第620話・動き出す尾張

Side:久遠一馬


 関ケ原へ行く輸送が狙われた。正確には撃退したが、その一報に清洲は慌ただしくなった。


 賊など珍しくないとはいえ、織田家の支配地域である西美濃で、織田家の輸送隊が狙われたのだ。笑って済ませていいことではない。


 しかも相手は、どう考えても荷物狙いの賊ではないとの報告が上がってきているんだ。


「賊は浅井の手の者か?」


「断定するのは現時点では難しいですね。美濃全体で見ると、織田を面白くない者は多いでしょう。また今川などの外部からの関与も完全にないとは言い切れません」


 清洲城では急遽評定が開かれた。氏家さんなど関ケ原にいる人たちは参加出来ないが。


 織田家の皆さんも十中八九は浅井かと考えているようで、信秀さんもそれを諮問してきた。無論それは正解なのだが、こういう時に結論を急ぐと今後類似する問題が起きた時に間違った判断をしかねない。だからオレも状況だけから推測できる仮定だけを話す。


 西美濃で言えば安藤、竹中、東美濃は遠山一族、また駿河の今川も信じていいほどの関係じゃない。


「とはいえ、浅井が戦支度をしているのは事実です。また伊賀からは、浅井が『美濃を荒らすために人を出せ』と命じてきたと知らせが届いております」


 情報関係は忍びがいる信秀さんかウチが主になるが、組織力や尾張外の諜報網はウチが一番持っている。必然的にオレが説明しなくてはならない。実はこの一件より前に、伊賀から浅井の動きを知らせる使者が来ていた。


 どうも伊賀者に美濃の内乱にみせかけた工作をさせようとしたらしい。とはいえ伊賀はそれをそのまま尾張に知らせに来た。


 当然だよね。伊賀には畿内から西国までの情報収集を頼んでいて、少なくない銭を渡しているんだ。


 オレの報告に周囲はしんと静まり返った。黒と言い切れないが、限りなく黒と断定していい状況だ。


「かず、美濃に浅井から誘いが来ておったのはいかがなった? 誘いに乗った奴はおるのか?」


「今のところ明確に誘いに乗った有力者の報告は有りませんね」


 ここで気になるのは、美濃の独立領主だ。信長さんがそのことを訊ねてきたが、現時点では明確に誘いに乗った人はいない。


 最終的にはほとんどが、誘われたことを織田家に報告している。すぐに自発的に報告した人もいれば、今須宿で稲葉さんが奇襲を撃退してから報告に来た人もいる。また氏家さんたち美濃衆が相談されて、悪いことは言わないから浅井に加担するのはやめておけと説得して、そのまま口利きする形で報告が上がってきた国人も何人かいる。


