第618話・関ケ原の治安と桶屋
Side:久遠一馬
農作業も進み、田畑に作物が植えられるとホッとする。大変な時代だけに、収穫まで無事育ってほしいと祈る人たちの気持ちもわからないではない。
「まあ、こうなるよね」
この日は清洲城で信長さんの仕事を手伝っていたが、関ケ原から来た報告に思わずため息を漏らしてしまった。
今須宿と関ケ原に賊が出没するようになったという報告だ。今のところ防いでいるが、警備の人員が厳しいので追加の派遣を求めるというウルザからの手紙もある。
関ケ原周辺も農繁期に入り田植えなどしているみたいだが、同時に北の北国街道から関ケ原に抜けるルートの雪も消えたことで、近江方面から賊が流入しているらしい。
北国街道から関ケ原に抜けるルートには監視を置いているが、山や森の中を夜中にコソコソと動かれると完全に把握することは難しい。そもそも監視は浅井の軍の監視であって賊の監視ではない。
無論、美濃方面からの賊もいる。織田領の領民は飢えないようにと賦役に参加出来ることでそこまでしない者が大半だが、独立領主の領民は別だ。
食べるものがないなら、ちょっと奪いに行こう。飢えるまでいくか微妙だが、満足に食えない者たちは近所のコンビニに行くように奪う者もいるようだ。
これが誰かの謀略ならまだ対処が楽なんだが、この時代はこれが当然なんだよね。だから村ですら武装する。
「警備兵と家中から追加派兵するべきです」
「いずれにせよ田植えが終われば浅井が来るからな。それがいいか」
信長さんは特に頭が痛い問題とは考えてないようだ。まあこれが当然と考えているんだろう。エルが追加派兵について進言すると、そのままセレスとジュリアに派兵の規模と人員の検討をするようにと指示を出す。
ジュリアは剣術指南役なんだけどね。そのあたりの権限も曖昧だ。今後の課題だな。
「後始末が大変なんだよね。望月殿。賊の素性の洗い出しお願いします」
「はっ、お任せを」
あと賊に関しては討ち取るか捕縛するか。現地には治安維持のために警備兵も入っていて、彼らは捕縛してくれる。ただし現地に入っている警備兵の数は多くなく主に指導や管理する側だ。治安維持は、賦役で集めた領民や現地の不破さんの家臣たちの混成での見回りが主力になる。
彼らは生かしたまま捕らえる訓練もしてないしね。必ずしも生かしたまま捕らえる命令も出していない。
討ち取った人でも人相書きを書いたりして、賊の素性の洗い出しはすでに現地でも行なっているが、忍び衆の皆さんにはその裏取りをしてもらう。
「美濃者の素性はそう難しくないでしょう。問題は近江方面からの賊ですね」
「エルよ。そっちは調べていかがする?」
「当然責任を追及します。六角家と朝倉家との話し合いが決まっているのです。交渉材料は多いほうがいいですから」
信長さんは身分もない賊など調べる意味を理解出来なかったらしいが、出身地でもわかれば交渉材料になるんだよね。当然出身地の領主や守護には責任を追及する。
主に浅井と六角だろうけどね。エルがにっこりと微笑み、交渉材料にすると言うと、同じ部屋にいた義龍さんが少し同情するような顔をしたのが目に入る。
この時代では武士から領民に至るまで、奪うのが当然で隙を見せるほうが悪いと考えることもある。
六角家ですら家臣や領民の統制は、浅井に好き勝手にされている程度だ。平時なら当人たちを裁けばいいだろうと言われて終わりだと思う。とはいえ浅井の奇襲で戦時となっている現状だと、これが謀であるかもしれないという疑念も生まれる。
程度の差はあるが、浅井は六角家に臣従しているからね。責任を追及する材料は多いほうがいい。
浅井も当然なんの対価もなく許すという選択肢はない。これが権威のある守護家とかだったら面倒なんだけどね。浅井は国人レベルが増長しただけだから。追及しやすい。
「ということは美濃にも責めを追及するか」
