第629話・浅井家のゆくえ

Side:浅井久政


 おのれ! おのれ! おのれ!


 どいつもこいつも。わしを軽んじおって。


 織田が荷留をしたことで、何故、わしに抗議がくる! 止めた織田を責めるべきであろう!!


 朝倉はすでに兵を動員して、こちらを攻める気配すら見せておる。しかも北国街道を使い、複数の者が関ケ原へ行ったという話もある。六角からはこれ以上勝手なことをするならば、謀叛とみなすとの使者まで来た。


 何故、誰も理解せぬのだ。ここで織田を叩いておかねば、増長した織田はかならず近江に攻めてくるのだぞ!


「殿のお許しがいただけるのならば、某が尾張に出向き、織田と話を付けて参ります」


「ならん! 戦の前に出向くなどならん!」


 片桐がさすがにまずいと思うたのか、織田と話すべきだと遠慮がちに進言してきた。だがそれが露見すれば戦にもならなくなる。


「とはいえ関ケ原の城はまだ出来ておりませぬが、それでも堅固な城。加えて尾張や西美濃から集まった兵が、おおよそ一万から二万。田仕事が終わればまだまだ増えるやもしれませぬ」


 わかっておる。そんなことわかっておるわ!


「城は攻めん。織田が出てきたら野戦で戦う。出てこぬならば、関ケ原と西美濃を荒らしてくれるわ!」


 誰が城など攻めるか。多大なろうを払っても、所詮、わしのものにならん。もし落としてもすぐに六角に取られるのだ。誰が城攻めなどするか!


