第615話・とある人たちのその後

Side:南蛮人に買われた元奴隷


 あれから季節が巡ってもうすぐ夏が来る。おらが尾張に来てもうすぐ一年になるのか。


「よーし。飯だ。いいか、手を洗うことを忘れるなよ!」


 お天道様が真上に差し掛かる頃、清洲のお城の鐘が聞こえた。どうやら昼飯らしい。泥で汚れた手を川の水で洗って、飯の列に並ぶ。


 今日は蕎麦団子汁か、これがまたうめえんだよな。麦飯と蕎麦団子汁を貰って、堺で南蛮人に売られた時に、一緒だった奴らと飯にする。


「ああ、うめえ」


 腹が減っているんだろう。みんなガツガツと掻き込むように食っている様子を見ていると、ふと故郷の村を思い出してしまった。


 尾張で助けられたあと、帰りたい者は里に帰してくれると言われた。でもおらは商人に売られたんだ。帰っても居場所なんてねえ。尾張から出ていけと言われているのかと途方に暮れたが、残る者には家と仕事がもらえた。


 殺されたって文句は言えねえ。南蛮人に売られた時に、おらたちは遥か海の向こうで死ぬまでこき使われると言われた。


 それなのにここでは領民と同じように扱ってくれる。


「一蔵、お代わりはしないんか?」


「ああ、もらうよ。一緒にいこう」


 みんな掻き込むように食べるとお代わりをもらいに行ってしまい、残ったのはおらとお七だけだった。


 お七は同じく南蛮人に売られた女で歳は二十八になる。子を産めないからと嫁いでいたところから売られたと言っていた。


 気の強え女で南蛮人を殺して船を乗っ取ってやると息巻いていたが、そんなこと出来るはずもなく、おらと一緒に助けられた女だ。


 あまり気が強くないおらを心配してくれて、身の回りの世話もしてくれる。所帯を持とうと何度か誘ったが、子が産めない女が所帯を持てるかと笑って断られた。


「うっ……」


「お七? 大丈夫か!!」


 お代わりをもらうために並んでいた時だった。お七が突然苦しそうにしゃがみこんでしまった。


「だっ、大丈夫だ」


 おらばかりじゃねえ。周りの連中も驚いて声を掛けるが、お七は気丈に『大したことねえ』と笑顔を見せる。


「うん? お前、顔色悪いな。病院に行け。そこのお前、連れていってやれ」


「だっ、大丈夫だって!」


「駄目だ。ここでは具合の悪い奴は病院に連れていく決まりなんだ。守らないとわしがお叱りを受けるんだ。いいから行ってこい」


 そんな様子を見ていた差配している武士が、強情なお七に病院に行かないと賦役はやらせないと言うと、紙になにかを書いて持たせてくれて必ず病院に連れていけと念を押された。




「まったく、強情だよな。尾張者は」


 お七は、賦役をやれないと食っていけない、と文句を言いつつ、二人で那古野の病院に来た。


「はーい、どうしたのかな~?」


 お医者は久遠様の奥方様だった。まだ娘のような歳なのに凄いお医者様だと評判のお人だ。


「あの、これを持っていけと言われまして……」


「ふんふん。なるほどね」


 お七は大丈夫だからと未だに言っているが、普請場でもらった紙を見せると奥方様はお七を診察し始めた。


「……んっ?」


 早く仕事に戻りたいと言いたげなお七の腹を触ると、奥方様の顔色が変わった。


「あー、妊娠しているのに賦役は駄目だよ!!」


「妊娠?」


「ああ、お腹の中に子がいるの! 月のものもしばらく来てないでしょ!?」


「えっ、そんなはずねえ。おらは子が産めねえって亭主に売られたんだ。確かに月のものはしばらく来てねえが……」


 何事だと不安になり祈るように見ていたが、奥方様がお怒りになっておっしゃる話に、おらとお七は信じられねえと言いたげな顔をしてしまった。


「それあなたじゃないと思うよ。亭主が駄目だったんじゃないかなぁ。間違いなく妊娠しているよ。三か月になる。おめでとう!」


 子が出来た? 誰の子だ? おらの子しかねえ。お七とはほどんど毎晩、床を共にしているんだ。


「子が出来ちまった。ごめんよ、一蔵。おらなんかが子を孕んじまって」


「なに言ってんだ! めでたいことじゃねえか。これで所帯をもてる!」


「一蔵……」


 お七は子が出来るとは思いもしなかったんだろう。初めて見るほど弱気な顔をしていた。


 これでおらとお七は所帯をもてる。おらは嬉しかった。


「ここでプロポーズするとは! やるじゃん! 奥さんは明日から体に負担がかからないよう別の賦役に回すから、帰りに詳しく聞いていってね」


 ぷろぽーずってなんだろう? ただ奥方様はおらたちが所帯を持つことを喜んでくれている。


 まさか、こんなことになるなんてな。明日からは三人分頑張ろう。


 お七と生まれてくる子のために。




Side:久遠一馬


「そちが武田の子か」


「はい、武田西保三郎でございます!」


 さて西保三郎君に学校を案内するんだけど、その前に彼を岩竜丸君に会わせた。岩竜丸君には西保三郎君のことを頼んである。


 武田家には事前に学校のルールは教えている。『喧嘩をしても学校外の者は口出ししない』とかの諸注意を約束させた。


 その上でアーシャと相談して岩竜丸君に彼のことを頼むことにしたんだよ。最近では子供たちのリーダーとしても悪くないらしいしね。


「一馬、いずこまで教えるのだ?」


「当面は武士らしいことを中心でよろしいかと」


「ふむ、久遠家の秘技や秘伝はまずいか。だが語学くらいはいいのではないか? これから先、語学は必ず役に立つ」


「そうですね。若武衛様がそうおっしゃるなら構いませんよ」


 武田家の御曹司だしね。史実では早く死んでしまうとはいえ、尾張にいるとそう早死にすることもないかもしれない。


 あまり武士の教育から逸脱した内容はまずいかと思ったんだが、岩竜丸君が勧めるなら語学は解禁してもいいか。


 なんというか、変われば変わるものだね。ウチの技術はまずいと理解して、教えても構わないことを自分で考えるとは。


「久遠様。お久しぶりでございます」


「ああ、周殿。ちょうどいいところに」


 学校の特別室で話をしていると、ちょうど語学を教えている周さんが通りかかったので西保三郎君を紹介しておこう。


 周さんは昨年の南蛮人の船に乗っていた通訳の人だ。年齢は三十くらいで、元は明の人らしい。東南アジアにいたところを南蛮人の通訳として船に乗っていたみたい。


 この時代は通訳できる人が貴重だから、織田家でそのまま召し抱えたんだよね。蟹江の通訳兼学校の教師をしている。


 明の言葉はもちろん日本語とポルトガル語を話せるので、語学は彼が教えているんだ。


 あんまり身分が高くなくて苦労したらしく、正式に召し抱えられると知って喜んでいたね。


「それなら、私にお任せよ!」


 日ノ本の名門の家の子供だって教えたけど、あまり気負うこともなく快諾してくれた。この前、中華料理を作ってあげたら泣いて喜んでいたんだよね。


 料理が出来ないらしく、懐かしい味が食べられて嬉しかったみたい。日頃から口に合わないとは言わないが、この時代の日本の料理は淡白であっさりした料理が多いからな。


 なにはともあれ、西保三郎君。頑張れ!


 新しい時代が来てもここで勉強したことは役に立つ。この世界では信玄も元の世界の創作伝記ほど美化されないだろうが、君が頑張れば武田家の名前はいい意味で残るかもしれない。


 このままだと裏切りと陰謀の武田家になっちゃうからね。

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