第596話・変わる者たちとチョコレート
Side:ウルザ
「浅井はようやく物見を出すか。遅く感じるが、他家はそんなものであろうな」
伊賀者がもたらした情報を聞いた氏家殿が、なんとも言えぬ表情で一言呟きました。六角家の様子を探り、朝倉家に使者を出しつつ家中をまとめる。それからの物見なのでしょう。特に遅いとは感じないのが、この時代の人の感覚なのかもしれません。
「然れど、久遠家では素破相手にあのような扱いを?」
「当家では誰であれ、人として節度のあるもてなしで迎えているのですよ。当家は遥か海の向こうまで船で旅をします。船の上では権威や個人の武よりも、皆が力を合わせることこそ第一なのです。素破だからと見下すなど当家では出来ませんよ」
不破殿は見知らぬ素破への扱いに驚いていますね。当然と言えば当然のことですが。とはいえ反発することがなかっただけで今は十分です。
「なるほど。久遠家には久遠家の伝統と習慣があるのですな」
久遠家の伝統。その程度の認識が一番いいでしょう。人権などこの時代では逆に害悪になりかねません。不破殿はいい感性をお持ちのようでなによりです。
「今では織田家でも素破を極端に軽んじる者はおらぬな。大殿が久遠家に倣い素破の扱いを変えた故に。現にこうして向こうから貴重な話をもってくる」
この人も変わりましたね。織田信清殿と言えば、史実では犬山鉄斎として甲斐にまで流れて苦労をしたはず。それが今では女の私の部下として出過ぎないように働いてくれています。
「然れば、浅井はいずこまでやる気ですかな」
伊賀者の報告は有益でした。不破殿は最早織田の勝ちを確信しているようです。あまり勝ちを意識して付け入る隙を与えても困りますが、今のところ不安要素がほぼないので仕方ないでしょう。
それにこの時代の武士なのです。彼らもそんなことは理解しているはず。
「あまり浅井を叩き過ぎては織田家に不利益になります。北近江が六角家の完全な領地となれば、いささか面倒ですので」
それよりも問題なのは浅井の戦後でしょう。北近江を六角家に完全に統一されるのも困ります。不和の種は残したいところ。もっとも越前の朝倉家もおります。そう簡単に六角家による北近江の統一などあり得ませんが。
さて、浅井久政はどう出るのでしょうね。
side:久遠一馬
屋敷には甘い匂いが漂っている。二月も半ばのこの日は元の世界ではバレンタインデーだからだろう。今年もエルたちがチョコレートを作っているらしい。
「クーン」
オレはさっきからジュリアとロボとブランカと一緒に庭を散歩している。
「変化への対応力はこの時代の人たちも負けてないね」
「こっちのほうが上じゃない? アタシは直接は知らないけどさ」
クンクンと匂いを嗅ぎ、庭のマーキングに余念がないロボとブランカを見つつ、ふと最近のことを思い返してみると、この時代の人の底力に驚かされることが増えたと思う。
ジュリアはそんなオレの言葉に、むしろ元の世界よりこちらの方が上ではと考えているらしい。アンドロイドであり仮想空間の住人であったジュリアは、元の世界を直接見ていたわけではない。
故に憶測を含めてのようだが、元の世界の戦国時代のイメージとは随分違うとは思うのだろう。
「生きていこうという生命力というか、なんというか……」
「それはそうだと思うよ。司令の元の世界では社会全般の仕組みはそうそう変わらない。最低限のセーフティーネットもある。誰が為政者でもそう劇的には変えられないからね。この時代では変化に乗り遅れると一族郎党が死に絶えるのがリアルなんだ。少なくとも尾張の外ではね」
周囲には護衛も侍女もいない。ジュリアとロボとブランカしかいないからこそ、言いたいことが言える。
ジュリアはオレよりこの時代の武士と親交があり、その分彼らの考えや気持ちを理解しているらしい。それにジュリアなりに家中が文官と武官で割れないようにと努力していることはオレもエルたちも知っている。
みんな必死なんだ。変化を学ぶ意欲やそれに対応しようとする意志は、元の世界ではオレは感じたことがなかったほどのものになる。
「浅井家の動きが、この時代の標準なんだろうね」
「そうだね。滅ぶなんて考えてもないはずだよ。あっちは変化の訪れに気付いてないからね」
虫型偵察機の情報では、朝倉家が浅井に援軍ではなく和睦の斡旋を提言したようだ。戦で一当てしたら引いて和睦をするべきではと言ったらしい。
尾張と美濃と三河の一部に、その気になれば一向衆も味方する織田との敵対は浅井家のためにならないと朝倉家を訪れた使者に諭したようだ。
朝倉も織田との関係は微妙だからね。斯波家の手前、あまり友好を前面に出せないという問題がある。朝倉は隣国の加賀が一向衆の国になっている。南の北近江くらいは落ち着いてほしいのが本音なんだろう。
「朝倉家は越前と尾張の商いの取り引きを増やすことで、和睦が可能だと考えているらしいね。太平洋から日本海まで通商路が繋がると、確かに浅井なんてどうでもよくなるほど利益は大きい」
「朝倉宗滴。会ってみたいねぇ」
「向こうもそう思っているよ」
どうも朝倉は六角ではなく自分たちが和睦を斡旋することで、史実では朝倉義景となる朝倉延景の名声を高めて織田との誼を深めたいらしいね。延景はまだ若いからね。主導して動いているのは宗滴だ。
ジュリアは歴史に名の残る宗滴に会いたいと不敵な笑みを浮かべるが、向こうもそう思っているんだよね。塚原卜伝さんが越前にも立ち寄った影響でジュリアの名声は越前にも広がっている。
それとオレとも会いたいと思っているみたい。新時代の風でも感じたか? 惜しい人だよね。あと二十年生きれば、朝倉家は新時代にも生き残れるかもしれない。
オレも会ってみたいな。朝倉家のネックは斯波家の存在だ。実権は返さなくても斯波家に謝罪して、上手く神輿の担ぎ手に加わりたいとか、家中の意思統一が出来れば面白いんだが。まあ難しいだろうね。
「かじゅま~、じゅりあ~。おかしできたよ!」
「姫様。一馬様ですよ」
「かじゅま? かずま?」
そのままジュリアとは武闘派の皆さんのことを少し話していると、エルたちとチョコレートを作っていたお市ちゃんがオレたちを呼びに来た。
ただ、お市ちゃんは乳母さんに発音を直されている。そろそろ言葉もしっかりしてきたし、その辺りの教育もしているんだよね。
「それじゃあ、あまいチョコでおやつにしましょうかね」
「おやつすき!」
お市ちゃんもチョコレートは好物なんだよね。楽しみらしくオレとジュリアの手を取ると、真ん中に入って両手を振って歩きだす。
この時代のお姫様はこんなことをしないんだけどなぁ。お市ちゃんはすっかりウチの環境に慣れちゃったらしい。将来がちょっと心配になるね。
バレンタインか。そういえば元の世界ってどうなっているんだろう? 戻りたいなんて思わないけど、どうなったかは見てみたいね。
「チョコは素晴らしい」
「美味しい!」
屋敷に戻ると、すでにケティとパメラが待っていた。みんなでチョコレートと紅茶でおやつになる。
この時代だと下手したら金より貴重だからなぁ。誰も知らないから価値なんてあってないようなものだけど。リリーは孤児院の子供たちにチョコレートをあげているのかな?
「ありがとう。美味しいね」
オレが食べるのを楽しみに見ているエルの様子に、幸せなんだなと実感する。
ありがとうの一言で嬉しそうにするエルに感謝しつつ、戦国の世でチョコレートを食べるのもいいね。
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