 それに城まで取ってしまえば、それこそ織田が本気でこちらまで攻めてくるぞ。そんなこともわからんのか。


「それと、美濃に潜り込ませた者たちが捕らえられたようでございます。皆ではないのでございましょうが、数百人の賊が捕らえられたとの噂もあり……」


「あのような童でも出来る策も満足に出来んとは。聞いて呆れるな」


 何故、こうもわしの家臣は無能者ばかりなのだ。だから六角に従わざるを得なかったと、何故、誰も理解せぬのだ。


 万の軍勢を食わせるのがいかに大変か。そしてその兵糧を運ぶ途中こそ最大の攻め時だと、何故、誰も理解せぬのだ。


「兵はいくらあつまる?」


「二千ほどでございましょうか」


「足りぬ。三千は集めよ。蔵の兵糧と銭を使っても構わぬ」


「はっ、畏まりました」


 何故、このようなことになったのだ? 得体の知れぬ南蛮崩れを従えただけの織田如きに。向こうもただの成り上がり者ではないか。何故、こうも上手くいかぬ。


 地の利もあったはずだ。織田は美濃では新参者。銭が多少あったとて、それが如何したというのだ。


 もしかすると父上が大きくした浅井家は、再び土豪に戻るのかもしれん。だが、ただではやられんぞ。愚か者にも織田にも六角にも朝倉にも、わしの力を見せつけてくれようぞ。


 あの愚かな妹も織田の下で安泰に暮らせるなどと思うなよ。浅井が土豪に戻る時は彼奴あやつも道連れぞ。


 幸か不幸か、井口めがわしを裏切り、六角に直接臣従してしまった。織田に勝てば滅ぼしてやるが、わしが負けても、勝手に猿夜叉丸を守って、浅井の家は残してくれよう。


 後顧の憂いはない。あとは織田に浅井の武とわしの力を見せつけて、和睦に持ち込むことだ。六角も朝倉も頼るに値せぬのはよくわかった。


 わしの失態は六角や朝倉を見誤ったことだ。これならばまだ織田のほうがいいわ。


 織田と和睦して六角、朝倉、織田を争わせればいいのだ。


 今に見ておれ。わしを軽んじた者たちに目にもの見せてくれようぞ。




Side:朝倉景紀あさくらかげとし


 まるで祭りのように騒がしいと思ったら、尾張から織田の本隊が到着したらしい。一目見ようと賦役の民が嬉しそうに駆け寄っていくさまに、織田の強さを見た気がする。


「まるで父上のようではないか」


 朝倉家において父上は別格だ。殿も先代の殿も戦には出ておらず、よく父上が総大将となって出陣しておった。そんな父上を迎える民のようではないか。


 ここにおるのは西美濃の民のはずだ。織田はすでにこれほどの信を得ておるのか。浅井は知らぬのか? 一向衆と戦をすれば嫌でもわかる。民とは恐ろしいものなのだ。


 民が心から信じて守ろうとすれば、いくら戦に勝っても意味などない。勝った者に従わぬのだからな。浅井の勝てる相手ではないな。


「皆様、運がよろしゅうございますな。本日は大智の方様が直々に宴の料理をお作りになるとのこと。織田でも滅多に食べられませぬ」


 大将は織田弾正忠殿の嫡男だ。我らを歓迎する宴を開いてくれるという。世話役の者が嬉しそうに語っておるが、宴が開かれるのが嬉しいのか? 身分を踏まえるに参加出来るとは思えぬが?


 しかし戦場においてのんきだと見るべきか。それだけ余裕があると見るべきか。仏と噂の弾正忠殿に会えぬことは残念ではあるが、嫡男と久遠家当主が来ておると聞くと会わぬわけにはいかぬ。


「噂の大智の方殿か」


「ええ、近頃尾張で流行っておる料理はほとんど大智の方様が伝えたもの。ですがやはりご自身がお作りになられた料理は絶品でございます。年寄りなど冥途の土産だと拝むほど」


 それと父上がもっとも気にしておった女が大智の方だ。三河の一向衆を根切りもせずに、坊主どもを制圧したことは朝倉家でも騒ぎとなった。


 三河の一向衆などたいしたことがなかったと言う者は家中にもおる。だが一向衆の恐ろしさを知る父上は、本證寺を壊滅させた織田の動きと策を入念に調べさせた。


 結果として浮かび上がったのが大智の方だ。久遠家当主である一馬と共に、尾張に来た当初から一向衆対策をしておったようなのだ。


 飯を食わせて荒れ果てた土地を復興させることにより、一向衆と民を切り離したという。その策を聞いた父上の驚いた顔が忘れられぬ。


 民を坊主どもから取り上げたのだ。たかが飯によってな。無論、そこには薬師の方の評判や仏の弾正忠殿のまつりごともあった。だがあの一向衆から民を取り上げるなど父上も出来なかったことだ。


 その策を考えたのが大智の方だというではないか。それを知った父上がわしにだけポツリと漏らした。天が動くのかもしれぬと。


「ずいぶんと嬉しそうだな」


「実は大智の方様は、我らにも馳走をお作りくださるのでございますよ。長旅でお疲れでございましょうに」


「ほう、それは良かったな」


「はい。久遠家の皆様はよく馳走していただけるようでございますが、我らが頂けることはめったにないこと。戦の士気も大いにあがりましょう」


 大垣からここまでさほど遠くはあらぬはずだが、女の身では大変であっただろう。何やら輿にのらずに馬で来たようだからな。


 それにもかかわらず、休息もせずにわしらや織田家家中の者に振舞う料理をしておるとは。氏素性もない南蛮人だと聞くが、久遠家が弾正忠殿の猶子の家柄となって以降は、尾張では弾正忠殿から実の娘のように扱われているとも聞くほどなのだが。


 わしは『織田を見極めてこい』と父上に厳命されておる。本心は父上が来たかったようだがな。さすがにそれは叶わなかった。


 だが噂の薬師の方も来ておるとなると、やはり父上が来るべきだったのかもしれん。


 近頃は昔と比べて体調が優れぬ日もある。関ケ原まで来ておれば、薬師の方が真に噂通りならば、診てもらうことも出来たであろうに。


 さて、織田は朝倉家にとって光明となるのか、それとも……。





◆◆

朝倉景紀。朝倉宗滴の養子。後継者。

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