第631話・戦に向けて
Side:朝倉景紀
宴は楽しかった。互いの立場もあり言えぬこともあったが、面白い話が色々聞けた。織田家中でも久遠は別格だということ。そして戦に頼らずとも国を富ませるべく動いておることなど、直接聞くと噂とは違う一面が見えてくる。
「やはり敵には回せぬか?」
「当然であろう。若狭、加賀の双方だけでも厄介だというのに」
父上でさえ加賀は手に負えぬとこぼす相手。戦をすれば勝てるが、その先がないのだ。一向衆の門徒ばかりではない。すべてを根切りにしてしまわぬ限り終わらぬのかもしれぬ。
それ故に父上は、三河の本證寺の一件に驚かれたのだ。
朝倉家は盤石だ。織田が相手でも戦える。とはいえ戦ってなにが得られるかということも考えなくてはならん。織田と戦をするとなれば、まずは美濃か近江だ。そこで勝ったとて美濃の民があの様子では領地を切り取るのでさえ苦労する。
万が一、加賀の一向衆と組まれると得るものがないまま、いたずらに戦だけ続くことになりかねん。
「そもそも織田も戦など望んでおらぬ。殿に貴重な南蛮渡りの品を贈っておるうえに、こちらが求める交易も乗り気だ。戦う理由がない」
元は同じ斯波家家臣。互いに思うところはあろう。とはいえ争う気のない者まで敵に回すほど殿も父上も戦好きではない。
「あのウナギのかば焼きというもの、越前でも作れるのでは?」
「同じ味は出せぬかもしれぬ。とはいえ白焼きと言うたか。あれはただ開いて焼いただけ。その気になれば作れよう。ただ、あの醤油が越前にはない」
一番の驚きはウナギか。下魚があれほど美味くなるとは。ただし、あれはただウナギを開いて焼けばいいわけではあるまい。繊細な技があるはずだ。
しかも味の決め手であろう醤油が越前にはない。京の都や尾張から少量入ってきており、わしも父上から頂いて味わったことがあるが、越前では売られてすらおらぬ。
特に尾張の久遠醤油は別格だ。あの味を知るとほかの醤油が泥水のように感じるほど。
「もしかすると交易は向こうが有利なのかもしれぬ」
「なにを言うか。我らには蝦夷から明まであちこちの品が入るのだぞ」
「それは向こうも同じ。いや、直接買い付けに行くという久遠がおると考えると、織田が有利であろう」
やはり誰も気付いておらんか。我が朝倉家は日ノ本の外からの荷が入る故に、驕る者も多い。今では京の都より栄えておるとまで言われるのだ。知らず知らずのうちに驕ってしまうのも仕方ないこと。
だが我らが直接、蝦夷や明を知るわけではない。それに久遠の黒い南蛮船の噂は、近頃は越前を訪れる明の商人からも伝え聞くところ。欲を出して攻めかかり沈められた船もあるのだとか。
「些細な差であろう?」
「その些細な差と見縊るのが大きいのだ。我らが明や南蛮に出向くとすれば何年かかる? 船を造るだけで五年はかかろう。しかも織田の水軍は敵無し負け知らずというほどだ。海から攻められると我らに反撃は難しい」
やはりわかっておらぬな。父上が危惧する通りか。
久遠の南蛮船は明の商人が見ても大きく頑丈だという話だ。しかも噂の金色砲は鉄砲を大きくしたもので、明の商人ですら脅威だという。それが十隻でも海から攻めてくれば、我らには反撃することすら出来ぬのだ。
「わざわざ尾張から船で攻めてくるのか?」
「戦になればあり得るはずだ。向こうが有利な戦。やらぬ道理はない」
勝てぬとは思わぬ。とはいえ敵に回したいとも思わぬな。
Side:久遠一馬
「やはり、酒は好かぬな」
宴が終わり後片付けも済むと、広間には信長さんと政秀さんとウチのみんなだけが残っている。
少し酔った様子の信長さんは、酔い醒ましにと紅茶を飲んで一息ついていた。お酒好きじゃないのに使者の手前、付き合うように飲んでいたんだよね。
酒も飲めないのかと甘く見られたくなかったのだろう。酒飲みはそういう傾向が元の世界にもあったが、この時代でもそういう見方をされる。