 ウチにも彼らの取り成しを、ウルザが頼まれたと連絡が来ている。日和見していたのは確かだろうが、大きな脅威もないし戦の前に報告した人は問題ないだろう。


 ちなみに安藤さんと竹中さんを筆頭に彼らに近い人たちは報告がないが。ただ彼らも別に浅井に協力などしていない。安藤さんなんか、使者を斬り捨ててしまったほどだ。


「本当に戦までする気なのですな」


「浅井は北近江三郡しかない。斎藤家単独でも勝てよう」


 評定にいる織田一族や重臣の皆さん。それと今回は問題が美濃のことなので特別に同席を許された義龍さんがいるが、みんな本当に戦までするのかと驚いている。


 国力が違い過ぎるのは誰の目からも明らかだ。これが他家ならば斎藤家に撃退を命じて終わりでもおかしくないほどだろう。


 ただ浅井ではすでに一部で動員もしているし、あちこちに味方するようにと文も出している。


「これは、浅井を潰すために六角家が裏で糸を引いておるのでは?」


 一部には奇襲の報復をしなかったことで舐められているんだと不快そうな人もいたが、それ以上に六角家の関与を疑う声があった。


 浅井が六角家に臣従をしていることは周知の事実だ。ここまで勝手なことをされて許しては、六角家としても家中に示しがつかないのはオレにもわかるからね。


 それにも拘らず六角家が動かないことが疑念の原因だ。


 もっとも六角家は、ここで浅井をけしかけようとまではしていない。とはいえ織田家中に六角へ疑念があることは留意しなくては駄目だな。


「最早、疑いようもないな。守護様、よろしいでしょうか?」


 一通り意見が出終わると、信秀さんが上座に座る義統さんに決断を促した。


「ここまで来ればやらねばなるまい。弾正忠、浅井を討ち美濃を守るのだ」


「はっ、心得ました。三郎、一馬。そなたたちに任せる。美濃にゆけ」


 他国との戦の命令だからね。これは義統さんが出さねばならない。というかやっぱりオレも行くんだね。


 事前に信秀さんから言われていたことなんだけど、今回は信秀さん出ないんだよなぁ。信長さんとオレたちで戦に行けということらしい。


 信長さんも自分が大将となっての本格的な戦は、初陣以降は初めてだ。関東の時の海戦でも大将だったけど、あの時は船の戦を知らないと丸投げされたからなぁ。


 信長さんに戦の経験を積ませて、武功を立てさせてやりたいんだろう。尾張・美濃・三河の武士から選抜した軍になる予定だし、関ケ原の城も本当に最低限の防衛設備は用意できた。


 六角と朝倉が動かない以上は、信長さんが大将として経験を積むには、手頃な相手であることには変わりない。




 評定が終わると清洲城は戦だと一気に空気が変わった。


 評定に参加していたジュリアとセレスとケティは、それぞれに武闘派や警備兵や医療従事者から派兵する人員の選定に入った。


 オレとエルは信長さんと義龍さんと今後の打ち合わせをする。


「エル。賊はいかがするべきだ?」


「山狩りをしてでも徹頭徹尾、寸毫すんごうも許さずに叩くべきです。織田の荷に手を出した者への報いを、厳然と周囲に示す必要があります」


 まずは輸送隊を襲った賊だ。信長さんはエルに策を求めた。


 迷ったんだろうな。戦の前に少数のゲリラをどうするか。費用対効果という問題もあるし、下手に動いて浅井の思惑通りになるのも面白くないんだろう。


 ただエルはあくまでも領内の治安と、美濃や近隣に織田の意思を明確に示すための山狩りを進言した。


「新九郎殿はいかがする? 一旦稲葉山城に戻るか?」


「はっ、すぐに戻り兵を率いて参ります」


 それと義龍さんに関しては、命令する権限はまだ織田家にはない。とは言っても義龍さんも参戦することは既定路線なんだが。足早に美濃に戻る義龍さんを見送り、オレたちも準備しなくっちゃ。


「某が、でございますか?」


「うん。思えば八郎殿は戦に留守番ばっかりだったからね。まだ老け込む歳でもないし」


 那古野の屋敷に戻るとすでに戦支度が始まっていた。いつもの如く準備をしてくれる資清さんを呼び留めて、今回は一緒に連れていくことを告げた。


 少し前に信秀さんと今回の戦について話していた時に気付いたんだよ。資清さんには大きな武功がない。本人はあまり気にした様子もないが、ここらで戦にまた出るべきだろう。清洲攻め以来の参陣だ。


「やっぱり武士なんだね」


 資清さんは驚きながらも、すぐに自分の支度もすると慌てて走っていったが、どこか嬉しそうだった。


「武士として生まれた以上は、大きな戦で武功をあげるのは夢なのでしょう」


 エルと顔を見合わせて思わず笑ってしまった。


「この先、領地が広がったら八郎殿にも軍を任せるかもしれないしね」


「何度か実戦で経験を積めば、任せても大丈夫ですよ」


 実は資清さんはウチの戦術なんかも熱心に勉強していた。立場上、オレやエルと一緒にいることが多いが、学校の教材として書いた戦術の本とか読んでいたし、エルにも暇な時間を見つけて教わっていたんだ。もしかしたらエルの軍略一番弟子と言えるかもしれない。


 清洲攻め以来、一度も戦に同行させてないのに、そこも手を抜かなかったんだよね。


 エルや一益さんとも相談して、今回は資清さんと望月さんにも従軍させる。信秀さんたちがいないので年配の経験者もほしいしね。


 ああ、観戦武官のほうも清洲を出る前に手筈を整えておかないと。こちらはすでに事前に手紙を出してはいるんだ。


 浅井が斎藤家を敵視して関ケ原を狙っていると教えて、良ければ織田の戦を見物しないかってさ。地域の安定のため相互に理解しようという体裁だ。


 もっとも威嚇する気かと受け取った人もいるが。とはいえ現時点で北畠具教さん、松平広忠さん、吉良義安さんなんかは、すでに行くという回答がある。


 一番返事が早かったのは具教さんだ。公卿家なんだけどね。戦を見せてくれるなら喜んでいくと返事が来た。そして吉良義安さん、何か心境の変化でもあったんだろうか?


 東美濃の遠山家も感触は悪くないが、こちらは臣従を強要されるのではと少し疑っている。


 何人集まるんだろうね。個人的には松平広忠さんと具教さんだけでも意味があると思うけど。




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