第623話・静かなる争い
Side:柳生宗厳
朝一で賊共を捕らえたとの知らせが一つ、大垣に届いた。正体不明の者たちが叩きのめして織田に渡せと言ったとのこと。恐らくは殿か大殿の子飼いの誰かが、見つけたのだろう。
「すず様、いかがなさるのです?」
「もちろん予定通りに賊狩りをするのでござる」
拙者はすず様とチェリー様に従ってここまで来たが、いずれかと言えば守役のようだ。あまりやり過ぎないように、気を付けてやってほしいと、殿に言われておる。
それにしても大垣の城主である織田信辰様は、まだ十代半ばのすず様たちに随分と気を使っておるな。立場上、自ら上に立っても文句は言えんのだが。
もっともすず様たちはあまり細かい差配はされぬ。賊を狩る兵の配置は意見を出したが、それ以外は信辰様に任せておられるからな。互いに上手くやろうとしておるということなのであろう。
「よしよし、みんないい子なのです。無事に帰って来るのですよ~」
それと今回は十頭ほどの犬を連れてきておる。牧場村にて育てておった狼と見紛うばかりの精悍な犬たちだ。リリー様が人を捜索する鍛錬をしておった犬で、尾張でも試しに使ったことがある。賊を追う時に活躍した犬たちだ。
チェリー様は朝からそんな犬たちの世話をしておる。無論世話をする者たちは別におるが、犬もよく世話をすれば主が誰だかわかるのだとか。
裏切るのが当たり前の人よりも賢いのではないかと、誰かが笑い話にしておったくらいだ。人の性根が犬より劣る事に、哀しみではなく笑いで応えるとは、人の世の荒廃の罪深さかもしれん。
「では、私たちも出発でござる!」
「頑張るのです。褒美もあるのですよ」
「おー!!」
武芸の腕前が立つお二方だが、それでも立場というものがある。拙者を筆頭に腕利きや剛の者を護衛として連れてきておる。あとは美濃衆と地元の領民を加えて、大垣から関ケ原近辺の山狩りをする。
美濃衆と地元の者たちは、褒美というチェリー様の言葉に一気に士気が上がった。期待しておったのであろうな。
拙者も正確な数字は把握しておらんが、三千から五千は動員しておるはずだ。関ケ原のほうでも、こちらに合わせて賊狩りをすることになっておるからな。
季節柄、草も伸びて歩くのも一苦労だ。地元の者が草をかき分けて道を作ってくれる。
すでに大垣近隣の村には賊がおらぬか、確認するために人を送っており、賊の噂だけでも、それなりの褒美が出るように手配した。連中がいかほどの手練れか知らぬが、そういつまでも逃げ回れまい。
Side:不破光治
「人を止めるのでございますか?」
「浅井方が入り込んでいるのは、ほぼ確実です。予定より早いですが、不破の関を設けたいと思いまして」
大垣からここ関ケ原の近辺に増え始めた賊を捕らえるために、織田家では大規模な賊狩りが行われることになり、賦役を些少なりとも止めてまで賊狩りを始めた。
ウルザ殿はそんな賊狩りの指揮を関ケ原でしておられるが、わしを内々に呼ぶと関所について話を始めた。
この場におるのは氏家殿と犬山城の織田十郎左衛門殿などごく僅かだ。いかにも先にわしの同意を得ようということか。
律儀なことよ。すでに莫大な銭で城まで築いてもらっておいて、今更拒否は出来んというのに。
「確かに、浅井方の動きを見ると止めるが定石ですな」
「賛同いただけますか?」
「もちろん賛同致しますぞ」
浅井方はずいぶんと我らを甘く見ておる様子。ここで関所を設けて断固たる姿勢を見せねば、六角にまで舐められてしまうやもしれぬ。
懸念は何処まで効果があるかだ。その気になれば山の中を抜けることも叶わぬではない。恐らく賊の大半は山の中を通って入ってきたのだろうからな。
「浅井の賊を口実にして不破の関を設け、しばらく尾張から畿内に運ぶ荷を減らします」
「ほう、そこまでなさるか? しかしやり過ぎればあちこちが騒ぐのでは?」
さて何処まで考えておるのかと思案しておると、続けてウルザ殿が話した今後の方策に氏家殿が驚いておる。
そこまですれば敵を増やしかねんのだが。北近江には日和見をしておる者も多かろう。今のところ浅井に加担する者はほとんどおらんが、口実にされるぞ。
「織田としては必ずしも畿内に売る必要はないのですよ。それを改めてはっきり示します」
攻められて報復にも出ないと思えば、報復より恐ろしいことを考える。文句があるなら売らんとは久遠家だから言えることだな。今や畿内の品より久遠家の品のほうが貴重なほどだ。ここで賊を理由に関を閉じれば、畿内の諸勢力は賊の責をいずこに向けるであろうか?
六角とはある程度は話が出来ておるようだが、そもそも浅井を押さえなくてはならなかったのは六角だからな。漁夫の利を狙う様子もある。織田としても強く出ておかねばならんということもあるのであろうな。
浅井はいかがするであろうな。東山道の通行税は浅井にとっても大きいはず。しかも清洲の殿は浅井を対等の相手と認めておらん。
戦がいかがなるかしらんが、東山道経由の荷は戦の行方にかかわらず、簡単には戻らぬかもしれんぞ。
Side:ちょっと賢い浅井方の賊
旅の武芸者を装い、寺で夜を明かした我らはそのまま東山道を大垣に至るほうへと向かう。森や山に隠れたとてすぐに見つかる。
愚か者どもは人目に付かぬようにと山へと行ったが、そんな浅知恵が織田に通用するものか。
大垣から関ケ原へと運ばれる荷は日に何度もあると聞く。織田領では飢える者はおらぬが、織田に従っておらんところは違う。その者たちに僅かばかりの銭と引き換えに織田の荷を襲わせるのだ。
奪ったものは好きに致せばよいと言っておる。それを己の村にでも持って帰れば、織田にそのことを知らせればいい。
元は土岐の領国。織田は美濃ではまだまだ余所者であろう。美濃の内々で奪い合わせれば、織田の目も美濃へと向く。
それで浅井家に対する態度が変わるとまでは思わぬが、織田が疲弊すれば東の今川や六角も動くかもしれん。ともかくやれることをやらねばならん。
そろそろ昼になるという頃、道中の村で休んでおると織田の兵が現れた。
仲間に緊張が走るが、我らは表向きなにもしておらん。問題ないはずだ。
「あいつらだ!」
「あいつらがおらたちに織田様の荷を襲えって言っただ!!」
すっと背筋に冷たいモノが流れた。そこに同行しておったのは、昨日そそのかした者たちだった。
何故、織田の兵と共におる。連中にとって織田はよそ者。敵であろう!
「御方様、いかがなさいますか?」
「あの者は必ず生かして捕らえるのでござる!」
「はっ!!」
中心におったのはまだ若い娘だった。黒髪を男のように後ろで結っておる娘と、草のような髪の色をした娘だ。久遠の女か?!
黒髪の娘がわしを見て生かして捕らえろと命じると、兵たちが一斉に動き出した。
「おのれ!」
「やられるか!!」
まだだ。動いてはならん。ここで動けば連中の思うつぼだ。ここは旅人のふりをしてやり過ごすしかない。
それなのに! それなのに連れてきた土岐の旧臣どもが、兵の動きに我慢できずに武器を構えてしまった。
この愚か者が! だから
「逃がさないだ!」
「お前らを捕らえて褒美をもらうだ!」
多勢に無勢だ。戦ったら勝てん。戦うつもりの連中を囮にして、わしは一目散にこの場から離れる。
だが、そこには鍬や鋤を持った村の者が、すでにわしを囲むように待っておった。
「どけ! この下郎が!!」
おのれ。下郎の分際で。許さぬ、許さぬぞ。
「やっちまえ!!」
褒美という言葉に目の色を変えた下郎どもが、わしに一気に襲い掛かってきた。
何故だ。何故……。
ここは織田にとって敵地にも等しい美濃のはず。何故、こうも下郎どもが従うのだ。
何故だ!!!
◆◆
柳生宗厳。石舟斎さん。
氏家殿。美濃三人衆の氏家卜全。
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