第619話・戦の序曲
Side:とある美濃の馬借
大垣から関ケ原まで荷を運ぶのがわしらの仕事だ。兵糧から武具に貴重な品まで様々な荷を運ぶ。一番大変なのは、やはり織田の久遠様の荷だろうか。
中には運ぶ荷に手を出して処罰を受けた者もおる。よくある話だが、兵糧なんかだとちょっと抜いて食ったりしちまうからな。
もっとも近頃はそんなことはまず出来ねえ。織田様の荷は量が均等だし、賊も増えたので警護の兵もおる。
「雨が降ってきやがった」
わしらが今運んでおるのは兵糧だ。あそこの賦役で食わせるもので、毎日のように運んでおるものだ。
もうすぐ梅雨かという季節のせいか、今日は朝から雲行きが怪しかったが、とうとう雨が降ってきた。
「次の村まで急ぐぞ!」
強く叩き付けるように降る雨に、警護の兵と相談して次の村まで急ぐことにした。道がぬかるみ歩きにくいが、荷が濡れるのもあんまり良くねえからな。
わしらはあちこちの馬借が一緒に運んでおるんで、馬だけでも三十頭もおる。織田様は銭の払いがいいし、支払いが良銭なんで田畑仕事そっちのけで運んでおる奴まで出るほどだ。
「止まれ!!」
雨の中を笠と蓑で次の村まで急ぐが、先の道に木が倒れておった。先を歩いておった警護の兵が気を付けろと合図を寄越した。
その合図でわしらは一塊となって周囲を睨み付ける。周囲は森だ。強い雨でよく見えねえし、音も聞こえねえ。
こんな生業をしておると、こういうことはよくある。尾張なんかだとそこまで酷くねえが、近頃は織田様の荷を狙って賊が出る。美濃はまだ危ないからな。
「賊だ!!」
馬借の皆も槍を構えて辺りを気にしておったが、警護の兵が大声で叫ぶと、その声と同時に森の中から賊たちが現れた。
「殺せ! 荷も馬も焼くのだ!!」
おかしい。賊の頭らしき男が命じておる声が聞こえたが、その言葉にわしは嫌な感じを覚えた。
「こいつらただの賊じゃねえぞ!!」
「敵だ!」
仲間の馬借も警護の兵たちも気付いたらしい。そう、よくおる賊の狙いは荷なんだ。馬借を皆殺しにしようとか、持っていけねえ荷を最初から焼こうなんてことは、まずしない。
そんなことをすれば、返り討ちに遭うか仕返しされるからな。賊と言っても流れ者以外は、近隣の村の者だったりすることが多いんだ。連中はやり過ぎるとどうなるのか知っておる。
「隊列を崩すな!」
わしらは警護の兵から仕事前に従えと言われておる。荷は失ってもいいから人と馬を守るようにと織田様が命じておるらしい。
「かかれ!」
敵は誰だ? 美濃で織田様に従わねえ奴らか? それとも織田様に従っておる奴らか? まさか、浅井じゃねえだろうな。
周囲の森から二十人。いや、三十人は出てくる。
その時、味方からドーンと鉄砲を撃つ音がした。
馬たちが慣れない突然の音に驚き騒ぐのを押さえつつ見ておると、警護の兵が懐に隠して濡れないようにしておった小さい鉄砲を撃っておった。
「鉄砲だ!」
「この雨の中で鉄砲だと!」
雨の中では鉄砲は使えねえ。そんなことわしらでも知っておる。だが織田様の兵は短筒と呼んでおる小さな鉄砲を持っておるんだ。
しかも火縄が要らねえ新しい鉄砲だとかで、さっき警護の兵が自慢げに見せてくれた。
どうも火打石で火を付けるようで、これも雨に濡れるとだめらしいが、油紙に包んで大切に持っておったからな。
「全員討ち取れ!!」
鉄砲に敵が怯んだ隙に、わしらは皆で敵に襲いかかった。こっちは長年馬借をやっておるんだ。この程度の敵に臆してなるものか!
「ちっ、退け!」
「逃すか!」
降りしきる雨でびしょ濡れになりながら、両手で握った槍で敵を叩く。人数はこっちが多いんだ。負けん!!