「はい。織田領の場合は、賊を出した領主や村に対する指導が必要です。ほかはきちんと責任を追及するべきです」
統治も楽じゃない。新しい織田のやり方に臣従した人たちも大変なんだよね。これを機会に美濃織田領には分国法や織田の統治をきちんと根付かせる必要がある。
あとエルも説明しているが、独立領主には少し厳しく対処する。領地を統治出来ないなら相応の対応が必要だし、敵対行為じゃないのかとの追及も必要だ。
無論これを理由に、独立領主を今すぐどうにかしようとは思っていない。ただし、信用できないんだ。今までとは違って警戒も必要だし、食べられなくてもこちらから手を差し伸べることはしない。
従う者たちを守り、頑張る人たちは応援する。それ以外は時代相応の対応が無難だろう。
「それは斎藤家に知らせたほうがいいのではないか?」
「ええ。大殿の裁定を仰ぎ、新九郎殿にお願いすることになるでしょう」
おお、信長さんも配慮が出来るようになってきたね。この件は事前に斎藤家に根回しが必要だろう。美濃での影響力は未だに大きいし、独立領主は斎藤家に臣従する姿勢の者も少なくない。
あとは道三さんが取り成して動けば注意くらいで済むだろうが、よほど親しい人以外はやらないだろうな。
Side:桶職人の市兵衛
「わしは構わんが、桶しか作れんぞ?」
守山の織田孫三郎様に頼まれた仕事も終わりホッとしていたところに、親戚で一番の出世頭である鍛冶屋の清兵衛がやってきた。
久遠様に召し抱えられていて、今や織田家の職人衆筆頭でもある。親戚でもその縁で働いている者が多い。
今回、清兵衛はわしに工業村へ来ないかと誘いに来たんだ。前々から誘われてはいたんだがな。忙しくてそれどころではなかった。
久遠様に教わって作った大きな桶が飛ぶように売れるんだ。久遠様からは領外には売るなとは言われているが、領外に売る余裕なんてまったくないほど売れた。
「ああ、いいんだ。いろんな職人を集めて皆で考えて新しいものを作るんだ。桶職人が居なくてな。間違っても裏切り者を出すわけにはいかねえ。その点、お前なら信頼出来る」
あそこは鉄を扱うと聞いたし、わしは桶職人だ。桶や樽くらいなら作れるが役に立つとは思えんのだが。
久遠様は忙しいようで近頃は姿を見ないが、同じ津島におられる唐の方様は時々来られて酒や食べ物を分けてくださる。奉公に来いというなら断れんし、断る気もないが。
「あそこに入りたくて銭を積む者もいると聞くがいくらいるんだ?」
「そんなもの取らん。逆に禄は出るぞ。それもかなりいい。その辺の武士が羨むくらいだ。ただし中で得た技は口外してはならん掟だ」
「別に構わんが。例の大きな桶も久遠様の技だ。漏らす気はない」
工業村か。職人の中にはあそこに入るために少なくない銭を出して取り成しを頼む者もいるとか。お決めになるのは織田の殿様だが、織田の殿様の許可を頂く前に久遠様の許可もいるとかで、久遠様に取り成してもらうためにみんな必死だ。
それを清兵衛は任されておるのだとか。凄いな。同じ親戚としてこれほど嬉しいことはない。
そういえば大八車といったか。木を鉄で補強した荷車が近頃は津島でも走っているな。あれでも作れということだろうか?
「急ぎの仕事がないなら近日中に引っ越してくれ。銭と人はこっちから出す。藤吉郎を寄越すから任せてくれ」
「ああ、わかった」
数人の者に守られながら清兵衛は忙しそうに帰っていった。本人は警護を受ける身分じゃないとぼやいていたが、久遠様が付けた警護の者が必ず付いてくるらしい。
偉くなるのも大変だなぁ。わしはその点、気楽でいい。
まあ暮らしが楽になるのは嬉しいがな。そうだ。唐の方様に挨拶にいかねば。世話になったからな。奮発して鯛でも持っていくか。
◆◆
唐の方。久遠リンメイの通称です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます