第600話・鐘の鳴るとき
Side:久遠一馬
暦は三月に入った。
春を目前として織田家では、春の定番行事となりつつあるお花見の計画と準備に着手していた。
何処でどれだけの規模でやるか、参加する屋台の審査や費用をどうするかなど、昨年のお花見や武芸大会などを参考に決めることがいろいろとある。
東の今川と武田の動きと、西の浅井と六角と朝倉の動きを注視しつつも、なるべく日常は変えないというのが織田家の方針となる。
「壮観だな」
この日、清洲城には織田家家臣たちと美濃の斎藤家から多くの人が集まっている。ざわめき驚愕する人々の様子に信秀さんも満更ではないようで、満足げな笑みを浮かべて見上げている。
いよいよ完成したんだ。清洲城天守と時計塔が。一介の大名の建設スピードではない。国家事業並みに早い完成だよなぁ。
理由はいくつかある。資材の調達などでウチや津島や熱田が万全を期したことや、工期短縮のためにウチがアドバイスもしたんだ。あとは特に機密と言えない木材の加工などは、先行して先日まで準備中だった犬山城下の木材集積所にて予め加工したりもした。
天守と時計塔を建設したのは、津島と熱田の宮大工を中心にした織田領の大工たちだ。実のところ工期が短かった最大の理由は、彼らのやる気にあるだろう。
織田領の賦役全般に言えることだが、やる気と積極性という意味ではこの時代では日本一だろう。みんなが積極的に働く姿は、この時代でもなかなか珍しいことかもしれないね。
天守は五層で白い漆喰の壁となっていて、元の世界でよく見るようなオーソドックスな形になる。
まだ天守すらない時代なので奇をてらう必要もなく、魅せる天守そのものだろう。無論、防御力も馬鹿には出来ないくらいにはある。
「白い天守か」
「あにうえ。おおきいね」
「定期的に維持管理が必要ですけどね。度肝を抜くには白かなと思いまして」
オレは信長さんと信長さんに抱っこされているお市ちゃんと見ているが、ふたりは綺麗な白い漆喰の壁に見入っている。天守の屋根にはちゃんと金の
時計塔は煉瓦造りで大きな文字盤と時を知らせる鐘がある。デザインはそんなに凝ってはいない。あと耐震性は考慮したけど、地盤が弱い清洲ではこの時代の技術では出来ることと出来ないことがある。
時計そのものは以前に信秀さんたちに献上したものと同じ和時計で、この時代の日ノ本の時刻である不定時方式の時計となる。
そうそう、この手の建物の大敵である雷対策もしている。双方ともに鉄の避雷針を取り付けたが、細かい説明はまだしていない。そのうちアーシャが学校で教えてくれるだろう。
「喜太郎、凄い城だな」
「はい!」
ああ、天守と時計塔の建設をずっと見ていた喜太郎君も、両親である義龍さんと近江の方と共に見ている。浅井家との違いに近江の方が安堵しているような気がする。
「これほど見事な城は畿内や京の都にもあるまい。なにより見た目が美しい」
守護の斯波義統さんも新しい天守に嬉しそうだ。まあ義統さんや信秀さんたちはここに住んでいて、建設中の天守と時計塔を毎日見ているので度肝を抜くほどではないのが残念だが。
「そろそろ鐘が鳴ります」
お披露目のお祝いにと信秀さんがお酒も振る舞ったので、いつの間にか宴会かお祭りのように賑やかになっていたが、一緒にお酒を飲んでいたエルが時計塔の鐘が鳴る時間だと教えてくれた。
「これは……。寺の鐘の音とはまったくちがうな」
「きれいなおとだね!」
カラーン、カラーン、と西洋の教会のような綺麗な鐘の音が鳴ると、賑やかにお酒を飲んでいた皆さんの手が止まり時計塔に視線が集まる。
現状では時計を確認して時刻になったら係の人が鐘を鳴らすんだ。自動化も考えたんだけどね。まずは人力で十分ということになった。