手ごたえがあってニヤリと笑みを浮かべたが、敵は負けそうだと悟ったか早くも逃げだした。
「待て! 深追いはならん!!」
ひとりふたりと討ち取り、味方も怪我したやつがおる。だが敵はやはりただの賊ではないな。退くのが早い。飢えた連中はもっと好き勝手に襲うもんだ。
襲われて気が立っておる奴が森の中まで追おうとするが、警護の兵がそれを止める。逃がすと面倒になると仲間の馬借は怒ったように訴えるが、怪我人もおる。警護の兵は早く先を急ぐことを選んだらしい。
Side:???
「くっ、あれほど警戒が厳重だとは!」
「うろたえるな! 織田が我らを恐れておる証ぞ!!」
止まぬ雨に打たれながら、皆が息も絶え絶えであった。
遥々近江から美濃の田舎まで来たのにもかかわらず、誇れるほどの成果がないことに皆が苛立ちを隠せないでおる。
わしは詭弁を口にして、皆をなだめる。これで皆の士気が僅かでも持てばいいのだが。
少し調べてみたところ、織田は長年争っておった今川と停戦しておる。北伊勢にも勢力を伸ばす六角や越前の朝倉も織田との争いには気が乗らぬようなのだ。せめて兵糧の荷駄仕事に人を掛けるように仕向けねば戦にもならん。
美濃は織田にとって新しき土地。美濃にはまだまだ敵がおると思わせることで、織田の目を少しでも北近江から離さねばならんのだ。
「腹減ったな」
仲間のひとりが干飯を齧り呟いた。憎らしいことに美濃では賦役で働く連中ですら腹いっぱい飯が食える。先ほどの馬借の連中もそうだ。
それに比して我らは僅かな干飯しかない。腹いっぱい食いたければ奪えばいい。近江を出る前に浅井の殿にそう言われた。
名のある者の首を取ってくれば望むままに褒美をくれるという。ただし久遠家の女がおった場合は生かして捕らえろという命令だ。あそこの女どもは生意気にも前線に出てくる。もし捕らえると、この戦の形勢が一気に変わってもおかしくない。
もっとも関ケ原でさえ警戒が厳重で、とても襲うどころではないがな。
「相手は尾張の成り上がり者だ。揺さぶれば必ず破綻する。誰がそんな者に心底従いたい者がおるというのだ」
「そうだ! 美濃などまとまりがない、ただの烏合の衆なのだ!」
士気の高い連中もおる。先の奇襲で失態を演じて一族を討ち取られた者たちだ。連中は後がない。ここでしくじれば戻る家などないと言われて来たようだからな。
「噂の金色砲がほしいな。あれさえ奪えれば、織田の面目が潰せる。あとは国友村の連中に作らせれば、織田など恐るるに足らん」
「あとさっきの鉄砲もほしいな。随分と小さい鉄砲だった」
近江に帰るには成果がいる。雷を呼ぶとまで言われる金色砲。いかにも鉄砲の類のようなのだ。あれが手に入れば、そうそうに近江に帰れる。
だが、それ以外にも面白きものがある。先ほど襲った馬借の警護が持っておった小さな鉄砲。雨の中でも使えるあれには大層驚かされたが、そんな鉄砲が手に入れば首と同じく褒美をくださるに違いない。
「しかし腹立たしいのは伊賀者だ。素破の分際で織田との戦には手を貸さんとは生意気な」
「所詮は下郎よ」
腹が膨れぬと近くにある野草を食べておった男が、唐突に伊賀者への不満をぶちまけた。
本来ならばこのような役目は素破の役目だ。浅井の殿も当然そのつもりで伊賀に素破を出せと命じたらしいが、まさか断るとは思わなかった。
せっかく使ってやるというのに、素破如きにまで舐められたと浅井家の重臣たちも激怒したほどよ。
「まあいい。いずれ報復すればよいのだ。伊賀の田舎者はいかにせよ貧しくて飢える。すぐに頭を下げてくるわ。まずは織田と六角と斎藤を争わせることが肝要だ」
味方は少ない。浅井の殿は守護家である京極家の名も使って、北近江の国人衆たちに兵を出させようとしておるが上手くいかぬらしい。近淡海の西には高島七頭など、浅井に従わぬ者が多いのだ。
このままでは北近江が織田、朝倉、六角に食い荒らされてしまうというのに。近淡海の湖賊に至っては誼を通じておったにもかかわらず、近頃は急に態度を変えおった。あの恩知らずどもめ。
この状況を変えるためにも美濃で織田の兵糧を襲い、織田の目を美濃に向けさせるしかないのだ。
さあ、雨が止まぬうちに次の場所に移動せねばならん。同じ場所に留まれば討たれるやもしれん。
わしらはまだまだやれるぞ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます