第606話・抜け駆け

Side:浅井家家臣


「本当にやるのか?」


「当然だ。兵法などまったく知らぬ久政などをいつまでも主君と仰げるか!」


 近江と美濃の国境である今須宿から半日のところにわしはおる。共におるのは浅井家家臣でも親しい者たちだ。


 皆、かつては浅井の先代と共に戦った者たちばかり。臆病な久政に不満を抱えた者たちばかりだ。


「上手くいけば我らの手柄。失敗すれば久政に責めを負わせればいい。どうせ奴に我らを罰するなど出来ぬのだからな」


 すでに田仕事が忙しい季節に入っておる。織田はまだ賦役をさせておるらしいが、それでも人が減ったという。攻めるならば今が好機だ。


 どうせ今の浅井に美濃を切り取れる力などない。ならば奇襲により一方的に痛手を与えることで、我らの手柄として面目を立てるしかないのだ。


 幸いなことに美濃と接する領地の者はここにはおらん。仮に織田が報復に攻めてきても我らが困ることではない。責めは無能な久政に取らせればいい。あとは我らの誰かが……いや、わしが新たな主君として立てば、近江は昔のように戻る。


「二百名か。ちと少ないのが気になるが……」


「数がおればいいわけではない。どうせ敵が反撃してきたら退くのだ」


 手勢は主立った者たちが密かに集められる者たちに限った。領民を集めてしまえば久政に露見するからな。武功がほしいのは奴も同じであろう。


 一方的に奇襲をして戻るだけだ。赤子でも出来る簡単なことなのだ。久政には出来ぬらしいがな。


「だがそれならば、今須ではなく北国街道の裏を抜けて関ケ原に直接行ったほうがいいのではないか?」


「たわけ。あっちには織田の本隊がおる。本隊をたたけば織田とて退けなくなる。今須におるのは美濃の稲葉だ。奴の先代と兄どもを我らで討ち取った程度の者。それに新参の稲葉ならば痛手を受けても織田が怒ることはあるまい」


 まったく、味方にも戦を知らぬ者がおるとは嘆かわしい。織田の面目を潰してはだめなのだ。関ケ原すら越す戦力のない我らが、尾張を攻めるなど夢のまた夢。


 織田が何故、新参の稲葉に前線を任せておると思うておるのだ? もともと織田と斎藤は敵国同士。表向きは臣従すると言うても、内情は違うのであろう。織田は美濃を手中に収めることに苦労しておるのだ。


 西美濃では稲葉如きが強く力があるという。そんな稲葉を味方に付けるために、織田が前線を任せたというところであろう。


 稲葉を叩いて潰したところで、表向きにはどうか知らぬが本心から織田が怒ることはあるまい。


「なるほど。稲葉如きなら勝てよう」


「わかったらいくぞ。狙うは稲葉の首ひとつだ!!」


「おう!!」


 隠し持ってきた鎧兜を身に着けると、我らは人目がない闇夜に紛れて今須宿へと急ぐ。夜討ち朝駆けは戦の常道だ。


 稲葉の愚か者にそれをおしえてやるわ。




Side:稲葉良通


「それは、まことか?」


「はっ、数は百五十から二百五十と思われます」


 そろそろ夕食の時間となる頃、近江から久遠家が使っておる素破が急遽目通りを求めてきた。何事かと思えば、浅井家の者たちが徒党を組んでこちらに向かっておるとは。


「その方は、そのままこの件を本陣に知らせよ」


「はっ!」


 田仕事の時期ゆえに動かぬと思うたが、その隙を狙ったか? 今須の野戦陣地はほとんど完成しておる。二百やそこらでは越えられんが。


 いや、油断はいかんな。まずは手筈通りに今須の戦えぬ者から関ケ原に避難させねば。こちらが陽動のおそれもある。北国街道の裏を通り本陣を急襲することも考えねばなるまい。


「殿、いかがなさいますか?」


「いつでも退けるようにしておけ。兵糧は関ケ原に運ぶのだ」


 二百か。事前の命では返り討ちにしても構わぬ数だな。とはいえ別に本隊がおってもおかしくはない。関ケ原に引き込む策の通りに進めておくか。


 こちらには鉄砲と弩が三十丁ずつある。弓とあわせれば二百やそこらでは相手にならぬぞ?


「殿! 賦役の者と今須の者たちが戦いたいと申しております!」


 戦支度をしつつ野戦陣地で敵を待つが、辺りはすっかり夜になっておる。味方はわしの兵と織田の兵でおよそ三百。野戦陣地を維持するには、やっとの数だが士気は高い。


 ただここで避難させておるはずの賦役の者と今須の者たちが残ると言って騒ぎになった。


「なにごとだ!」


「それが、浅井如きから戦う前に逃げるのは嫌だと……」


「……女子供と兵糧を運ぶ者たちはならん。だがそれ以外はよかろう。ただし、指示に従うように厳命しろ」


 まさか逃げたくないと言い出すとはな。必ずしもあり得ぬことではないが。特に今須の者たちは村を焼かれれば困るのだからな。とはいえ織田は村を焼かれても再建まで面倒見ると約束しておるのだぞ。


 賦役の者も今須の者も、浅井の領地になるなど御免だと士気が高いようだ。これが織田の知行、統治ということか。




 敵を誘い込むためにかがり火は焚かん。月の明かりでひたすら敵が来るのを待つ。誤報ならばそれでいい。だが油断して奇襲でもされれば目も当てられん。


 その間に本陣から新たな命が届いた。第一陣の者たちはここで撃退しても構わぬということだ。ただし深追いは厳禁か。近江に入れば面倒なことになるからな。


「殿、来ました。敵はおよそ二百」


「よし、皆の者、よく引き付けよ」


「ははっ!」


 こちらは鉄砲と弩と弓と石で、野戦陣地の中から攻撃するだけだ。二百程度では越えられまい。


 よし、敵がこちらの間合いに入った。


「撃て!」


「浅井をやっつけろ!!」


「みんなで守るんだ!!」


 わしの差配と共に鉄砲が撃たれる音が響き、敵のうめき声が聞こえた。


「いいか! 抜け駆けは厳禁だぞ!!」


 味方の士気は危ういほど高い。このまま暴走しそうな者もおる。まさかわしが士気が高すぎる味方を押さえる羽目になるとは思わなんだ。


「稲葉様。敵にこれ以上の兵はおらぬようでございます!」


「大儀! そのまま本陣に知らせよ!」


 飛び道具で一方的に撃つだけの味方の士気を抑えつつ戦況を窺っておると、また久遠家の素破が知らせを持って参った。


 いい時にいい知らせを持ってくる。織田が負け知らずというのもわかるというものだ。


「殿! 敵が退いていきます!!」


「近江方面へ逃げる者は追うな! あとは討ち取れ!!」


 鉄砲や弩や弓を三度四度と撃つ頃になると敵が逃げ出し始めた。玉薬も矢弾もまだまだある。いくらでも使えと言われておるからな。


 敵に撤退の指示が出たのではないな。一部の者が勝手に逃げ出したことで軍が崩壊したのだ。


 奇襲が失敗した以上は、さっさと退けばいいものを。この闇夜で軍が崩壊して逃げ出すと何処に逃げていいかわからず四方に散ってしまったではないか。


 落ち武者ほど厄介なものはない。家臣たちに賦役の者や今須の者たちを指揮させて、近江に追い立てるように討ち取らせる。


 この日をいかほどに待ちわびておったと思うておるのだ? 稲葉家の雪辱を果たし、父や兄たちの無念を晴らすために、このような事態も想定しておるわ!!


「おのれ!! 稲葉の分際で!!」


「愚か者に付ける薬はないわ!」


 わしも兵を率いて関ケ原への道を塞ぐ。そこに現れたのは、顔は知らぬがそこそこの身分と思われる武士だった。


 稲葉家の家紋が入った旗印が見えたのだろう。錯乱したように激怒したが、無駄だ。前に出ようとした家臣を制して、わしが自ら槍にて一突きにしてやるわ。


「くっ……なにゆえ……」


「甘く見たな。わしのことも織田のこともな」


 武士は何故奇襲がわかったと言いたげな顔で言葉を紡ごうとするが、途中で血を吐いて言葉にならなかった。


 答えはわかりきっておる。甘く見たのだろう。わしも織田も本気なのだ。それをわかっておれば、こんな中途半端な奇襲は考えなかったはずだ。


「皆の者。勝鬨だ!!」


「えいえいおー!」


「えいえいおー!!」


 関ケ原より援軍が到着したのは、すでに敵を追い返したすぐ後だった。


 槍や鉄砲ばかりか鍬や鋤を掲げて勝鬨を上げる者たちで、今須宿は大騒ぎだ。


 父上。兄上がた。見ておるか?


 稲葉家の雪辱を果たし、無念は晴らしたぞ。



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