四方に見える大型の文字盤のある時計の設置だけで大変だったんだよ。部品は全部船で運んで設置もウチのバイオロイドと擬装ロボットで行なった。工業村の職人が設置の見学をしたいと嘆願してきたので、彼らには見学を許したけどね。
鐘の自動化そのものは時計塔の設計時点で考慮してある。とりあえず人力で使ってみて、様子をみて自動化すればいい。
メンテナンスとか大変だしね。そのためにバイオロイドとか擬装ロボットを清洲に常駐させるのも考えものなので、工業村の職人にでも時計関連の技術と鐘の自動化の技術を教えてからの設置がいいだろう。
「いい音色ですね」
「うん、そうだね。造ってよかったよ」
鐘の音を聞いたエルが、そっとオレに寄りそうように手を握っていた。この天守と時計塔は上手く扱えば後世に残るかもしれない。
変わりゆく世の中で、多くの人を変わらずに見守ってくれるに違いない。
いつか平和の象徴とでも言われるようになれば、今この場にいる皆さんも造ってくれた人たちも喜んでくれるだろう。
元の世界のように発展した町に残るこの天守と時計塔の姿が、エルには見えるのかもしれない。
明日からは領民の見学も予定している。身元の確かな人が城に入り天守と時計塔を見学出来るように計画しているんだ。
織田領の領民は武芸大会や花火大会で領内を移動することが多くなったが、これもまたその一翼を担ってほしい。
同じ織田の領民なんだという認識が少しでも出てくれば、村単位の争いが減ってくれるだろう。
ああ、義統さんや織田一族の子供たちが時計塔や天守に駆け寄っている。もちろん喜太郎君も走っていった。それぞれの乳母さんやお付きの人たちが慌てて追いかける。義統さんの計らいで子供たちが最初に天守と時計塔を見学することになるみたい。
身分の関係で本当は義統さんからだったんだけどね。
こういう気遣いが、本当に凄い人だ。みんないい思い出になるだろうな。この子供たちが争うことのないようにオレも頑張らないと。
◆◆◆◆
天文二十年、三月一日。清洲城天守と時計塔が完成したと織田統一記にある。これをもって天文年間の清洲城改築が完成したと思われる。
設計者は大智の方こと久遠エルで、最新兵器だった鉄砲や金色砲の運用を考慮しつつ、敵の鉄砲に対する備えも盛り込んだ当時としては最先端の城になる。
本格的な石垣と漆喰の壁に金の鯱の天守を持つ清洲城は、城としての能力もさることながら、魅せる城としても住む城としても申し分がなく、戦国期の名城のひとつとして現在も多くの人に愛されている。
城としては必ずしも難攻不落ではないとの評価もあり、現代でも疑問を呈する学者もいるが、そもそも清洲城では籠城はほぼ考慮しておらず、商業や領民の統治を重視する織田家の実情に合った城だとの評価が一般的になる。
尾張という土地柄もあって城での籠城などあまり好まなかった信秀は、当初あまり乗り気ではなかったという記録もあるが、一馬とエルが清洲に織田の象徴となる城をと提言したのを受け入れたと伝わる。
なお、清洲城天守と時計塔には避雷針も設置されており、久遠家がこの時代から雷の性質に一定の理解があったことがわかっている。
この清洲城の影響は織田家のみならず諸国に一気に広まった。各地の大名が権力の象徴として清洲城より豪華で圧倒的な城を作りたいと考えたと伝わるが、ほとんどの大名は費用や技術不足から断念せざるを得なかったようだ。
ただ石垣と天守という形が確立したのはこの清洲城からとも言われていて、清洲様式と呼ばれる建築が現在も各地に多数残っている。
清洲城天守と時計塔に関しては、幾度かの天災などで修繕を繰り返しながらも、ほぼ当時のまま現存していて国宝となっている。
特に清洲城時計塔の鐘は現在も現役で稼働していて、人々に戦国の世から変わらぬ音色で時を知らせている。
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