第634話・あすはどっちだ!?

Side:浅井久政


「殿、良からぬ噂をしておる者がおりまする」


 士気があがらぬ。口惜しいが、わしでは父上のような武芸もなければ用兵も下手なことをまざまざと見せつけられた形だ。


「捨て置け」


 だが付け入る隙はあるのだ。相手は織田弾正忠でもなければ斎藤山城守でもない。尾張では大うつけだと言われておる嫡男だとか。


 追放された土岐家旧臣の話ゆえ、そのまま信じるのは危ういが。とはいえ連中がわしを軽んじて甘く見ておるのは確かだ。相手が初陣を済ませたばかりの大うつけならば十分に勝機はある。


 六角家が不満に感じておるからか、伊賀も甲賀もほとんど動かん。三雲家が多少の素破を寄越してくれたが、数が少なくて物見くらいにしか使えん。


 銭で雑兵も集めたが、連中はむしろ織田に自らを売り込みたい者すらおるほどだ。


「これで織田に勝てれば、浅井様の名は一気に天下に轟きますな」


 昔の戦のようにいかぬと苛立つ家臣を呆れたように見ておると、側においておる男が面白げに思ってもおらぬことを口にした。


 何処から来たのか得体が知れぬ流れ者だ。近習や家臣たちが汚らわしいものを見るような目で見ておるのを理解しつつ、気付かぬふりをして笑っておる男。


「そうだな。勝てばな」


「織田はここのところ負け知らず。関東では北条の手伝い戦ではあったものの、噂の久遠の南蛮船で安房の里見を完膚なきまでに叩き、三河の一向衆は壊滅。堺に至っては斯波、織田、久遠の逆鱗に触れたようで、まさに絶縁されてしまい混乱しております。このような時に織田に戦を仕掛けるなど、六角や朝倉も恐れて出来ぬのでしょうな」


「その方がもっと早くに来ておればな」


 思わず本音が漏れる。人を食ったような信用出来ん男だが、わしの知らぬことをほら話のようにしゃべる。目通りした際に、土岐家旧臣がまるで織田に認められて戦に引き分けたなどと吹聴しておることを、実際は違うと暴露して旧臣どもを激怒させた男だ。


 わしも信じておったことだぞ。それが実際は潰す価値もないと呆れられて美濃を追放されたばかりか、六角からも邪魔だと放逐された者たちだったとは。


 そんな連中だとわかっておれば、まだ違うやりようもあったものを。あの愚か者どもが任せろというので美濃での謀に加えたが、結果はなんの成果もなく織田を怒らせただけだった。


 よほどの愚か者以外は、勝つなどとは思っておらぬはずだ。如何にして勝つのだ。向こうは一万から二万も兵がおるというのに。


「負ければ家も残らぬ乾坤一擲の出陣ですからな。今時そこまでのご覚悟がある武士はめったにおりませぬ。相手の一角でも崩せれば、あるいは勝機が生まれましょう」


 ふん。ろくな覚悟もない家臣たちを素知らぬふりで追い詰める気か。乾坤一擲など誰も思うてはおらぬわ。


 とはいえ負ければ、わしは一介の土豪にされるのであろうな。まあそれも良かろう。もともと浅井は北近江の土豪だったのだ。六角の顔色を伺い、家臣に軽んじられるのは正直飽き飽きしたわ。


 父上の都合のいいところしか見ておらん愚か者どもを道連れにして、一花咲かせてやる。元はと言えば父上のやり方がまずかったことが根源なのだ。


 六角も朝倉も誰も信じてはならんことがわかっただけ、いいというものだからな。




Side:伊賀者


「浅井は本当に出陣したか」


「引っ込みがつかないんだろう。ここで戦をせぬと浅井久政には誰もついていかん。初めから間違っておったのだ」


 浅井が出陣して美濃方面へと向かった。


 斎藤に出した妹のことでここまで拗れるとは、久政本人も思うておらなかったのであろうな。京極を傀儡として、そろそろ北近江の守護か守護代でもと欲を出したのかもしれん。そんな時に斎藤が織田に降って、久政の妹が帰りたくないと拒絶したことで面目を潰されたと思ったのが、そもそもの間違いだ。


「出陣拒否した者のところに行くかと思うたが……」


「そうすれば戦にもならなくなるからな」


 浅井の親族でもあった井口が六角に寝返り、出陣を拒否したことが北近江三郡に大きな影響を与えた。


 六角や朝倉に近い者は井口の行動で日和見を始めてしまい、義理で一族の誰かを出した者はおっても当主が出ぬところがあちこちにある。


 久政としては織田より井口討伐をするべきであろう。しかし六角がそれを許すとは思えぬ。実際、六角も兵の支度をしておる。


 織田はあまり戦を好まぬ。特に知らぬ土地に攻め入ることは驚くほど慎重だ。とはいえここまでくると、北近江を攻めてもおかしくはない。


 北近江の一郡と引き換えに織田と六角と朝倉で浅井を叩く。六角の家中ではそんな策を口にする者もおったとか。


「それで肝心の織田は?」


「相変わらず賦役をさせておる。誰と戦をするのだと言いたくなるほどの城と陣地だ」


 織田の狙いは関ケ原の十全な支配であろうな。その目は六角や朝倉に向いておる。現状では歩調を合わせておるが、あまり信じてもおらぬらしい。


 もっとも当然だ。ひとつが和睦をすればひとつの和睦が破綻するのが今の世。浅井が力を失った北近江がどうなるかは知らぬが、織田は民には優しくとも従わぬ者には冷たい。浅井が消えた後に六角と朝倉が敵に回ることも考えておろう。


「我らが味方するまでもなかったな」


「いや、それはもっと先を見てのことだ」


 我ら伊賀は織田に味方するために人を送り、今も近江に多くが潜伏しておる。浅井相手にここまでするかとも思うが、織田はこれから先、もっと強く大きくなると上忍たちは見ておる。


 織田は、いや久遠は我らを人として扱ってくれる。そんな者がこの先、更に大きくなるかもしれぬのだからな。早くから誼を深めたいというのが伊賀の意思になる。


 甲賀はすでに滝川と望月が臣従して厚遇されておる。我らだけ遅れをとる訳にはいかぬからな。


「先か。どうなることやら」


「さあな。とはいえ織田が勝てば、我らの明日は今日よりもいいことは確かだ」


 信じられるか? 素破のひとりやふたり捕らえられただけで、久遠家では奥方様が兵を率いて救出に来るのだぞ。しかも我らが協力しておることで、伊賀者もまた救われたことがあるのだ。


 それに商いが派手なのであまり知られてはおらぬが、久遠家は皆で食えるようにと新しい米や麦を日ノ本に持ち込み試しておる。


 買い漁るばかりではない。皆で飢えぬようにする。そんな噂を本当に実現するために目立たぬように動いておるのだ。


 戦ばかりしておる者と同じと思うてよい相手ではない。


「そうか。ならばわしは関ケ原に知らせにいくとしよう」


 里に帰れば家族もおって子もおる。我ら素破とて死にたくなどないのだ。


『命を粗末にするな』。久遠家に助けられた者が、そう言われたとこぼしておった。寺社の坊主どもですら仏のために死んでこいと一揆を起こすというのに。


 甘い。相も変わらず久遠家は甘い。


「しかし、それが心地いい」


 関ケ原に報告にいく者を見送り、わしは付かず離れずのところで浅井を見張る。


 せめて一族が飢えずに身売りなどせぬ世がくれば、わしは十分だ。


 浅井などにその邪魔はさせん。





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