「地図で見ると狭く感じるが、こうして関ケ原まで来てみると日ノ本も広いな」
朝倉家の使者とは友好を深められたと思う。貴重だと思ったのは宗滴さんが鷹の雛をふ化させた話を少し聞けたことか。
自然にあるものを取ってくるのではなく、自ら育てる。ウチのやり方と同じだと伝えて、試行錯誤など大変でしょうと訊ねると誇らしげにしていた。
信長さんも朝倉家が強敵と見たのか表情が真剣だ。浅井家の件では正直、信長さんを筆頭にみんなそれほど危機感がない。朝倉家はいい時にいい使者を寄越してくれたのかもしれない。
「ええ、広いですよ。ただ日ノ本の外はもっと広い」
関東やウチの島にも行った。そのうえで畿内との境界と言える関ケ原に来たおかげで、信長さんは広い視野で物事を見られるようになったんだと思う。
この戦は浅井というよりは、これから先に起こるだろう畿内の諸勢力との戦の前哨戦と言ってもいい。
万が一にも苦戦は許されない。織田が弱いと思われると、六角や朝倉を筆頭に誰が敵に回ってもおかしくないからね。
「浅井家の兵力はどんなに多くても三千がせいぜいでしょう。射程の違う鉄砲・弩・弓の射撃で囲むように射殺してゆき恐怖心を煽り、そのうえで一当てすれば崩壊すると思われます。問題はそこで退くか、命をかけて攻めてくるか。味方は勝ち戦に浮かれております。一歩間違えれば被害が増えます」
初めての大軍の采配に信長さんは緊張している様子だ。エルはそんな信長さんを更に追い込むように真剣な面持ちで想定される戦況の行方について語る。
「エル、そうなった場合はいかがすればいい?」
「方法はひとつではありません。前線に信頼出来る者がいるならば任せるべきです。また初めからそれを想定して陣形を組むことも有効です。軍略の基礎として言いますと、伏兵の存在や援軍なども考慮するべきです」
信長さんもエルには素直に教えを請うよね。立場とか身分とかどうでもいい感じ。まあこの場には細かいことを気にする必要がある人もいないけど。
元の世界の時代の戦術がそのまま生かせるわけではない。この時代の戦にはこの時代の戦の特徴や伝統がある。
いざ戦が始まると総大将が差配出来ることは、そんなに多くはない。それが国人衆や武将が優遇される原因だろう。
「ふむ、援軍はなかろう。伏兵は警戒せねばなるまいな」
「はい。とはいえ今回は数が違うので単純にこちらが有利な戦にするべきです。むやみに警戒して兵を分けるのは愚策。野戦陣地と城を生かして数の力で戦う。基本の方策はそれだけで構いません。前線はジュリアが制します」
なんかエルによる総大将講座になっているね。正直、普通に戦えば勝てるんだ。雨が降れば鉄砲系は使いにくいが、対策として弩を増やしたし傘も持ってきた。
乱戦ならともかく陣地から撃つなら傘でも小雨くらいなら問題ないはずだ。
でも三千だからね。木砲を撃ち込めば敵軍は崩壊する気がしないでもない。あと今回は精鋭をまとめて運用することも考えている。
この時代の戦では武士は家臣や領民の兵を率いるのが一般的だが、ジュリアが選抜した武芸に特化した武士たちをひとまとめにして前線に置くんだ。
言い換えれば用兵が下手な連中を集めたとも言うが。外聞が悪いので「精鋭」呼びだ、実質は突喊兵もしくは斬り込み隊だから、上手くすれば大きな手柄の機会がある。お供をひとり付けるとして、合わせて五百名の精鋭の出来上がりだ。中には信秀さんの怒りを買い領地を取り上げられた人なんかもいるが、手柄を上げないと先がないのでみんな必死だ。
扱いに困るが、不思議とジュリアだと制御できるんだよね、そんな連中って。
浅井には悪いが、信長さんの大将初陣としては手頃な相手だね。戦が始まるまでは周到な準備がいるが、始まると大将ってそこまでやることがない。
信じて見守るということが必要なんだと思う。信長さんにはそこが一番難しいかもしれないが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます