第621話・前哨戦の前の前
Side:浅井方の賊
「これは……、何事でございますか?」
「久しいな。今こそ恩を返してもらおうか。代々目を掛けてやってきたのだからな」
すでに日も暮れておる。今宵は野宿のつもりであったが、同行しておる土岐家旧臣のひとりがいいところに案内すると言うのでついてきた。
闇夜に紛れて村で一番大きい家に押し入ると、家人たちは既に寝ておったようで、たたき起こすと戸惑っておる。そんな家人たちに武器を突き付けた先の土岐家旧臣は、傲慢な笑みを浮かべて語り出した。
「……帰参のお許しが出たのでございますか?」
「ああ、出たぞ。守護様からな。だからさっさと飯を用意しろ」
家人の顔色がみるみる悪くなる。守護とは大それた嘘を吐いたものだ。もっともこやつらの中には遠縁だが土岐家の血縁がある者もおる。己らが土岐家を継いで守護になるのだと、勝手にほざいておる者たちなのだからな。
まあそんな勝手な理由で守護になれぬことは、当人たちも理解しておろう。こやつらは武功を挙げて美濃に帰参したいだけの小物だ。
「美濃に守護様はおりませぬ。この村はまだ違いますが、辺りはすでに織田様の御領地。ここで守護様を名乗るものを泊めると、わしらが罰を受けてしまいまする」
「ああっ?
家主は周囲を見渡して我らの数に敵わぬと思ったのか、なんとか穏便に済ませようと頭を下げるものの、土岐家旧臣の者たちは調子に乗ったようで家人の妻子に刃を向けておる。
いずれもいずれだな。守護家家臣を名乗りながら賊と変わらぬ愚か者と、一家も守れず怯える家主。これだから田舎者は嫌になる。
「もういい。いかにせよ我らの足取りを掴まれるわけにはいかんからな。従わぬなら生かしておけぬ」
後がない者はそんな土岐家旧臣たちに嫌気がさしたように顔をしかめて、目の前の家主を縛り上げて女には飯の用意をさせる。
いずれ殺すのだ。詰まらぬ戯言に付き合いきれぬということであろう。
腹いっぱい飯を食い、明日以降に備えなければならん。美濃は荒れるであろうな。面白くなりそうだ。
Side:織田信辰
「捜索範囲が、広いでござる」
「どこから探す~?」
関ケ原への街道で正体不明の賊による襲撃がおきたと思うたら、清洲からさっそく人が来た。伝書鳩と言うたか。久遠家は鳩に文を運ばせておるせいで恐ろしく早い動きだ。
先遣隊は久遠家のすず殿とチェリー殿と、それと小豆坂の七本槍の佐々兄弟など百五十名ほどだった。織田家でも武闘派の者たちだ。
誰が将なのかと思うたら、すず殿だという。確かに織田一族は他にはおらんが、まだ若い娘ではないか。
よいのかと思うたが、いかにも佐々兄弟を筆頭に皆が納得しておるらしい。
「付近の動員は掛けておいた。すぐに兵も集まる。問題は織田に従っておらん者も周囲にはおる。立ち入ると面倒になるぞ」
無論、わしも手をこまねいておったわけではない。すぐに捜索の兵を出したうえに、早急かつ確かな鎮圧のために兵も集めておる。
ただ西美濃はまだ少し面倒だ。大垣周辺はある程度は織田に従っておるが、それでも皆がではない。兵を率いて立ち入るには相応の理由と覚悟が要る。
「無問題! 大殿の許可は頂いて来たのでござる」
すず殿が口にした『もうまんたい』とは如何なる意味か知らぬが、確かに清洲の殿と斎藤山城守殿の連名の書状だ。賊の捜索・鎮圧に協力せよという命令になる。
斎藤家は守護代家だからな。山城守殿自身は守護代ではないが、清洲の殿と山城守殿の連名だと拒否できる者はほとんどおらぬか。
清洲の殿もこの件を重く見たか。すず殿の話では嫡男の三郎様もすぐに来るというが。
「賊敵は恐らく浅井なのです。追放した土岐家旧臣が手伝っているかもしれないのです!」
チェリー殿が賊敵について言及すると、集まった美濃衆が少しざわめいた。思うところはあろう。少し前まで同じ守護に仕えておった者たちなのだからな。
少し顔色が悪いのは、己の領地に入り込まぬか不安なのであろう。織田の力を知っておる者はよい。だが美濃には未だに知らぬ者も多いのだ。家臣や領民が手引きしておれば、責めを負わねばならなくなるからな。
「では早めに動くべきですな。連中の立ち寄りそうなところや隠れそうなところは心当たりがありまする」
さっさと始末しないと己に火の粉が降りかかると思うたのか、美濃衆は率先して意見を口にしておる。
「すず殿、手勢をいかに配置されるのだ?」
「拙者は美濃衆を知らぬので、お任せするでござる。ただし尾張衆と美濃衆を混成してほしいのでござる」
さて、問題は手勢の配置と誰が差配するかだ。すず殿にそこを問うてみるが、必ずしもご自身で差配することに拘らぬか。
関ケ原のウルザ殿や剣術指南役のジュリア殿の前例もある。すず殿が求めるのならば、わしは従ってもよいのだが。
「ではこの場で手勢の配置を決めようか。詰まらぬ争いをしておる時ではない」
幸いなことにこの場には大垣周辺の美濃衆と、すず殿が連れて来た尾張衆がおる。この場で決めてしまうのが一番よかろう。
「国人や土豪や村に抵抗されたら退いて構わないでござる」
襲われた者たちは荷を別の馬借に引き継いで、今こちらに向かっておる。賊の顔を知る襲われた者たちを配して探すか。
いろいろ問題が起きそうだが、なにやら織田が本気で賊狩りをするということを重視する様子。すず殿は日和見、不服、反抗致す国人は一旦放置する気か。賊を匿っておったなら末路は決まりだな。
と言うても抗う者などおるか? 安藤殿あたりは抗いそうだが。ほかはそこまでの力はあるまい。
「そうそう、賊を捕らえた人には褒美を出すのです。これをばら撒くのです!」
手勢の配置も決まり、さっそく動こうという時、チェリー殿が大量の紙を運ばせた。
何事かと思えば、賊を捕らえた者たちには一家で夏の花火大会に招待するという褒美があるらしい。
何故、このような褒美なのだ?
「蟹江温泉と久遠家の豪華食事と清洲城の見学付きなのです!」
自信満々のチェリー殿だが美濃衆は理解出来ぬと言いたげだし、佐々殿を見ると少し苦笑いを浮かべておる。銭や米を僅かばかりでもくれてやるだけでよいと思うのだが。
「褒美は特別なものがいいのです。銭だと偉い人や面倒臭い親族に取られるのです」
「なるほど……」
我らの戸惑いを悟ったのかチェリー殿が説明をするが、あくまで捕らえた本人に褒美をやる気か。失礼ながら、ただの思い付きかと思うてしまった。
「わかりました。ではこれを近隣や関ヶ原への沿道に配ればよろしいのですな」
「はい、なのです!」
まあ、清洲の殿がお認めになったのだ。わしが口を挟むことではないな。
「これはわれらでも頂けるので?」
「当然なのです!」
「おおっ、久遠家の馳走を頂けるのか!」
少し不安があったが、美濃衆にも意外に好評らしい。目の色が変わった者もおる。
織田の飯が美味いのは久遠家のおかげだと有名だからな。そんな久遠家の豪華料理と聞けば目の色が変わる者もおるか。こればかりは銭を出しても、そう簡単に食えるものではない。
「必ずひとりでも多く生かしたまま捕らえて、誰の
なんというか目の色が変わった美濃衆に少し不安があるので、念を押しておくか。適当な首を持ってきて褒美を寄越せと言われても困る。
しかし考えてみれば上手い褒美を考えたな。多少銭は掛かっても土地を与えるわけではないのだ。織田にも久遠にも銭ならばある。下手に土地を与えるよりはいい。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。わしも行くか。
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