第599話・次世代の灯

Side:遠藤直経


 家中は戦一色だな。無理もない。六角からは属領のように扱われて久しい。やり場のない苛立ちを溜め込んでおったのであろう。


 もっとも、わしにはあまり関係がない。若君と共に六角の観音寺城下におるのだからな。まさか若君にまで参戦しろとは言うまい。


「いいのか? 六角の様子を殿に伝えなくて」


「文は送った。あとは知らん」


 同じく若君の側で仕えておる者が案ずるような様子でわしのところに参った。浅井が美濃を攻めるという噂は、すでに六角家中でも知られておる。


 勝手なことをしておると怒る者や、愚かだと呆れる者など反応は様々だが、織田が関ケ原に城を築き始めたことで、余計なことをしたと罵られることもある。


 家中では斎藤相手に西美濃を少し荒らして、姫様の一件の報復をすればいいと安易に考えておったが、いつの間にか織田が前面に出て城を築かれておるのだ。


 聞けば六角と織田はすでに話が出来ておるとの噂もある。


 六角にとって浅井は京極を抑え、越前の朝倉への壁としての役割しか期待されておらん。臣従を誓っておきながら勝手に戦をするとは何事だと怒り、若君を殺してしまえという意見すらあると聞く。


「だが万の兵を動員した織田相手に城攻めは厳しいぞ。せめてこちらも国境に城を築かねば、対抗出来まい?」


「どのみち浅井では対抗出来ん。万の兵を僅かな時で集めて城を築くなど、よほどの銭と力がなければ出来ることではない」


 関ケ原に城を築いておる人は万を超えるらしい。これに戦が始まれば織田か斎藤が本腰を入れ、兵を寄越そう。しかも築城するのが早いようで、六角ですら慌てておるのだ。


 そんな敵を相手にいかにして戦う気だ? 織田は鉄砲の数も相当多いようで、噂の金色砲もある。それに三河の一向衆をまたたに壊滅させたこともあるという。


 皮肉なことだ。六角のところにおるほうが、まともな知らせが入ってくる。家中の者たちは知らんのであろうな。


 関ケ原を抜けて西美濃を荒らして一戦交えて退く。さすれば斎藤も浅井の力を見直し、詫びを入れ、姫様を返すと安易に考えた年寄りどもが悪い。


 さて、問題はこちらだ。最悪の事態も想定せねばならん。六角が若君を殺すというなら、逃がさねばならん。越前の朝倉か阿波の三好か。いっそ尾張の織田でも構わん。


 六角の手の及ばぬところに逃がす必要がある。殿は若君を切り捨てることすらあり得るからな。


「とにかくだ。六角の動きには注意しろ。六角が殿を見限れば若君のお命が危うくなる」


「わかっておる。わかっておるが……」


 目の前の男の表情が曇る。六角とて人質を逃がすほど愚かではない。逃がすと言ってもいかにして逃がせばいいのかわからんのが本音だ。


「管領代殿は安易には動かんお方だ。とはいえ六角家中の思惑は様々ある。殺されるという事態は恐らくあるまい。それよりは傀儡として浅井家を牛耳ることを選ぶであろう」


 とはいえ、浅井の代わりなど誰でも良いとも言える。京極を抑えて北近江を落ち着かせればな。


 まったく、六角が恐くて動けぬからといって混乱しておる美濃を狙うような卑怯なことを考えるからこうなるんだ。


 いっそ愚かな年寄りどもはまとめて死んでくれたほうが、浅井のためにはいいかもしれん。




Side:久遠一馬


 春を間近にして蟹江の公設市場が完成した。大変だったのは湿地を埋め立てることだけだった。


 人が住むわけでもなく、気密性が必要なわけでもない。市場という性質上、大八車などで直接搬入出来るようにしたし、屋根はあるが壁はない部分も多い。併設の倉庫の土台固めが一番手間が掛かったね。


 織田領で扱う品物をすべてここで売り買いするのは不可能だ。とはいえここで領内の品物の値の基準を決めることで、織田領の品物の値は安定するだろう。


 公設市場での取り引きにおける資格は、当然織田家で審査して認可を出すことになる。最少取り引き量は、とりあえず米ならば百石にした。


 当然あくどい商売をしている商人には公設市場の参加資格を出さないし、それは既存の座の一員だからといって審査を緩めたりしないので、慌てふためいて方々に賄賂付きの嘆願をしているが、当然資格が得られるわけではない。


 ああ、場外市場の用地は確保した。細々とした小売りの商人たちが売り買いする場所も必要だ。


 いつの時代も変わらないが、白か黒ではないグレーゾーンでの商売をする人が出てくる。必ずしもそれが悪いわけではないが、基本的なモラルが怪しいこの時代だと統治する側が目を光らせないと平気であくどいことをする商人が珍しくない。


 嗜好品や贅沢品はともかく、生活必需品や兵糧になる戦略物資はこれで織田家の管理下に置けるだろう。影響が織田領の外にまで及びそうなので、当面はウチでサポートが必要だが。


 公設市場の運営は織田家とウチの家人で当面は管理することになる。




「ワン!」


「ワン! ワン!」


 朝ご飯を食べて各地から上がってくる書類を整理していると、ロボとブランカが突撃してきた。暇なんだろうか?


「よしよし」


 スキンシップは大切だ。平等にわしゃわしゃと撫でてやる。気持ち良さげに尻尾が揺れて身を任せてくれると成功だ。


「殿、少しよろしいでしょうか……これ、そう騒ぐでない。わかった、わかった」


 二匹の相手をしていると、資清さんが部屋に入ってきた。ロボがさっそく遊ぼうと駆け寄ると、資清さんは困った顔をしながらも撫でてやっていた。


 オレがいない時なんかは資清さんが遊んであげているようで、かなり懐いているんだよね。


「ああ、農業指導の計画書か。これでいいんじゃないかな」


 そんな資清さんが持ってきたのは、今年の農業指導に関する計画書だった。織田家中の皆さんに農業試験村で実際のやり方を実演して見せることや、今年から改革を始める人の領地には、ウチの家臣と農業試験村などで昨年までに新しい農法を経験した農家の人を派遣してアドバイスもする予定だ。


 オレやエルたちも時間があれば見に行くつもりだが、織田領も広がり手が回らない。


「根気強く教えるべきでございます。わからぬこと、必要と思わぬことは、勝手をする者も多かろうと思います故に」


 資清さんは尾張に来る前は田畑を耕していたというだけに、この件には思い入れもあるようだし問題点も熟知している。


 実績もそれなりに作ったし、指導法もこの時代のみんなと試しながら確立した。とはいえ人のやることと自然が相手だ。上手くいかない時もある。


 まして実際に田畑を耕す人にとっては死活問題だ。本当に新しいやり方でいいか疑問を抱く人もいるだろう。


 こればっかりは焦らずに続けるしかないね。



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