第611話・憤慨する浅井家

Side:片桐直貞


 愚か者どもが今須宿を攻めたことで六角家から呼び出しがあった。殿が出向くのが筋なれど、殿は行きたくないという。責めを負わされるのを嫌がったのであろう。


 具合が優れぬという言い訳で代わりにわしが出向いたが、想像以上に厳しい様子であった。


 正直言えば六角家が仲介しての和睦を期待しておったのだが、織田が報復を行なわなかったことが事態を悪化させておる。


 自領が攻められたら報復に出て当然であるが、織田は討ち取った者たちを浅井と名乗る賊の首として今須宿の外れに晒しておるのだ。それに加えて関ケ原では春だというのに祭りを開いて大騒ぎしておるとのこと。


 織田は浅井を認めておらん。土豪程度としてしか扱っておらず、浅井を認めての和睦などあり得ぬと六角家で怒鳴られたわ。


「これほどの屈辱初めてだ!!」


「尾張の田舎者が生意気な!」


「とことん戦おうではないか!!」


 小谷城に戻ると殿に報告をして、殿は家中の主立った者を集めたが、奇襲に失敗した者たちは恥ずかしげもなく織田を罵り、怒鳴り散らしておる。


 やはり織田が浅井など知らぬと祭りをしておったことが癇に障ったらしい。


「とことん戦うか。相手は六角家と同等かもしれぬ相手ぞ。何故我らがおのれらの失態の尻拭いをせねばならぬ? 織田と戦をするのはいい。だがその前に勝手な先走りで浅井家の面目に泥を塗った己らが責めを負うべきではないか?」


「そうだ! 稲葉如きにあっさりと負けおって!」


 殿は相変わらず無言だ。若輩な上に口下手だからな。いつも無言だ。その代わりにほかの者たちが先走りした者たちを責め始めた。


 勝てばいいのだ。勝てばな。だが負けた以上は責めを負う必要がある。六角家でも殿に此度の責めを負うように言及する者が多かった。管領代様は無言だったがな。


「なんだと! 己らが臆してなにもせぬからわしらが動いたのではないか!!」


「たかだか二百で今須宿を落とせるつもりだったのか? 奇襲も満足に出来ん愚か者が!」


 殿の御前だというのに、どいつもこいつも勝手に罵り合うばかり。これが浅井家の現状だ。敵と戦う前に家中同士の諍いで負けそうだな。


「それはそうと己ら。もし織田が報復に出ておればわしら国境の領地が狙われるのだぞ。そのわしらに一報も入れずに奇襲とは何事だ!!」


「事と次第によっては己らと戦をするぞ! 我らは別に織田にも斎藤にも思うところがないのだからな!」


 勢いは奇襲しておらぬ者にあるか。特に国境の国人衆は如何あっても奴らを許さんと言いたげだ。


 だがまるで織田に付いてもいいと言いたげな言動には殿が苛立ちの表情を浮かべた。もともと北近江は京極家が守護なのだ。浅井家への忠義などない者も少なくない。


 織田が北近江に侵攻してくるならば、国境の者たちは寝返ってもおかしくはないからな。


「殿! 殿はいかがお考えか!!」


 怒りが高まり、今にも刀を抜いて斬り合いそうな者たちだが、そこまでしてはいかんと自制がまだ出来るらしい。無言の殿に矛先を向けた。


 連中は何かといえば先代の頃を懐かしがるが、その先代とて決してうまくいっておったわけではない。現状も元はと言えば先代が招いた結果だと言える。


 殿もさぞや心中穏やかではあるまい。


「織田に浅井を認めさせねばなるまい。うぬらの責めは戦場でとれ。ただし役に立たなかった場合は覚悟しておけ」


 しばしの沈黙のあと、握っておった扇子を壊れそうなほど叩きつけた殿が口を開いた。


 殿はやはり戦をなさるおつもりか。だがまことにそれでいいのか? 観音寺城で聞いた話だが、織田はここしばらく負け知らずだという。本願寺ですら五千貫もの銭を払い、寺領を織田に差し出して和睦したというのだからな。


 今川も西三河で争っておったが手を引き、斎藤は早々に娘を差し出して臣従を決めた。織田には今、近隣で敵らしい敵はおらん。尾張や美濃に因縁を持つはずの朝倉の返答も芳しくない。つまり我ら浅井家に味方してくれそうな者がおらんのだが。


 城を築いておる関ケ原では勝てぬ。いったいいかがなさるおつもりだ?




Side:斎藤道三


 清洲城内にある桜、大半はまだ咲かぬ若木らしいが、ちらほらと咲く木もある。そこで信秀は極々近しい者たちを集めて茶会を開いておる。


 わし以外の招きの客は守護の斯波様、犬山の与次郎殿、守山の孫三郎殿、重臣の平手殿、久遠家の筆頭家老の八郎殿、とその妻だ。そして遇する主人あるじ側に信秀ともう一人。


 驚きなのは久遠殿の奥方である桔梗の方が茶を点てておることか。確か名はシンディと言うたか。今では尾張一の茶人と称されるほどの女になる。


「よき桜でございますな」


 風が吹き抜けると桜の枝が揺れた。それを見た平手殿が和歌でも詠もうかと思案し始めた。


「弾正忠、浅井はいかがする気かの?」


「恐らく戦にするつもりでございましょう。このままでは北近江三郡すら失うことになる故に」


 斯波様は桔梗の方の茶を飲むと、信秀に浅井のことを問うておられた。今須宿に奇襲があったことはすでに清洲で知らぬ者はおらぬ。それどころか尾張や美濃に遍く知れ渡っておる。


 『こそこそと夜中に野盗が出たので撃退してみたら浅井の者だった』というかわら版が織田領各地と伊勢にまで流れておるらしい。


 内容は唐突な奇襲にもかかわらず、稲葉良通が味方に死者を出さず撃退したと書かれておって、その武功を称えられておった。


 加えて尾張では、『浅井久政の妹であり斎藤家の者でもある近江の方を客人として丁重にもてなしておるのに、浅井はそれを仇で返した』と酷評されておる。


 織田が人質を取らぬという方針を上手く使った。この手の謀をさせると久遠家に勝る者はおらぬな。


 浅井は面目も戦をする体裁も少なくとも織田領では失った。衆目の一致する大義名分は人心をいとも軽くする。浅井勢をあやめるに、兵のかせを取り除くなど、余りに恐ろしき謀に背筋が凍るわ。


「知らぬとは恐ろしきことよの。勝てぬ戦をしていかになる。大方、和睦で済むと思うておるのであろうが。そろそろ京極が騒ぎそうじゃの」


 斯波様は呆れた表情でため息をこぼされた。京極が騒げば斯波様に繋ぎを取るのだろうが、迷惑だと言いたげなご様子だ。


 いかにも足利家が嫌いな御仁のようじゃからの。京極のこともわざわざ助けてやりたいとは思わぬのであろう。


「危機の時こそ、その者の真価が問われまする。浅井久政は戦にて、いかような真価を見せてくれるか、楽しみにしておりまする」


「ほう、弾正忠。そちは浅井がまだ使えるかもしれぬと思うのか」


「人は変わるものでございます。某も守護様もこの場におる者も、皆同じでございましょう。浅井久政にもその機会を与えたいとは思いまする」


 恐ろしい。一瞬、冷や汗が背筋を流れた気がした。信秀はすでに北近江の行方よりも、その先を見ておる。


 敵対する者に変わる機会を与えるなど誰が考えよう。愚か者は何処までいっても愚か者。わしならそう考える。


「それも一興か」


 斯波様は信秀の言葉に、この場におる者の顔を見て笑みを浮かべた。かつて敵だったわしに甲賀の土豪だったという八郎殿、そして遥か海の向こうにおるという南蛮人である桔梗の方。


 浅井がいかがなるか、それを見極めてからでも遅くはないということか。


 だが浅井はまこといかがする気だ? 武勇を示すことですら簡単ではあるまい。決死の覚悟で攻めればそれも出来るかもしれぬが、痛手が大きければ浅井家の存亡にかかわるぞ。


 六角も朝倉も織田ほど先を見ておらぬし、直裁過ぎて甘くもない。


 織田と戦をして大敗すれば、北近江は終わる。


 さて、いかがなるかの。



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