第617話・古き時代の名残りと新たな時代の芽生え

Side:朝倉宗滴


 外は春の青空だ。質素な茶室で、尾張から贈られた美しい白磁の茶器にて、殿が茶を淹れておられる。


 今や京の都でも流行っておるという紅茶だ。茶器はあまりに薄く壊れそうで怖くもあるが、質素な茶室に一輪の花のようでここ越前でも評判がいい。


「素晴らしい茶器よの。これひとつで織田の味方をしてもよいと思いたくなる」


 殿も大層気に入っておられるようで、嬉しそうに眺めておられる。以前から考えておった尾張との商いを増やすことも真剣に考えておられるほどだ。


 北近江に関しては六角家とも話をしておるが、織田も交えて話すことでまとまりつつある。浅井は小谷城と周辺は残すが、要所は召し上げるしかあるまい。


 浅井はまだ戦をする気であろうが、武勇を示すことすら叶わぬであろう。浅井が集められるのは、いかほどに多く見積もっても四千か五千。敵が城や陣地で待ち構えておるところに攻める力も才覚もない。


 幸いなことに、六角家も北近江が騒がしい状況は好まぬようだしな。織田がいかに出るかにもよるが、現状の様子を見ておれば近江に出てくることはなかろう。


「殿、浅井の件でございますが……」


「任せる。いかにしようもあるまい?」


 殿の悪い癖だな。興味のないことは考えもされぬ。浅井がいかがなろうが構わぬとお考えか。とはいえ浅井を支援しろと言われても困るが。大人しく北近江をまとめることでも考えておれば良かったものを。


「懸念は斯波家でございます」


「斯波家が越前に拘れば困るか。織田は斯波家を抑えられぬのか?」


「それはなんとも言えませぬ」


 浅井の件はいい。問題は朝倉家にとっては元主家となる斯波家だ。織田と誼を結ぶにはいかにも邪魔になる。


 こちらにはこちらの大義と言い分があるが、斯波家としては当家のことを認められまい。


「織田は斯波家をまだ担ぐ気か?」


「現状では上手くいっておる様子。変える必要はありますまい」


 織田とて機会があれば追放してしまえばいいと思っておるのやもしれぬが、斯波家の現当主はそれを承知の上で織田と上手く付き合っておるとわしは見ておる。


 弾正忠殿も風評は気にするようじゃからの。


「某ももう歳でございます。今から織田を敵に回して加賀と美濃を同時に相手するのは難しゅうございます。なんとか織田と誼を結ばねばなりません」


 加賀一向衆は話の通じる相手ではない。なんとしても加賀一向衆と織田が二正面となるのは阻止せねばならん。


 わしにはもう残された時は多くないのだ。今から織田を敵には回せぬ。


「なにを言う。まだまだ若いではないか」


「某はもう七十五になります。いかにしても加賀は決着をつけたいと思いまするが、それ以上は難しゅうございます」


 仏の弾正忠と南蛮渡りの久遠一馬。そのふたりを相手にするには十年はほしいところ。だがわしはこの先、十年も生きられまい。仮に生きておっても戦場に出られぬのならば死したも同然。


「朗報もありまする。斯波家は期日を限ってながら今川との停戦を認めたようでございます。旧領の奪還に躍起になっておるわけではない、と思われることでございましょう」


 浅井の件を口実に織田とは話をせねばならん。今なら六角家の管領代殿の力も借りられる。


 今川とですら停戦したのだ。当面は棚上げでよい。いかにしても織田とは良好な関係に持っていかねばならぬ。


 さもなくば、……朝倉家の先が見えぬ。口惜しいな。あと二十歳若ければ、また変わったものを。


 殿と今の朝倉家の者たちでは織田相手に勝つのは難しかろう。織田は武力のみで戦をするにあらず。搦め手もまた得意なのだからな。




Side:久遠一馬


 那古野城では毎日少なくない文官が働いている。先日には、とうとう信長さんが家臣の領地をすべて直轄領とすることに成功したんだ。


 オレや政秀さんたちなどの与力や寺社は例外だが、信長さんの家臣や陪臣はすべて領地を買い上げて武官か文官にした。


 もともと信長さんの領地はすでに関所を廃止した地域なので、そこは手間がかからない。家臣たちの城に関しては一旦接収しており、こちらが領地買い上げの際に払った銭で買い戻した者もいる。


