第583話・浅井家の様子
Side:遠藤直経
「これほどの屈辱はあるか!」
浅井家の家中は、今までにないほど荒れておる。殿と重臣ばかりか、集まった者すべてが今にも戦だと出ていきそうな勢いだ。
初めは美濃の斎藤家に嫁がれた姫様が、斎藤家によって織田に人質として出されると聞き、救い出さねばならんと騒いでおったのだ。
それがよくよく調べてみると、姫様ご自身が浅井家には戻りたくはないと織田への臣従を申し出たというではないか。
しかも尾張や美濃ではそれが皆に知られておるとわかると、家中の者が総出で烈火のごとく怒っておる。当然わしも腸が煮えくり返るようだ。
「殿! 絶縁なさるのでしょうな!!」
「そうだ! 許してはならん!!」
重臣たちは怒りを抑えておられる様子の殿に、怒りのままに絶縁を迫る。だがそれとこれは別の話であろう。感情にすべてを任せてよいのか?
そもそもこの一件は、殿と姫様が兄妹なれど不和だったことが根底にある。捨てても惜しゅうないと言われて他家に出された姫様が帰りたいというはずもない。
それに織田はここのところよく聞く名だ。上手く立ち回れば浅井家のためになるのではないか?
「殿が六角などに従うからこうなるのだ! 先代様は違った!」
「もう一度、先代様の時のように皆で戦えばよいではないか!」
そのまま無口な殿に家臣たちは怒りのままに迫る。
浅井家の悪いところだ。家臣の大半は先代様の頃を懐かしんでおって、なにかと殿と先代様を比べてものを語る。それが余計に殿の機嫌を悪くすると知っておって言うのだから始末に負えぬ。
浅井家は代を重ねること浅く、国人衆の力が強い。そうでありながら、特に先代様の頃に活躍した者は冷遇されておって、殿に反発しておるからな。
「わかっておるわ! 絶縁する!!」
結局、殿は家臣たちに責められるまま、姫様との絶縁を決断なされた。やはりとしか言えんな。だが本当によいのか? 織田は近頃勢いがある。上手く立ち回れば六角と潰し合わせることも出来るのではないか?
せめて朝倉に一報を入れて、助力の約束を取り付けてからのほうがよかろうに。
「ちょうどよい。このまま美濃を攻めましょうぞ!」
「ああ、美濃が割れておるのだ。織田など恐るるに足らず!」
六角への臣従が面白くないのはわしも同じだ。それに美濃も織田に従う者と、従わぬ者で割れておると聞く。確かに好機であろう。まして織田は調子にのっておるが、少し前までは一族で争っておったのだ。付け入る隙はある。
ただ、六角が我らの美濃攻めを黙ってみておるのか? 留守中に攻められたらいかがする気だ?
それと口先だけで騒いで六角から放逐された、土岐の旧臣など呼んで役に立つのか?
「織田は確かに戦に強いが、死を恐れる臆病者が多い。それに尾張から兵を挙げてくるには時が掛かる。織田の本隊が到着する前に退けばよいのだ」
「六角を恐れて近江にまで来るまい。そこを利用するのだ!」
土岐の連中も好き勝手なことをほざいておる。負けた分際で大層な口の利き方だ。命を救われておきながらこのようなことをするとは、武士の風上にも置けん。
まったく、そんなことも考えられん故に六角に付け入る隙を与えたのだ。年寄りどもはそれがわからんらしいな。
若様が元服なさるまで、大人しくしておけばいいものを。
Side:久遠一馬
「案ずるな。そなたたちは織田が守る」
浅井から近江の方に絶縁状が届いた。近江の方はそのままそれを信秀さんに提出したんだけど、信秀さんは特に大きな反応もなく、近江の方と息子の喜太郎君を守ると約束した。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「気にせずともよい。浅井殿は、もう少し思慮のある男だと思うたのだがな。せっかく出来た縁を
近江の方は申し訳なさそうだ。
この時代は家とか一族という繋がりが、元の世界と比べ物にならないほど強い。それを一方的に断ち切られるというのは可哀想でもある。
まあ、近江の方本人は気持ちがすっきりしたようにも見えなくもないけど。本当に嫌いなんだね。兄が。
信秀さんのほうは、この裏になにかあるのかと少し考えたらしいが、なにもないと思ったんだろう。呆れている。
「朝倉にも根回ししておくか」
信秀さんの懸念は朝倉のようだ。越前朝倉は守護の斯波家と因縁があるが、越前から公家が訪ねて来て以降、史実の朝倉義景こと朝倉延景とは交流がある。
紅茶が気に入ったらしく、茶器や紅茶などが欲しいようだったので贈ったりもしたからね。こちらが近江に攻め入るまでしないと大々的には動かないと思うんだが。
朝倉延景は史実での評価が微妙な人だけど、どちらかと言えば文治タイプのようで悪くないと思う。あくまでも現時点ではという段階だが。
あそこは朝倉宗滴がどっしりと家中をまとめているからね。問題は宗滴が亡くなった後だろう。
そのまま評定を開いて今後のことを話し合うが、不破さんのところに兵糧の援助を送ることと、先発隊として援軍を送る準備をすることなどが決まる。
まだ戦になるかはわからないが、絶縁状を寄越した以上はなにかしらの動きがあるとみるべきだからね。
「然れど朝倉が動けば厄介ですな」
「動くか? ならばこちらは加賀を援助でもすればよいのだ」
評定衆の懸念も朝倉だった。六角は商いの繋がりなどで共通の利益がある。西の三好を前に東の織田と本格的に敵対するとは思えない。ただし朝倉は数年前に当主が交代したばかりだ。
武功を求めて少数の援軍くらいは出す可能性はある。
「一向衆はなるべく巻き込まぬほうがよいでしょう。彼らと織田では目指す先が違います。それに石山本願寺も持て余しているところでもありますので、なにをするかわかりません」
ずっと無言だったエルだが、重臣のひとりが加賀一向衆を援助と口にすると、少し困った表情で懸念を口にした。
「某も一向衆は信用するべきではないかと。牽制として多少の交流を持つくらいはよいのでしょうが。本證寺のように調子にのれば、美濃も巻き込まれまする」
「確かにな。とはいえ朝倉は動くか? わしが宗滴なら動かんぞ」
エルの懸念に信康さんと信光さんが同意した。特に信康さんは三河本證寺との戦で先発隊として戦っているからね。信用ならないと思うらしい。
義理程度の援軍は出すかもしれないが、それ以上は出すかな? 朝倉宗滴は本證寺との戦の様子から織田とウチを警戒しているからね。近江に攻め入れば多分動くと思うけど。
評定初日の決定に合わせて、すでにウルザとヒルザが不破さんのところに出発した。忍び衆の精鋭と織田家の若い武士を少し連れていった。
信秀さんが若い血気盛んな者たちに学ばせたいと言って同行を命じている。
「朝倉家の強味であり弱味なのですよね。宗滴殿は」
「一馬、いかなる意味だ?」
皆さんの議論を聞きながらふと漏らした一言に信秀さんが反応して、評定衆の注目が集まった。
「いえ、それほど深いことでは。ただ、朝倉宗滴殿はひとりしかいないということです。負け知らずで絶大な存在とは皆が頼り信奉しますが、案外その次が育たないこともあるのだと思いまして……」
油断出来る相手ではない。とはいえ、朝倉宗滴の存在が朝倉では大きすぎる。史実を見ても、朝倉宗滴にさえ気をつければ大きな問題がないのは楽ではある。
「確かに、あそこは宗滴以外はほとんど聞かんな」
「宗滴はもう歳だぞ。そう無茶をするまい」
浅井の問題のはずが、いつの間にか朝倉の話ばかりになっていた。
悪いけど、この段階で軽々しく動く浅井はあまり脅威ではないんだよね。なんというかヤクザの鉄砲玉? いや暗殺テロは怖いか…。粋がってるヤンキー? そんな扱いという感じか。
六角も朝倉も浅井で織田を試すつもりなんだろうな。
◆◆
遠藤直継。浅井家家臣。史実の浅井長政の腹心
朝倉延景。越前朝倉家当主。史実では朝倉義景として最後の朝倉家当主となった人。
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