第614話・武田は食わねど高楊枝

Side:真田幸綱


 与えられた屋敷に着くと、住むための支度や挨拶周りをする。


 斯波家からは、さっそく米を筆頭にした食べ物と金色酒などが届いた。これでしばらくは暮らせると安堵したが、同時に届いたもので家臣一同が目を見開いたものもある。


「これが砂糖か」


 白い砂糖があった。しかも大きめのかめに入っておる。何故、塩や味噌と共に砂糖が送られてくるのだ? 我らに病人などおらぬが。


「こっちには立派な鯛が十匹もあるぞ。塩漬けではあるが御屋形様の正月の膳に上がるを見た故、相違ない」


 砂糖に鯛だと。頭が痛くなるわ。返礼になにを選べばよいのだ?


「……尾張の武士の暮らし、探らねばならんな」


 前回来た時にも感じておったことであるが、尾張の暮らしは甲斐と比べ物にならん。民が金色酒を飲み、米も食う。


 武田家は甲斐源氏の嫡流だ。斯波家や織田家はともかく、民は当然ながらその辺の国人衆よりは上でなくてはならぬ。日々の暮らしから付き合いも含めてすべてだ。


 若君は当然ながら我らも武田家家臣として、ここでは恥じぬ姿を見せねばならんのだ。されど、そう上手くはいかぬ。御屋形様から頂く銭で足りるとは思えぬ。




「困ったな」


「ああ、困った」


 尾張の状況がすぐにわかった。斯波家、織田家、久遠家が抜きん出ておる。暮らしの様子も伝え聞く京の都の公家は当然ながら、甲斐の御屋形様よりも遥かにいい。


 幸いだったことは久遠家が織田一族となっておることか。尾張ゆえ、織田一族よりは質素にするという言い訳ができる。金色酒や砂糖を使った菓子を手土産に配り、頻繁に親しい者と宴を開くようなところと張り合えるか!


「米の値が安いな。若君には苦労をお掛けせずに済む」


「しかし、民が砂糖菓子を買うておったのには驚いたな」


「祝いの日らしいが、甲斐ではな……」


 はっきり言おう。甲斐の武士より清洲の民のほうが暮らしはいいかもしれん。日々の暮らしは倹約しておるようだが、祝いの日には金色酒と砂糖菓子を食べるのが近頃の流行りだそうだ。


 無論、甲斐でも立場が上になれば違うが。


「我らで倹約するしかあるまい」


 せめて尾張の国人よりは上に立たねば、御屋形様の面目が潰れる。このことを報告すれば、送っていただく銭を増やしていただけるのだろうが、甲斐は今川との戦を前に大変な時。


 御屋形様はともかく、重臣一同は我らが贅沢をすると思うであろうな。『足りねば倹約しろ』と言われるのが目に見えておる。


「山で山菜やきのこでも集めれば飢えることはあるまいが、許しが得られるであろうか。幸いにして麦や蕎麦も安いが」


 食べ物の値が安いのがせめてもの救いだ。噂に聞く京の都のような高値であったら、我らも飢えてしまう。


 若君には鷹狩りをしていただき、我らは山菜やきのこでも採るか。されど許しを得るにも相応の銭はいるな。米は当分お預けか。




「だがよいのか? 食べ物の品数や量は商人などにはわかるぞ。我らが貧しいと知られると、御屋形様が恥をかくのではないか?」


 そのまま若君の守役や武田家古参の家臣と共に相談するが、仔細しさいな話になると中々に難しい。


 尾張では商いが盛んだ。確かに商人に武田家の内情が知られたら、恥をかくことになりかねん。とはいえここで我らが贅沢をすると、本国の者たちがいかに思うか考えなくてもわかる。


「質素倹約が甲斐武士の嗜みだと言い張るしかあるまい」


 織田めが贅沢をしおってと恨めしげに語る者もおるが、己の領地なのだ。いかに暮らそうが勝手というもの。


 我ら武田家は質素倹約が美徳だと言い張るしかあるまい。まさか斯波家や織田家に助けてもらうわけにもいかぬしな。


「そうだ。尾張には裏切り者の渡り巫女がおるが、間違っても騒ぎは起こすな。あれは斯波家と御屋形様で話が付いておる」


「なんだと!」


「騒ぐな。今は久遠家の下働きをしておる。我らがここに来る前に決まったことでもあるのだ」


 もうひとつ大事な話がある。御屋形様が使うておった渡り巫女のひとりが武田家を裏切り、勝手に尾張の男と所帯をもってしまったのだ。


 顔見知りがおるかもしれんが、あの者の処遇は我らが尾張に来る条件ともなっておって、尾張に逃れた者に手を出さぬという約束になっておる。


 裏切り者を許せんと怒りの表情の者もおるが、騒ぎを起こせばすべてが終いだ。


「忘れるな。武田家は決して安泰ではない。我らの振る舞い次第では織田が信濃から攻め込んでくることもあり得るのだ」


 武田家古参の者は特に甲斐源氏である武田家に誇りを持っておるが、いずれかと言えば武田家は存亡の機なのだ。


 これはわしと守役だけが密かに命じられたことだが、武田家に万が一の時は若君と共に織田に仕えて生きよと言われておる。


 若君は織田との誼を通じる人質であると同時に、万が一の際には武田家の血を残すための策なのだ。


 我らに武田家の命運がかかっておること肝に銘じねばならん。




Side:久遠一馬


「武田殿は思っておったより苦しいようですな。商人などに尾張での武士の暮らし向きをしきりに聞いておる様子。しかもその内容に驚いておったとか」


 屋敷の庭でロボとブランカと遊んでいたら、望月さんが報告に来た。尾張に来た武田家の監視をしているんだが、少し苦笑いを浮かべているのが武田家の現状らしい。


「まあ考え方から暮らしの水準も違うからね」


 尾張の武士もピンからキリまでいるが、織田家にきちんと従っていれば、そこまで暮らしは厳しくない。


 もともと尾張が耕作に向く豊かな地で裕福だということもあるし、今の織田家は戦になっても各自で兵糧の準備が必要ないことや、賦役は織田家が報酬を払って行なうので負担が軽い。


 鉄砲や武具も織田家で買い集めていて、今後は順次、兵たちの武具は織田家が貸し与えることになるだろう。武士が用意するのは自分の武具くらいかな。


 関所の撤廃や規制ばかりではなく、負担軽減もちゃんとしている。


「当家よりは上の立場ですので、相応の暮らしにしたいのでございましょうが、無理でしょうな。それにやり過ぎれば甲斐の者たちがよく思いますまい」


 苦笑いの原因は信濃の望月本家の主家より明らかに暮らしがいいことか。知ってはいたが、間近で見ると笑うしかないのだろう。


 ウチの尾張望月家よりもいい暮らしは無理じゃないかな。ウチに欠かせない望月家だから相応に禄を払っているし、必要なものはおすそ分けしているんだ。


「あっちを立てればこっちが立たずか。大変だね。武田家も」


 ロボとブランカをわしゃわしゃと撫でながら少し考えてみるが、こちらから積極的に援助するほどじゃないんだよね。今後も増えるだろう他国から来る人の先例になる。


 武田に援助すれば、今後来る人も援助しなくてはならなくなる。まあ働いてくれるのなら相応に報酬を出すのはいいと思うが。


「武田は食わねど高楊枝って感じかな?」


「なるほど、上手いことおっしゃいますな」


 ふと思った。史実の江戸時代の武士って、彼らみたいな感じなのかなと。家柄や地位で相応に振る舞いつつ困窮しているという。


 望月さんが思わず笑ってくれた。ウケたらしい。


「心配なのは逆恨みかなぁ」


「ここで愚かな行為に出るなら、武田の命運もそこまでですな」


「お夏さんだっけ。巫女さん。しばらく危険がないようにお願い」


「はっ」


 武田より心配なのは武田の元渡り巫女さんだ。前みたいにまた襲われないとも限らない。巫女さんのことは義統さんに頼んで晴信に話を通してもらった。


 縁あって尾張の領民と所帯を持つのでよろしく頼むと手紙に書いたみたい。晴信からは尾張と甲斐の誼が深まるなら喜ばしいと返信が来たようだ。


 ただ末端の家臣やその従者がどこまで知っているかはわからない。統制なんて有ってないような時代だ。念のため巫女さんを守るほうがいいだろう。


 まあ史実で名将として名高い真田さんがいる。大丈夫だとは思うけどね。




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