織田が如何様な戦をするかなど知らん。とはいえ城を築き、兵力が三倍とも五倍ともいわれるほどあるのだ。無難に戦えば織田に負けはない。


 殿は国を治めるということに関しては、先代の殿よりいいかもしれぬのに。何故無駄な戦を仕掛けるのか。


 死にたい者は勝手に死ね。わしは織田だろうが六角だろうが、頭を下げてでも生きのびてやるわ。




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