第597話・試される浅井
Side:浅井久政
「なんだと!!」
「まことのようでございます。今須宿にはすでに織田の旗印があり、陣地か
ありえぬ! こちらが戦の支度も整わぬうちに、何故今須宿と関ケ原に
「現状で織田は関係なかろう! 勝手に浅井の女を織田の質に出した斎藤との争いぞ!!」
「……すでに不破が織田に臣従しておるようでございます」
なっ……。
「何故、そのような重要なこと言わなんだ!!」
報告をしておるのは当家の小者だ。伊賀者がいつまでも戻らぬので小者を物見に出したら、慌てた様子で戻って参った。なにがあったのかと問うたが、そのあまりの内容に蝮の謀かという考えが頭を過る。
「申し訳ございませぬ」
わかっておる。小者が知るべきことではないことくらいはな。
「商人どもめ。隠しておったな!」
もともとわしの下には美濃の様子はほとんど入ってこぬ。あの役立たずの妹がなにも知らせを寄越さず、供として付けた者もここ数年は生きておるのか、始末されたのかすら定かではない。
それに加えて蝮が織田に臣従すると噂になって以降は、さらに美濃の様子がわしの下に届かなくなった。
とはいえ商人は知っておったはずだ。織田の荷がよく来るのだ。知らぬはずがない。あの恩知らずどもめ!!
「相手が誰であれ構わぬ! 叩き潰すまで!!」
「そうだ! 尾張の田舎者に舐められてたまるか!」
困ったことになったと頭を悩ませるが、愚かな家臣たちはなにも考えずに血気盛んに騒いでおるわ。
「今須宿と関ケ原に
「商人の話では、万は下らぬと……」
織田は賦役もまともに出来ん愚か者だと近江では笑われておるが、それでも万は下らぬ人が集まっただと。その上、城を相手に攻めねばならんのか?
そんな相手に勝てるか!!
「殿、好機ですぞ! 城を建てるには刻が掛かります。城が仕上がる前に攻めて奪ってしまえば、関ケ原は浅井のものでございますぞ!!」
おのれの頭は腐っておるのか!? そんなこと織田とて百も承知であろう! そもそも万は下らぬ敵に如何にして勝つ気だ!!
「今須宿はいかがなっておるのだ!?」
「今須宿には稲葉良通がおる様子でございます」
「稲葉か。あそこは先代もその
「ならば、田仕事の前に奇襲して稲葉だけでも討ち取るか?」
「おおっ、それは妙案だ!!」
このままではいかんと頭を悩ませておったが、家臣どもが勝手に攻めると決めつけて話を進めておる。たわけが! 下手に負けると六角に我らが殺されかねんのだぞ! 敵は斎藤と織田だけではないのだ。
六角と朝倉は不破の織田臣従を知っておったとみるべきか。西美濃が
確かに稲葉だけならば討ち取れるかもしれぬ。浅井は六角とも渡り合った精強なのだ。だがその後はいかがする? 織田が近江に来れば守り切れぬぞ。
朝倉が和睦を勧めると言うておったな。口惜しいが、そちらも進めるか? 勝てば
そのまま六角も朝倉に牽制してもらうしかないか。くっ、もっと早く美濃の様子を知っておれば……。
商人どもめ。恩知らずの代償は必ず頂くぞ!!
Side:斎藤道三
この日、わしは清洲を訪れておる。関ケ原の賦役と浅井の問題は斎藤家としても動かねばならん。無論、織田に従う立場としてだがな。直に話して相談することは山ほどあるのだ。
もっとも清洲は浅井との戦のことなど、いかようでもよいと言いたげなほど穏やかで活気のある様子になるがの。
「ようやく浅井が動くらしい。物見を出したそうだ」
いかなるわけか織田は関ケ原の様子をわしより早く知っておる。素破を使っておるのか? 先ほどから南蛮の間で茶を飲んでおったが、信秀は面白そうな笑みを浮かべて浅井の動きをわしに聞かせてくれた。
「今更でございますな。なにもかもが後手に回っております」
「今須宿には稲葉を置いた。武功欲しさで先走りでもせぬ限りは問題あるまい」
「稲葉なら問題ありませぬ。父と兄たちを亡くして苦労しておった者でございます故に」
織田は国人衆を重視せぬ。本来なら織田から臣従しろと迫るはずが、まるで要らぬと言わんばかりに放置しておる。だが自ら臣従を申し出た者には手厚く遇しておる。
稲葉は父や兄たちの仇を取れると喜んでおったからの。浅井の調略にも乗るまい。戦も上手く前線を任せるには最適な男だ。
「朝倉からは『商いの取り引きを本身に考えるは、いかに』と文が届いた。浅井が邪魔をするのならば、なんとかするそうだ」
「それはまた、浅井が聞いたら驚くでしょうな」
「桑名や堺の件で織田の出方を理解しておるらしい。確かに今ならば交渉の余地はある」
味方は着々と浅井対策をしておるが、驚かされたのは朝倉か。早くも浅井を見限ったとも言える決断をするとは。浅井久政は朝倉を心の拠り所として生きておるような男ぞ。これを聞いたらいかな反応をするか。
確かに織田との商いの利は莫大だ。まして尾張と越前は共に日ノ本を表裏する形で海がある。実現したら双方ともに莫大な富が得られるのは確実。
もっと言えば、もともと朝倉は浅井に拘ったわけではない。北国街道の支配を六角に奪われたくなかっただけで援助をしておっただけのこと。女ひとりの動きを発端とした此度の一件に興味自体がないのであろう。
織田が北近江を狙っておるならわかるが、むしろ関ケ原の築城で近江を攻める気がないと示したからな。それも織田の狙いか。
「派兵は新九郎殿と三郎と一馬を送るつもりだ」
「ありがとうございまする」
「若い者たちには多くの経験が必要だ。それに武功も欲しかろう。わしや山城守殿が出れば武功どころではないがな。
一馬はすでに十分武功もあるので迷うたが、あれは別の意味で経験が必要だ」
過去の先例はあまり重んじぬが、信秀は人の心には人一倍配慮する。これが仏の本質か。織田のためとならば一挙に数万の兵が集まってもわしは驚かん。
「そうですな。わしや殿が出ては若い者たちのためになりますまい」
わしは今回の清洲訪問から信秀を主君と仰いでおる。未だ正式な臣従は表明しておらぬが、おおよそで条件は決まった。織田家中の疑念もある。態度を示すなら早いほうがいいからな。
信秀はわしよりまだ若いが、早くも次の世代をみておるのか。細かい方策は家臣に任せて、己は大局・大勢の見地から物事を見る。本来の主君とはこのようなものがよいのであろうな。
「互いに苦労をしたからな。若い者たちにはわしや山城守殿が健在なうちに大きくなってほしいものだ」
「確かにそうでございますな」
ああ、心を揺さぶられる。信秀の何気ない言葉に。蝮と言われ、生きるためにいかなる手段も躊躇しなかったこのわしがだ。
わしとて好きで蝮と呼ばれ、この手を汚してきたわけではない。無論、美濃や日ノ本を地獄にしたいわけでもないのだ。
「浅井久政は、三郎たちに新たな世を感じることが出来るかのう? それが出来れば……」
なるほど。信秀は浅井久政をも試す気か。それを感じられぬ者が滅んでおると見るべきか。願証寺などを見てもそうだということであろうな。
春はもうすぐということか。
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