第605話・春の訪れと、近江の様子
Side:久遠一馬
尾張で迎える四年目の春だ。清洲ではお花見の準備が始まっている。
お花見をする習慣なんてなかった尾張だが、もうすっかり定着しているね。今年も三日間織田家主催のお花見になる。
今後はこの形で行くことになるだろう。経費も相応にかかるが、出店や屋台の出店費用や商人が自発的に資金提供を申し出てくれていることもあり、今年は織田家の負担が少し減った。
協賛商人の宣伝を許した武芸大会の影響が大きいのだろう。武芸大会に資金を提供して大会を支えたのだと言えることは、宣伝効果以上に商人としてのステータスになる。
「へぇ。和歌と絵か。いいと思うよ」
「良かった。なら話を進めるわ」
この日は工業村で試作させていた爪切りを試していると、メルティがお花見に合わせて和歌と絵の展覧会をしたいと言ってきた。メルティは尾張に滞在する文化人との交流があるんだよね。居着く人が徐々に増えているらしい。
爪切りは元の世界でよくある形のものだ。作るのに手間がかかるみたいだけど、作れることは作れるらしい。値段が下がらないと普及は難しいかなぁ。
あと最近では鍛冶職人も増えた影響で、
和鋏は元々あるものだが、洋鋏は尾張では見たことがない。そもそも刃物が貴重な時代だしね。
この時代は爪も刃物で切るんだ。危ないったらありゃしない。
「そうだね。褒美でも出すか。ウチが率先して文化を盛り立てていかないとね」
「それがいいと思うわ」
少し話が逸れたが、文化面も順調に育っているみたいだ。文化面は必ずしも生産性があると言えないので、よほど名が売れないとそれだけでは食えない。現状では寺社の僧や神職に武士や商人など、暮らしに余裕のある人の趣味や教養として続いている感じか。あとは学校で情操教育的に絵や音楽に触れる時間を作った。
絵師は専門職の人がそれなりにいるけど、楽師はどうしても寺社の支配下にあるね。茶の湯も流行っているが、こちらは本当に金持ちの道楽のようなものだ。言い方は良くないが。
ただ史実にない変化もある。一番の変化は、堺などから流れてくる唐物と言われる大陸から伝わる茶器の価値が尾張ではあまり高くない。
ウチが明のほうの茶器としてそれなりの数をばら撒いていることもあるし、そもそも尾張では堺の地位が紐なしバンジー状態なので、堺の品物というだけで胡散臭いと敬遠する傾向にある。
茶の湯も侘び寂び文化よりはみんなで楽しむ形が尾張では多い。尾張では主催者が来客をもてなす形が一般的で、畿内の流儀と別物になりつつある。
そういえば越前や京の都の一部では、尾張流と俗称されるそのスタイルの茶の湯が流行り始めているんだとか。
花火大会に越前の公家が来たことをきっかけに、朝倉家に白磁の茶器を贈ったことが原因らしいが。朝廷にも当然ながら白磁の茶器を贈っている。
紅茶は白磁の茶器を使って尾張流で飲むのが最先端らしいね。京の都では山科さんが尾張に来た時に覚えた作法を披露しているみたい。
その影響が抹茶の茶の湯にも影響していて、少し文化の傾向が変化しつつある。なんというか流行を生み出してしまったね。先進地が堺から尾張に変わったということだけど。
実際、白磁の茶器と紅茶は馬鹿に出来ないんだよなぁ。あれのおかげで朝倉家が友好的だと言ってもいい。
「メルティ。朝倉家に贈る絵も頼むよ」
「うふふ、任せておいて。私の絵とほかにも数枚、絵師が描いたものを選んでおくわ」
先日には越前にいる名のある絵師の描いた豪華な屏風絵が清洲に届いた。茶器のお礼なんだそうだ。ただ西洋絵画のことも尾張に来た公家から聞いたらしく、見てみたいとちらりと書いていたみたい。
織田包囲網なんて冗談じゃないし、朝倉家とは友好を深めないと。現在は朝倉延景と名乗っている史実の朝倉義景って元の世界だと評価が低いけど、文化を好むから今の尾張と相性いいんだよね。
「浅井久政が聞いたらビックリするだろうね。頼りの朝倉家は戦をする気なんてまったくないなんて」
「浅井は暴発するタイミングを間違えたわね」
朝倉家はガチで織田との商いを増やしたいらしい。実際に越前は栄えているし日本海と繋がるから、織田にも利益が大きいんだよね。
そういえば史実で浅井が暴発するのは六角からの独立の時か。浅井長政の晴れ舞台だったんだけど。もしかしてその暴発が前倒しになった?
メルティはクスクスと笑っている。長政君、今は六角で人質生活の頃かぁ。活躍する戦がなくなったりして。
Side:近江堅田の湖賊
「織田は噂以上か」
「ああ、恐ろしいほどの遣り手だ」
浅井が些細なきっかけで美濃を攻めると騒いだ。さてどうなるかと静観しておったが、どうやら浅井は虎の尾ならぬ仏の怒りに触れたらしい。
武士でありながら庶民から仏と崇められるのが織田弾正忠だ。叡山の連中はそんな噂に不快そうにしておるが、弾正忠自ら名乗ったわけでもない俗称に怒るわけにもいかぬ。
弾正忠本人も畏れ多いと口にしておるという。本意はともかくそういう体裁でおる限り文句も付けられまい。
「六角と朝倉の動きは?」
「織田と戦う気はないらしい。双方とも織田と今後の話を早くもしておるようだ」
浅井は未だ戦だと支度をしておる。味方する者もおらぬのにどうやって勝つ気だ?
六角と朝倉は早くも浅井が負けることを前提で織田と話しておるというほどなのに。両家とすればなんとしても北近江を織田に取られるわけにいかんからな。
「思案すべきは我らだ。織田が東山道で運ぶ荷を東海道に変えると利が減るぞ」
「まさか。そこまでするか?」
「織田は伊勢の桑名相手に荷留したことがある。それに堺など絶縁されておる。あり得ないとは言い切れん」
「なんだと!!」
浅井がどうなろうが我らには関係ない。どうせ対岸のことだと皆が気にもしておらんが、よくよく調べてみると、織田は商人に対して甘くはない。
浅井の利になりそうな東山道を使うか? 六角は東海道を使っても利になる。どちらでも目くじらは立てまい。
「あまり浅井に肩入れするのは、やめたほうがよかろう」
堺や伊勢の様子をみておると、浅井に肩入れするのは危うい。織田は関ケ原と今須で美濃を守る気でおるのだ。浅井ではそこを攻め落とすことすら出来まい。
「織田に誼を通じておくか?」
「難しいところだな。静観が無難であろう」
浅井では勝てまいが、かといって織田に肩入れをしてもどうなるかわからん。現状では静観しかあるまい。北近江を誰が治めても我らには関わりはないのだ。
片方に肩入れせずに織田を甘く見なければいい。堺など未だに織田を尾張の田舎者と軽んじておって、京の都の公家や町衆の不興を買っておる。
京の都では、都に金色酒が来ないのは堺のせいではと思っておるようだからな。
「それと織田弾正忠は新たな官位の任官のために上洛するという話もある。浅井はそれを邪魔するのかと、朝廷が憂慮を示したとか」
「……浅井からの助力要請は無視するか」
「それが無難だ」
焦りからであろう。浅井はあちこちに助力してほしいと使者を出しておるが、叡山は朝廷の憂慮を知ってか静観する構えだ。我らも関わるわけにはいかぬ。
朝廷は近年窮状にあえいでおるからな。ここのところ一番朝廷を重んじておる織田のことを気にかけておられる。
まあ織田の負けもないということで、あえて和睦に動くこともあるまいが。
浅井は本当に何を考えておるのやら。
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