第602話・変わりゆく海
Side:関ケ原の賦役にいる領民
目を覚ますと白い布が見えた。おらたちが使うことを許された天幕の白い布だ。ここで寝泊まりすることに慣れたが、すき間の多い家より暖かくて快適だ。
おらたちの村の領主様が、おらたちが困らんようにと、一緒にここに来ることになったご家来の誰かがゲルと言っていたな。結構大きなもんで、一緒に来た村のみんなで寝泊まりしている。
「おーい。飯だぞ」
夜が明けてしばらくすると朝飯が食える。ここでは女衆も賦役として来ていて、飯をまとめて作ってくれる。なんでもこのほうが銭も掛からないし、腹を下すことが少ないんだそうだ。
おらの嫁も飯を作ることに加わっているが、なんでも手を洗うとかいろいろ守らないと駄目な決まり事があるんだってさ。
「うめえな」
「ああ、この
朝飯は米と麦を炊いた飯に、味噌汁と小さな魚を干したものと漬物だった。こんなうめえものがここでは毎日食えるんだ。本当に信じられねえよ。
寒え季節は食いもんが足りない。どこの村も辛い頃だ。もう少しすれば草木が芽生えて野草でも食えるが、今はそれもない。
おいらの村では春を待てずに死んじまう奴も珍しくねえのに、ここだと暖をとる薪すらくれるんだ。いいのかと不安になるほどだな。
「浅井の連中はいつ来るんだろうな」
「いつ来てもいい。おらたちで倒してやるんだ」
戦ではないと言われてここに来たし、おらたちは戦になっても賦役で働いていればいいと言われている。戦うのは別の連中が来るんだと。
とはいえここの奴らはみんな戦になれば戦う気だ。織田様が負けてしまえば、こんなにいい賦役にもうありつけなくなる。浅井なんか、おらたちで倒してやるとみんな息巻いている。
いくら織田様が慈悲深いといっても、戦で負けたら困るのはおらでもわかるからな。武器はある。鍬や鋤だって鉄で出来ているんだ。浅井の連中なんかには負けねえ。
おらたちはみんな知っているんだ。数年前から織田様がおらたちも飢えないようにと食わせてくれていたことを。こんな時こそ恩返ししないでいつ恩を返すんだってな。
「この城が出来れば、浅井なんか怖くて攻めてこられなくなるぞ」
おらたちは山で城を造っているが、人も多くて仕事も早い。近江から来る商人なんかもおるが、みんな城を造っているのを見ると顔を青くする。
おらたちはお指図の通りに働くだけだが、驚くほど早く造っているからなぁ。
春の田植えまでに頑張らねえと。織田様と美濃はおらたちが守るんだ。
Side:久遠一馬
「考えることはみんな同じか」
「そうですな。奪えるものがあれば奪う。それが今の世でござるな」
この日、佐治さんが那古野の屋敷に来ている。実は以前に頼んでいた海賊行為をしている人たちのリストと、調査報告書がようやく完成したらしい。
はっきり言えば海沿いの者たちは、多かれ少なかれみんな海賊行為をしている。ただし力関係もあり、佐治水軍のような力のあるところには手を出さない。
まあ大抵の者たちは、ここはオレたちの海だから通行するなら税を払えと要求して、多少の銭を取るだけらしいが。
それでも以前と比べるとだいぶマシになったらしい。佐治水軍が知多半島西岸から津島まで勢力下に置いたことで、そこまで勝手なことが出来ないようになっている。
市江島にも佐治水軍の拠点をおいたが、あれも地味に役に立っていたらしい。
「禁止なさるおつもりで?」
「ええ、改革の
尾張南部の関所の統廃合がだいぶ効いたらしい。海沿いの国人も一部では海賊行為の自重を始めている者もいる。
佐治さんは良いとも悪いとも言えない顔をしている。それで贅沢しているわけではないようだからね。暮らしていくには仕方ない人たちもいる。
自分たちの権利だと思っていたものを一方的に取り上げると軋轢が生まれるのは、言わなくてもわかっている。
「まずは漁業です。美濃、飛騨、近江にも売れます。漁業で食べられるようにしましょう」
エルに視線を向けると、その対策を口にした。
実は魚などの需要もどんどん伸びている。内陸国である美濃がほぼ織田の勢力圏に入っていることと、木材や紙などの買い付けで向こうにも相応にお金が流れている。そうすると当然こちらの品物が売れるんだ。
あとウチは直接関知していないが、飛騨なんかも尾張や美濃の商人が出入りしているし、近江は皮肉なことに関ケ原の賦役の影響で、関ケ原経由での商いが激増している。
「海苔の養殖でも増やしてはいかがですか?」
「いいですね。それも有効です」
佐治さんはそんなエルの提言に海苔の養殖のことを口にした。佐治さんが始めた海苔の養殖は、知多半島東岸の水野家でも今はしている。
とても需要に供給が追い付かないことと、情報が漏れてもさほど問題ないことで生産は拡大しているんだ。
もっとも、すでに伊勢の水軍の一部は勝手に海苔の養殖を模倣していて、あれは織田の技なので止めるようにと抗議しているが。
まあ伊勢の話は置いておく。今は海賊行為をしている連中のことだ。なんとか暮らしが成り立つようにしてやらなければならない。
「あとは佐治水軍を正式に織田水軍として拡大するべきでしょう。海沿いの食えぬ者たちは水軍にする選択肢もありますので」
それと、これもエルたちと信秀さんたちや佐治さんと話していることだが、水軍も正式に織田家の水軍として整備することを計画している。
佐治さん自身も最近では蟹江にも屋敷を構えてそこにいることが多い。港の規模もあるし、造船も蟹江が中心となっていることから、水軍の本拠地も大野から蟹江に移りつつある。
昨年から始めている検疫なんかも、佐治水軍が協力しているので佐治水軍のメンバーもかなり蟹江に住んでいるんだよね。
水軍は継続して佐治さんに任せる予定だ。ただし船の所有権は織田家で造った船は織田家の所有になる。
「例の蟹江の学校も出来れば、
「即戦力になるのなら、今からでも佐治殿のほうで鍛えてもらうほうがいいかなぁ」
現在蟹江では、船大工や船乗りなどの海関係の学校建設が決まっている。例によって人手不足で建設はまだ始まっていないが。今現在は那古野の学校と病院も拡大するべく伊勢の宮大工たちが建てている現状だからね。
実は佐治さんは少し戸惑ってもいて、それは直接オレが聞いたから知っている。変革のスピードが速いからね。伊勢湾の海賊から、海上警備や海軍へと変わるきっかけとなるかもしれない改革だ。
悩むこともあるだろうし、細かい問題も多い。実際佐治水軍は忙しくて、漁業の合間に水軍をしていたはずが、漁業をする暇がないほどらしい。
津島、熱田、蟹江、知多半島は、今では関東から西国までの船が来る。当然ながら来る人たちもピンからキリまでいる。
大金を積んででも違法な取り引きをしようとする人もいたりするし、佐治水軍の負担は増しているからね。
「伊勢や志摩の水軍衆は焦っておりますな。いかがなることやら」
それと佐治水軍と伊勢や志摩の水軍の格差はどんどん開いている。特に近い伊勢の水軍は焦りを感じているらしいが、現状ではどうしようもないからね。
一応妙な動きをしないか警戒はしているが。
発展のスピードが速いので、海も大変なんだよね。佐治さんも言っているが、本当にどうなることやら。
◆◆
佐治さん。佐治為景。知多半島の大野城城主。佐治水軍の人。
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