第607話・諦めません!
Side:浅井家家臣
「はあ……はあ……はあ……」
皆、息も絶え絶えだ。周到に用意して信頼の置ける者たちだけで実行した夜討ちだったはずだ。
「おのれ、稲葉め。卑怯な!」
「たわけたことを抜かすな!!」
何故、待ち構えておったのだ? その疑問を考えておると、愚か者が稲葉を罵り始めておった。夜討ちの失敗はこのような愚か者を味方としたことかと思え、怒りが込み上げてくる。
稲葉はこちらが夜討ちすることを察知して撃退しただけだ。武士ならむしろ褒めるべきだ。ここで敵を卑怯などと言えば、夜討ちした我らが卑怯以下となってしまうではないか。
そんなこともわからんとは。
そもそも本来は陣地など攻める手筈ではなかったのだ。いかに稲葉が戦下手でも陣地に寝ずの番くらいは置いていよう。
従って陣地など無視して稲葉の寝所を襲う手筈だったのだ。あの時は、陣地の前を通り過ぎるつもりのところをやられてしまった。当然矢盾もなにも持ってきておらん。結果として我らはいい的だったということだ。
「戻ってきたのは百五十か」
戻らなかったのはおおよそ五十名。闇夜に紛れて四方に逃げたのだ。迷っておる者や山に身を潜めてる者もおろう。だが相応の数は討たれたとみるべきか。
戻った百五十も手傷を負った者が多い。これは無残な結果となったな。
「これはなんだ? ずいぶん短い矢弾だな」
「弓の矢か? 違うだろう」
やり場のない怒りを押し込め身震いする者、怒りに任せ喚く者や落ち込む者がおる中、ひとりの男が見たこともない短い矢を持っておった。どうも稲葉が撃ってきたものらしい。
「噂の金色砲か?」
「……金色砲は鉄砲のようなものと聞いたが?」
「実際に見た者が浅井におらぬ以上は支離滅裂な噂しかない。はっきりしないではないか」
石が一番多かったが、鉄砲の数も多かった。それと見慣れぬ短い矢まで撃ってきたのか。どうりで反撃も出来ぬままに味方が崩壊したわけだ。
問題は何故、稲葉如きがそのような鉄砲やら見知らぬ武器を持っておったのかだ。
「織田は稲葉を気に入ったか?」
考えられるのはひとつ。織田が稲葉に与えたものだろう。鉄砲も国人衆程度の者がそう使えるものではない。織田が稲葉を気に入り、前線を任せたとなれば、話がまったく変わる。
「退くぞ。態勢を立て直す。後始末は久政にやらせればいい」
ここで考えても始まらんな。織田が追撃してくるかと警戒しておったが、今須より西には来ないらしい。今代の稲葉は思っておった以上に出来る男だったようだな。
五十も失うのは痛いが、仕方あるまい。ここはさっさと退かねば織田の本隊が報復に来るやもしれん。
後始末は久政に任せればいいのだ。なんのためにあの無能者を殿にしておると思っておるのだ。
しかし惜しいな。この奇襲が上手くいっておれば、わしが久政に代わり北近江を治められたものを。だがまだ機会はある。織田、六角、朝倉、やつらを上手く使ってわしは必ずや北近江を我がものとしてくれようぞ。
Side:久遠一馬
清洲城では急遽評定が開かれた。浅井家が今須宿を襲撃したと知らせが届いたためだ。
「田仕事の時期にくるとは、少し甘く見過ぎておったか?」
「とはいえ二百やそこらではな。一部の者の先走りではないのか?」
緊迫感はない。稲葉さんが撃退した。味方の損害は軽微で、敵を討ち取ったり捕らえたりした者はおおよそ三十名。
野戦陣地と今須宿の領民の避難も上手くいったらしいので大きな問題はない。
重臣の皆さんはこれが浅井久政の意思なのか、それとも抜け駆けなのかで議論をしている。結論で言えば抜け駆けなんだけど、それはオーバーテクノロジーである虫型偵察機の情報なので明言できないんだよね。
久政が極秘裏に家臣に命じたのではと言われると、違うと証明のしようがない。
「先走りかはともかくとして、浅井が織田を襲った事実は変わりありません。重要なのはこの件に対して、織田としてどう対処するかでは?」
ひとりの重臣がオレとエルの意見を求めるように視線を向けたが、根本的な問題としてこの件が誰の差し金でも関係ないんだよね。重要なのは浅井方が織田を襲撃したという事実なのであって。
今更な感じもあるが、浅井と織田との戦端が開かれたのは今回が初めてだ。散々築城と野戦陣地を構築しておいてなんなんだが、領内への築城は他国にとやかく言われることではない。
公式的には今日まで織田と浅井は特に戦争状態ではなかったんだよね。
「報復を行うか、あるいは桑名のように荷留をするかでござるか?」
舐められたら駄目な時代なだけに、報復をどうするかも考えないといけない。ただ織田は荷留という選択肢もある。浅井にはあんまり影響ないが、北近江の諸勢力は荷留をすると面白くないだろう。
もっとも下手に荷留をすると北近江を結束させる可能性もある。比叡山も堅田も静観の構えをしていて、現状でも十分浅井は孤立しているんだよね。そういう意味では荷留は難しいかもしれない。
「放っておいたらいかがだ?」
「孫三郎様、それでは織田が臆したと思われまするぞ?」
「誰が思うのだ? 六角や朝倉がそんな短慮なことを考えるか? せいぜい浅井の愚か者くらいであろう。ここで浅井を叩けば潰れてしまうぞ。浅井を潰すのは困るのであろう?」
重臣は報復に傾き始めていたが、そこでその流れを止めたのは信光さんだった。ちらりとエルを見ると、浅井如きに報復は必要ないだろうと冷めた様子だ。
そう、オレたちは浅井を追い詰めすぎて潰すのはやり過ぎだと考えており、それをウチによく遊びに来る信光さんはよく知っている。
「そうですね。正直、北近江が六角か朝倉で安定してしまうのは少し面白くありません。両家が手を組まないとは限りませんので」
エルは信光さんの問いに答えるように同意した。織田が北近江を取るのは時期尚早だが、同時にやり過ぎてあそこが六角や朝倉でまとまって安定しても将来畿内と戦をする時に困る。
不和の種は残したいんだよね。
まあ織田には三好と組むという選択肢もある。実際に昨年以降、三好とは商いの取り引きが続いている。
金色酒・金色薬酒・鉄・絹・綿・砂糖・蜂蜜・醤油など、阿波の三好水軍が直接、船で買い付けに来るんだ。
三好としても織田が六角と組んで攻めてくるのではとの警戒は、当然しているみたいだしね。
「例のかわら版でもばら撒けばいかがでござろう。あれで浅井の面目は十分潰れる」
「確かに。堅田などに浅井の味方をすれば荷留をすると警告することは必要でござろうな」
信光さんの意見で軍を近江に派遣しての報復は回避されたか。近江を取る気がなくても一時的な報復として浅井領に攻め入るのはありだからね。そっちの流れにならなくてよかった。
正直、無駄な戦は避けたい。
まあ今回の奇襲で浅井と織田が本格的に戦争状態になった。これで北近江の諸勢力と周辺に対して工作も出来る。
今までは謀略だと言われないために自重していたんだよね。もっとも六角と朝倉とは早くも戦後のことを密かに話しているが。
北近江をどうするか? また誰かの謀略ではないのか。朝倉も六角も警戒していて、互いに探り探りの状態で使者を行き来させているところだ。
ひとつ共通しているのは、誰かが北近江を完全に占領してしまうのは避けたいというところか。
現時点で浅井の支配領域は琵琶湖の北東側しかない。南東側は六角。西側は比叡山延暦寺や堅田、高島七頭などの事実上の独立勢力がいる。
当然守護でも守護代でもない浅井は、現状では北近江すらまとめられていない土着の勢力でしかない。
地味に朝廷にも不快な思いを与えているけど。朝廷と公家たちは斯波と織田が上洛するのを楽しみに待っているんだよね。主にお土産を期待してだと思うが。
このまま戦をしないで潰せそうだけど、浅井が起死回生で勝つには戦をするしかない。まあ農繁期が終わったら攻めてくるだろうね。
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