 ただ徴税と軍を集める権利は当然ないし、今後は城の規模により額は違うが税を払う側だと説明してある。


 田畑に税がかかるように、土地や家屋敷や城にも税を掛けることになるんだ。これはまだ信長さんの領地だけの措置だけどね。新しい税のテストという意味もある。


 それと武士も税を払うという概念を植え付けるのが狙いだと、エルとメルティが言っていた。


 国家という概念が乏しいこの時代では、領地は己の家のものであり、そこを好きにしていいと考える者も少なくない。厳密に言えば幕府の守護により治める権利を認められているというお墨付きもあるが、公私の区別があまりない時代なだけに土地も領民もすべて自分のものという勘違いが生まれる原因でもある。


「意外なところで猶子と殿の直臣になったことが役に立ったね。ところでジュリア。武官のほうはどう?」


 ウチのことで言えば、当初のまま信長さんの直臣だったら牧場も返上して、そこから買い戻して個人として運営する必要があったが、現在は信秀さんの家臣なので対象外になる。


 この時代、地位や力があれば特別扱いも容認されるが、なるべくそれをなくしたいからね。ウチの特別扱いはなるべくしたくない。


「まあまあだね。次男三男のほうがやる気はあるよ。当主や嫡男は次男三男と扱いが同じことが不満らしいけどね。すぐに不満も言えなくなるさ」


 そして武官だが、警備兵と組織の命令系統を分けるために武官としてひとまとめにした。こちらは清洲にてジュリアと武闘派の面々が面倒を見ている。


 正式に軍として発足させることも考えたが、現状ではそこまでの人数も規模でもない。一番懸念されたのは、彼らが軍の最古参となることによる弊害だ。この時代、古参とかが大きな顔をするからね。


 文官は信長さんと政秀さんが部下として使っていて、清洲や那古野で働いている。今までと違うので相応に混乱もあり、ウチにも時々指示を仰ぎに人がくるくらいだ。


 とはいえ信秀さんや信長さんが領民に支持されていることもあり、大きな問題にはなってない。


「本当にお金で買い叩いた改革だよね」


「それが一番いいんだよ。強い者が好きに出来るのが今の世だからね」


 説明会とかしたんだよ。個別に相談にも乗ったし、借金のことや、一族での立場とか考慮したアドバイスをしたこともある。


 ただ皮肉というか、力があるなら命じて従わせればいいと、この時代の価値観としてある。


 無論、大義名分やより上位の幕府や守護の法はあからさまには無視できないが。


「武闘派の皆さんが協力してくれると進展が早いね。本当に」


 そう、改革が進んだのは武闘派が味方になったからだ。よくわからない余所者だったオレたちだが、ジュリアの人柄と武功により武闘派が味方になっている。


 『殿と久遠殿がどれほど苦労しておるか知らぬ愚か者め。文句があるならかかってこい。我らが相手になる』この台詞、小豆坂の七人衆として名が轟いている佐々兄弟が、不満を言って騒いでいたごく一部の家臣に言ったそうだ。


 文官なんてと軽んじる風潮は根強くある。とはいえ武芸だけで飯が食えるわけではないことを彼らも知っている。


 何処よりも織田家に税を納めて、技術や経験を伝えていること、一番評価してくれたのは彼ら武闘派かもしれない。


 仮に日ノ本から戦がなくなっても、今度は世界相手に戦がある。それを彼らも身近に感じたんだろう。


 自分たちの武芸が必要とされているよという事実は、オレが考える以上に大きいようだ。




◆◆


 天文二十年春、信長は自身の領地を完全に直轄化したと織田統一記にある。


 この時代は身分が曖昧で、土豪など土地に根付いていた者を束ねることで武士は治めていたが、信長は土地と武士を切り離して直接統治することで無駄な中間層の排除を成している。


 家臣たちは武官や文官として分けられ、武官は信秀に、文官は信長に銭で召し抱えられている。この件に関しては久遠家が早くから軍と行政の分離を考えていたことが原因と思われ、軍の指揮命令系統を当主である信秀に一括しようとした一環と思われる。


 実務的には久遠家が主導していたようで、土豪や惣村による自治を織田家の法による統治に変えるための試行錯誤の一部だったようだ。


 国人や土豪など末端が土地を治めることを認めて、その者たちを束ねることで成り立つ中世武士の世の中の終焉の始まりだとみる歴史学者もいる。


 基本的な方策は久遠家がもたらしたようで、久遠家記や資清日記には途中の問題点やその対応策の一部が書かれている。


 すでに織田家の統治法は当時の室町幕府というよりは、律令時代の制度を基に改革をしている最中であり、まったく違う概念から試行錯誤されていた。


 不満も多かったと特に資清日記には書かれているが、それ以上に期待と味方も多かったようで、一馬が佐々政次に対して助力を感謝した書状が佐々家に残されている。


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