第630話・総大将と宴

Side:織田信長


 ここでこれから戦をするのか? 親父や爺には、戦場に商人が来ることがあるとは聞いておる。だがまるで町でも出来そうな勢いではないか。戦の邪魔にはならんのか? あの者たちが浅井に味方するとは思わんが、浅井が来る側に陣取っておる。必ずや邪魔になるな。


「若、布陣を考えておられるのですか?」


 松尾山から見える景色と地図を見つつ、いかにして浅井を迎え討つべきかと考えておると爺が姿を見せた。


「ああ、オレはこんな数の兵を差配したことなどないからな」


「そうでございましたな。とはいえ昔に比べると楽になりましたぞ」


「楽にか?」


「以前は殿のご身分が低い故に、あちこちに配慮が欠かせなかったのでございます」


 確かに守護代の下の奉行程度の家が、今では尾張と美濃をまとめる立場にある。成り上がり者と謗る者も多かろうな。


 だがこうして布陣を考えておると、三河の本證寺攻めの際にエルがあちこちに激励に行けと言った意味がようわかる。


 その者の人となりや用兵の良し悪しも十全ではないが、知ることが出来た。


「自ら先陣を切れぬのは寂しくもあるな」


「今の若にそれはさせられませぬ」


 ずっと自ら先陣を切り、戦場を駆け抜けるつもりだった。そのために武芸も必死で磨いた。だがこれほどの軍勢がおっては総大将が先陣を切るなどありえん。


 爺はまさかと思うたのか、顔色を変えて案じておるが、そのような心配は無用だ。


「稲葉を今須から北国街道沿いに移すか。来るとすればあちらであろう。久遠家は本陣近くでいいか。あそこの職人衆と衛生兵は替えがきかん。かずも手柄を欲してはおらんしな」


 美濃衆には配慮が必要か。特に稲葉は浅井が父や兄の仇だという。前線に置いてやらねば不満に感じよう。久遠家は前線に置くと手柄を総取りしてしまうからな。


 前線は稲葉、不破、氏家の美濃衆と尾張衆の精鋭でよかろう。如何いかにせよジュリアが前線に出てしまうからな。


「それがよろしいかと。一馬殿とエル殿は本陣にて、戦場の趨勢と全軍の差配を見ていただくべきでしょうな。某もあまり大軍の差配は経験がございませぬ」


「久遠家の陣はウルザでよいか」


「はっ」


 決める前にはかずたちにも意見を聞くつもりだが、爺は慎重だな。かずとエルを本陣におくべきだと言い出すとは。


 油断など誰もする気がないということか。六角や朝倉も何処まで信じてよいかわからぬことだしな。当然と言えば当然か。




Side:久遠一馬


 お腹が空いたなぁ。さあ、夕食だ。


 今夜は朝倉景紀さん。あの有名な朝倉宗滴さんの養子である人がいる。結構な歳だ。確か五十前後か。早い人だともう隠居をしてもおかしくない歳だが、使者として来たということはそれだけ信頼されているということかな。


 オレはここで初対面だが、信長さんは先に会って挨拶はしたらしい。


 松尾山の城はまだ大部分が手つかずであるが、戦の際には信長さんか信秀さんが来るのを見越して、一部の建物をなんとか完成させたらしい。今夜はそこでの宴だ。木の新しい匂いがいいね。


「おおっ、これはまた見たことがない料理でございますな」


 ここには女性が少ない。というかウチの関係者しかいないんじゃないかな。出陣前に女に触れると縁起が悪いとか信じている時代だし。


 そもそも軍に女性が同行するのは織田でもウチだけだ。信長さんは気にしないし、ウチの家臣も最近では気にする人がほとんどいなくなったけどね。それでもわざわざ女性が戦に加わるのは珍しい。


 関ケ原には遊女とかたくさんいるけど。正式に軍に同行している人はいないはず。


 そのため料理を運んできたのは、信長さんの小姓とか若い家臣だ。


 宴に参加する武将の皆さんも楽しみにしていたようで、料理を載せたお膳を見ると一気に盛り上がる。


「エル、これはなんだ?」


「ウナギとなります。開いて当家秘伝のたれを付けて焼いたものでございます」


 エル、ジュリア、ケティ、メルティ、ウルザ、ヒルザ、すず、チェリーのみんなも信長さんに命じられて宴に加わっている。


 エルは最後まで調理をしていたので今来たばかりだけど。


「うなぎとは……」


「下魚ではないか」


 ただエルが蒲焼きの説明をすると、少し微妙な雰囲気となった。他国の使者を迎える料理に下魚とは何事だと言いたげな人もいる。


 朝倉家からの使者の皆さんも数人いるが、不快そうな表情の人もいるほどだ。


「蒲焼きは大好物なのです!」


「贅沢なのでござる!!」


 まったく反対の反応を示したのはチェリーとすずだ。ふたりが嬉しそうに歓声を挙げると不思議そうに周りが見ている。


「当家の秘伝のタレと調理法によるものでございます。是非召し上がってみてください」


 微妙な雰囲気だが、そんな周りの反応にエルは自信ありげな表情で料理を勧めると、信長さんを筆頭に皆さんがうなぎに箸をつけた。


 今日はうな重、白焼き、肝吸い、骨のから揚げに、山菜の小鉢がふたつほどある。


「これは……、うなぎなのか?」


 ぱくっと一口食べると明らかに顔色が変わる。


 景紀さんなんかは戸惑う表情を見せていて、そのままモグモグと食べた。しかし一口食べると驚きの表情に変わりウナギとは思えなかったらしい。


 今まで食べたウナギとまったく味が違うんだろうなぁ。この時代はウナギをぶつ切りにして串に刺して焼くのが基本だ。味付けは塩か味噌とかが一般的らしい。味以前に食べられるだけでありがたい時代だしね。


「はい。ウナギでございます。どんな食材も調理法次第では美味しく頂けます」


 ほかの皆さんは無言でバクバクと、うな重を食べている人が多い。当然白いご飯とウナギのタレも使っている。タレはわざわざ尾張から持ってきたんだよね。


 調理法は元の世界の関東風らしい。ウナギの身を蒸しているので身がふんわりしていて美味しい。ウナギの質とかを考慮して最適だと判断したんだろう。


 そもそもここ関ケ原では新鮮な海の幸は簡単には手に入らない。朝倉か六角の使者をもてなすことはあり得たので、相応の準備はしていたんだ。


 周りの皆さんが美味しそうに食べる様子にエルも嬉しそうだ。もともと血生臭い謀略よりも、自分の料理を美味しいと食べてくれることが嬉しいタイプだからね。エルは。


「しかし、これでは下魚にしておくのがおしゅうございますな」


「ガハハハッ、ウナギの値が上がるか!?」


 ガツガツとうな重を平らげた人たちは、さっそくお代わりを要求していた。この時代の人ってよく食べるからなぁ。


 お代わりが来るまでは白焼きを肴に金色酒と清酒で一杯やるが、白焼きには醤油とワサビを添えている。これもまた美味しいなぁ。


 周囲の楽しげな会話に耳を澄ませていると、ふと尾張の武闘派の武士のひとりがウナギの値について口にして周りの尾張衆が爆笑している。


 何気ない会話だし、朝倉家の使者の皆さんは気付いてないだろう。ただ食べ物の値に敏感になっていることが、彼らの成長とも言える。


 食べ物は工夫して美味しく食べる。


 実際にその価値観は尾張では根付きつつある。蕎麦や麦はその代表だろう。とりあえず雑炊にして煮て食べるだけの食生活から、ひと工夫して美味しく食べようとみんなが考え始めた。


 無論それは余裕がなければ無理なことだが、粉にするくらいなら尾張では水車を建てればそう難しいこともない。それより良質な石材から作られた石臼が高値になる。


 ただ、立地条件に問題がなく、初期投資の回収にも明るい目処が立っているなら、製粉所が出来ない筈はないよね。


 そば粉を焼いて味噌を塗ったクレープもどきは、尾張では庶民のおやつや間食として人気だ。そうそう、クレープは何故か『熱田焼き』という名称で呼ばれていた。


 考えた商人が熱田の人だったからだと思うが。


「……尾張は違いますな」


 ふと気づくと景紀さんが真剣な表情でそんな尾張衆の皆さんを見ていた。


 まさか気付いたの?


「皆が考えて動いておる。久遠家だけではないぞ」


「越前に戻りましたら、主と父にしかと伝えまする」


 驚いてしまったオレだが、信長さんは面白そうに景紀さんを見ると、まるで景紀さんの心の中を見透かしたように一言だけ語った。


 そうか。よく知らない人たちだと、ウチの銭のおかげだと甘く見ているのか。


 尾張のみんなは貪欲だ。ウチが教えたことを学びそれ以上を目指そうとする。そのエネルギーにはオレも驚くほどなんだ。


 保守的な朝倉家にはそれはないのかもしれない。



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