第633話・久政出陣
Side:北近江の農民
雨が降っておる。足元はぬかるみ全身ずぶ濡れのまま、おらたちは歩いておる。
重苦しさを感じるのはおらだけじゃないはずだ。浅井の殿様が戦だというので駆り出された。相手は美濃を奪って近江も狙う織田様だって話だ。
なんでも関ケ原ってとこに行けば、食いものも銭もたくさんあるから好きなだけ持ち帰れると言われた。
「なあ、知っておるか? 織田様の領地では賦役をしても飯が食えるそうだ」
「そんなの嘘っぱちだろ」
ずぶ濡れのまま休憩だと言われて草むらに座るが、同じ村から来た奴が持ってきた干飯をかじりながら不満そうにぽつりと呟いた。
雨が降っておって煮炊きも出来ねえ。そんな中で雨に濡れた干飯を食うものの、正直なところ腹が膨らめばマシだという程度だ。
おらも持ってきた干飯をかじりつつ話を聞くが、奴の話に同じ村の奴が胡散臭げに笑っておった。あり得ねえ。そんな飯がどこにあるんだと言いたげだな。
「一万とも二万ともいうほど敵がおるそうだ。浅井様はどうやって勝つ気なんだろうな」
誰も信じねえが、奴の親戚は商人のところで下働きしておるはず。そこから聞いた話か?
「この時期にそんな人が集まるはずがねえ」
麦の刈り入れが終わっておらぬところもあるし、田んぼの田植えも終わっておらぬところもあるんだ。それにも拘らず浅井様は戦だから人を出せと言ってきたんだから困るよな。
「ところが、すでに一万はおるって話だ。気を付けねえと殺されちまうぞ。こんな人数で勝てるはずがねえ」
嫌味なほどニヤニヤと笑う奴の話を、おらたちはみんな半ば
昔はよく戦をしたなんて自慢話をする年寄りもおるが、おらは好き好んで戦なんていきたくねえ。我慢すれば生きていけるんだ。
「
まったく仕方のない奴だと同じ村の奴らと笑っておったが、近くを通りかかった浅井様の家臣にそれを聞かれると奴は蹴飛ばされて刀を抜かれた。
「あっ! 本当だろうが! ちょっと前も攻めて逃げ帰ってきたっていうじゃねえか!」
そこそこの身分だろう。鎧が違う。とはいえ、そこまで怒ることねえのに。
「汝のような素破は斬り捨ててくれるわ!」
素破じゃない。おらたちがみんなで止めるが、刀を抜いた武士は聞く耳をもたない。同じ村の奴を素破扱いすることに怒ったみんなで槍を持って追い払う。
おらたちにとっては浅井様も織田様も違いなんかない。奪ってくだけの連中だ。
「ええい。今度そのような嘘を吹聴すれば、許さぬからな!!」
周りもなんだなんだと騒ぎ出すと止めに入る者が増えて、なんとか事なきを得たが。武士は最後までこっちを睨んでおった。
戦がしたければ自分たちだけでやればいいんだ。おらたちは誰が治めても変わらないんだからな。
Side:久遠一馬
「やれ!」
「そこだ!!」
関ケ原の陣地では昨日から降り続いていた雨が止むと、一気に賑やかになった。
今日は昨日から降り続いた雨で賦役がお休みとなったんだが、暇を持て余した領民が雨が止んだので相撲をやっていたらしく、そこに信長さんが通りかかると飛び入りで参加したもんだからさあ大変。
武士も領民も混ざって即席の相撲大会になってしまった。信長さんが勝った者に褒美を出すなんて言うから。みんな泥だらけでよくやるね。
「よくあることでございますな。博打などしないだけマシでございましょう」
いいのかと思ったが、資清さんいわく戦で長対陣となると暇を持て余した人たちが騒ぐのはよくあるんだそうだ。
騒動にならなければ武士も大目に見るようで、こういう光景はめずらしくないのだとか。
ちなみに観戦武官に関しては先日到着した。北畠具教さん、松平広忠さん、三河の吉良家や東美濃の遠山家などが来ている。
安藤と竹中は声を掛けたが来なかった。一応それらしい理由で断ったが、虫型偵察機の情報だと特に安藤は激怒していたらしい。同じ西美濃の不破さんや氏家さんや稲葉さんが戦うところを見ていろとは何様のつもりだと怒ったみたい。
体裁としては一緒に戦について考えませんかと誘っただけなんだけどね。
戦えと言わないのも気に入らないとか扱いに困るなぁ。信長さんは従わない者は放置でいいと気にもしてないし。氏家さんが気にしているが、扱いが面倒なのは同じようでため息をこぼしていた。
「よし三郎殿、オレもやるぞ」
観戦武官で喜々としてやってきたのは北畠具教さんだ。家中にはこれをどう見るべきかと議論があったようだが、せっかく織田が手の内を見せるというのに断る理由などないと言ったらしい。
ああ、領民に混じって相撲も始めちゃうし。お供の家臣が困っているよ。一応官位持ちの公卿家の嫡男なんだけどねぇ。家格や身分だけでいえば信長さんよりも上なんだけど。
ただ、この人がいると吉良家とかほかの家が大人しいので楽だね。結構、話しやすい人だ。伊勢でも武芸大会をやりたいと先日相談されたほどだ。
「血の気が多い連中だねぇ」
さすがのジュリアも相撲には参加しないか。良かった。
「近江からの遊女が酷い。病持ちがいる」
「その件は御触れも出したんだけどね。遊女に健康診断の義務付けをするか」
ケティはご機嫌斜めだ。関ケ原で稼げると知った近江から遊女も流れてきているが、病気持ちがいるらしい。尾張はケティが管理しているからなぁ。病に罹る人が少ないから逆に尾張の人は危機感が薄いのかも知れない。
勝手に売春をしないようにということと、知らない遊女は買わないようにということを御触れで出したが賦役と兵で人が多いので徹底出来ていない。
こっちの人たちは賦役で毎日現金収入があるので、近江なんかと比較しても金払いがいい感じもあるみたい。
「このまま取り込む?」
「それもいいかもね。流民はどちらかというと男性が多いし」
どうやらケティは近江方面から来る遊女を取り込みたいようだ。どっかの紐付きの可能性もあるが、甲斐の巫女さんの例もある。悪い話ではないだろう。
信長さんも反対はしないだろう。遊女の扱いは完全にケティに丸投げしているし。
「わかった。素案をまとめておく」
「うん。よろしく」
一応正式に命じる前に信長さんと諸将に相談はする必要がある。特にここは不破さんの領地なので、不破さんには事前に許可をとらないとね。
「申し上げます。浅井方、城を出た模様。兵数、二千五百から三千」
ジュリアたちとのんびりと泥相撲を眺めていたら、望月さんと伊賀者が少し険しい表情で報告に来た。やっと動いたか。
「ご苦労様。無理はしなくていい。進軍経路だけは逐一確認して」
「はっ」
伊賀からは百人ほど関ケ原に来ているが、近江にもまだ人を配しているらしい。凄いやる気だ。浅井よりやる気あるんじゃないか?
望月さんには甲賀衆と伊賀者の統率を頼んである。なんというかウチの名声を上手く利用して人を使っているからね。
「やっと浅井久政の顔が拝めるね」
「勝ち戦で浮かれても困るんだけど大丈夫?」
「そんなやつ、アタシが鍛えた奴にはいないよ」
「そうでござるな。勝ち戦こそ気を引き締めておりまする」
周囲には武闘派の面々も集まっている。望月さんの報告に皆さん顔色が変わったが、どちらかと言えば獲物が来たと瞳を輝かせているようにも見える。
個人的には少し不安なんだが、ジュリアがそんなヘマをするはずがないか。近くにいた石舟斎さんにまでそんな心配は無用だと自信を持って言われてしまった。
久政と長政。浅井家は多分このふたりの微妙なバランスで史実では躍進したはずだ。残念ながらこの世界では躍進する前に本当に久政が失脚しそうだけど。
長政はまだ子供だ。出来れば生きて次の世を活躍してほしい気もする。この世界に来て孤児院の子供たちと顔を合わせることが多いので思うんだ。
子供に罪はない。
まあ放っておいても守ってくれる人がいるみたいだけどね。出来れば生きてくれるようにしたい気もするね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます