第603話・不機嫌な男と先を行く男

Side:竹中重元


「まるで別の国のようだな」


 不機嫌そうな安藤殿が訪ねてきた。言いたいことはわかっておる。関ケ原のことであろう。国境であり要所であることは確かであるが、万を超える人を集めて賦役を始めるとは思わなんだ。


 しかも稲葉殿が織田に臣従してしまったことも面白くないのであろう。織田が強いからと言って靡く男ではない。だが浅井は先代の仇だからな。見ておるだけというのが我慢出来なかったのであろうな。


「浅井が善戦すれば流れも変わるのでは?」


「それは無理であろう。そもそも織田は浅井と野戦で戦ってやる義理もない。城と陣地で撃退すればよいのだ。鉄砲やら金色砲も守りならば使える。浅井が勝てるはずがない」


 最早守護家も存在せず、家臣だった者たちも織田に臣従するか斎藤に臣従するか、中立で静観しておる。


 尾張者に自ら臣従するなど気に食わんという安藤殿のような者以外は、機会があれば織田に臣従したいと思っておろう。


 そんな安藤殿でさえ織田の勝ちは揺るがぬと考えるのか。


「土岐家の旧臣から文が届きませぬか?」


「ふん。そんなものはとうに焼いてしまったわ。万が一でも織田に見つかれば潰されるぞ」


 実はわしの下には土岐家旧臣から、浅井と呼応して蜂起せよとの文が届いておる。当然安藤殿の下にも届いておったが、安藤殿は使者を斬り捨てて文も焼いてしまったとのこと。


 あの文は確かに相手にする価値もない。我らが蜂起して背後から攻め寄せれば、織田に大打撃を与えられると書いてあったが、関ケ原の様子をみるとそれすら叶わぬであろう。


「それにだ。あの久遠ウルザという女を甘く見るなど愚かなことだ。三河で一向衆を潰した采配はあの女のものだ。地の利もある。浅井が勝てる相手ではない」


 そういえば安藤殿は、三河の戦には自ら志願して参戦したのであったな。三河の一向衆は弱かったとの噂だが、安藤殿はあの戦における采配を認めておったのか。


 そもそも女が采配するなどあり得んのだが。


「では朝倉や六角が動けば?」


「そこまでいくと面白いがな。いかぬであろうな。そこまで動けば織田は三好と組んでしまう。六角はそれを望むまい」


「つまりは織田の勝ちは揺るがぬということか」


 改めて聞かされると恐ろしい。織田はまず負けることがない戦であれだけ銭を使っておるのか?


 守護様を粗末に扱った不忠者が。何故仏などと呼ばれるのだ。


「ではいずれ臣従しかないのか」


「知らん!」


 安藤殿は勝てないが従いたくもないということか。


 正直、わしの領内は少し様子が変わりつつある。以前は特に問題がなかったが、関ケ原の賦役が始まると周囲は織田の賦役に出て稼いでおるというのに、わしの領民はそれに加われず不満があるようなのだ。


 今からでも臣従するしかないのか? とはいえ守護様を粗末に扱った織田になど降りたくはないのだがな。


 どうにかならぬものか。




side:織田信秀


「ちちうえー」


「ほう、良く描けておるな」


 一馬の家から戻った市が、描いた絵をわしに見せてくれた。絵具で描かれた絵だ。誰であろうな。楽しげな人が何人も描かれておる。


 歳のわりに上手い絵だと思うのは親だからか?


「はい!」


 嬉しそうな市はわしが褒めると、そのまま母たちにも絵を見せに行った。


 市が帰ってくると賑やかになるな。まるで一馬の家におるようだ。


「身分というのは、良し悪しなのかもしれぬな」


 市や一馬たちを見ておって思う。身分というものは、必ずしも良きことばかりではないとな。


 土岐頼芸のような愚か者も身分さえなくば、あそこまで美濃を乱すこともなかったであろう。


「父上?」


「勘十郎。そなた身分のない世はいかなる世かわかるか?」


 ふと同じ部屋で書物を読んでおった勘十郎が、わしの独り言に戸惑うような表情をしておったので問うてみる。


「久遠家のような世でしょうか? 一馬殿はあまり身分を意識されておりません」


 ほう、唐突なわしの問いに答えられたか。学校に通うようになり、勘十郎は変わったな。


 昔は周りの者の顔色を見て大人しくしておるだけの子であったが、近頃は自ら考え、意見も口にするようになったのだ。三郎ともよく話すようになった。学校でなにを教われば、こうも変わるのであろうな。


「身分ある者が身分に相応しき力量があればいい。だがそれがない故に天下は荒れるのではないか? 愚か者は死しても愚か者だ。身分に問わず愚か者は淘汰される世のほうが、天下は安泰なのではないか?」


 わしも所詮は守護代家の分家の生まれに過ぎん。守護様は愚かではないが、今の乱世で自ら尾張を治めるにはいささか力量不足だ。太平の世なら良かったのであろうがな。


 ずっと考えておるのだ。いかにすれば太平の世になるのかと。


「それは難しいのではありませぬか? 何人なんびとが、誰が愚かで誰が愚かではないと判断するのでしょう。人の上に立つ者が父上や久遠殿のような力量があれば、それも出来ましょうが」


「それも一理あるな」


 ふふふ。勘十郎に諭されるとは思わなんだ。よう学んでおるということか。とはいえ一馬たちはその答えの一端をわしにすでに提示しておる。


 律令といったか。太古に朝廷が世を治めておったやり方。それを基に法により人が世を治めるというのが、現状では無難ということをな。


 人は間違い、過ちを犯すもの。複数で考え見極める体制を作るという一馬たちの考えは、わしや三郎や一馬たちがおらなくなった後を考えてのことであろう。


 ただ、思うのだ。民の中には一馬やエルたちのような才を秘めた者たちもおろう。そんな者たちを見つけて働けるようにするべきではとな。


 もっとも身分ある者は己の身分を脅かす者を嫌う。それ故、身分が太平の世に害悪となるのではとわしは思うのだ。


 絶対に正しき答えなどこの世にはない。


 日ノ本の者は知らぬのだ。日ノ本の外でも領地争いをしておるということを。本来ならばさっさと日ノ本をまとめて一馬を支援して日ノ本の領地を広げねばならんのだ。


 それなのに、日ノ本ではつまらぬ理由で戦をしようとする。


「父上。本当に北近江を切り取るおつもりがないので?」


 しばし考え込んでおると、勘十郎がわしの顔を窺うように声をかけてきた。


「ない。あそこを取れば畿内に巻き込まれる。織田のやり方は足利でさえ敵に回ってもおかしくはないのだ」


 誰も他国の治め方に興味を持たん故に今は問題ないが、織田の国の治め方は足利家の定めた世とは別の考えからきておることだからな。知られたら必ずや足利家は敵になる。


 北近江は要所だ。あそこを押さえれば、東国から畿内にいく道をすべて押さえられると言っても過言ではない。織田があそこを押さえる利は恐らく相当なものになろう。


 だがそんなことは皆がわかっておるのだ。


 勘十郎ばかりではない。この機に北近江を攻めてはと考える者は少なからずおる。攻められなくもないのがなんとも言えぬがな。


「勘十郎よ。戦は後始末まで考えておかねばならんのだ。勝てば周りに警戒されよう。敵も増える。そう簡単なことではないのだ」


 武士は皆、後始末のことまで考えん。それ故、戦が終われば新たな対立が起きて、また戦になるのだ。


 六角の管領代殿くらいになれば、考えておるようだがな。そのせいもあるのだろう。現状では六角が必死に足利家を支えておるが、いくら支えたところで公方が代替わりをすれば、いつ敵に回ってもおかしくない。


 足利家も罪なことをする。


 織田と久遠は何処までやれるのであろうな。共に天下を治められるか、日ノ本から逃れるようなことになるか。


 孫三郎の様子をみておると、それでもいいような気もするがな。あやつめ。隠居して一馬の島に行きたいなど言いおって。




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