第576話・偶然の行く末
Side:久遠一馬
「昨日捕らえた者たちは信濃の者でございました」
翌日、一益さんと望月さんが賊の取り調べの結果を報告してくれた。どんな取り調べをしたかは知らない。この時代では悪人には人権なんてない。
「信濃か」
「申し訳ございませぬ。実は信濃望月家の前の当主であった、
武田家への恨みかとなんとなく思ったが、そんな時、望月さんが深々と頭を下げた。
ん? どういうことだ?
「望月昌頼って、前当主というと武田に負けたって人かな?」
悪いが望月家の先代を知るほど、オレは歴史に詳しくはない。ただ信濃望月家の話をした際に、エルや望月さんに聞いた程度ならば知っているが。
「左様でございます。先代の信濃望月家当主にして武田との戦に
その縁者が尾張に来て織田家家臣を名乗って悪さをしたのか。
そもそも今の信濃望月家は信濃望月家の嫡流ではなく庶流になる。聞けば本来の信濃望月家の嫡流である望月昌頼は生きていて出家はしたものの、復権の機会を狙っているらしい。
まあ戦に敗れて一族もほとんどが武田へと降ったので相手にされておらず、望月さんも武田が認めた新しい望月家を認めて交流していたが、尾張望月家が予想以上に力を持ったことでそれを当てにして尾張に使いを送ったということかな?
「つまり狙いの
「はっ、そのようでございます。如何にも望月一族の総領を未だ自認しておるようでして……」
望月さんは申し訳なさげを通り越して、
望月さんの話では、武田家に負けた望月昌頼さんは未だに領地奪還と復権を諦めていないらしい。とはいえ一族の者はほとんどが武田に降ってその下で生きることを決めたし、甲賀望月家もそっちを本筋と認めていた。
ただしここで尾張望月家が一気に出世したことで、自分も織田家を後ろ盾に望月家総領として返り咲くことを考えたらしい。
おそらく信濃望月家の関係者が多少なりとも援助をしていたんだろうな。落ちぶれたとはいえ旧主だ。この時代の人も意外と義理堅いからね。そこで尾張の様子も聞いたんだろう。
美濃もほぼ手中に収めた織田家ならば、信濃望月家総領の名も役に立つと判断したのかもしれないと推測も交えて語ってくれた。
「それで手土産に武田の渡り巫女を狙ったと?」
「そちらは偶然のようですな。昨日偶然見つけて、手土産にしようと思ったようでして。信濃で見かけた渡り巫女だったと申しておりました。遣わされた者たちも武田ゆかりの者を恨んでおるようでして……」
考えはわかる。とはいえ……。
「要らない欲を出したね。素直に頼ってくれれば良かったのに」
この時代だと割とよくある考えなんだろうな。道理よりも実力を見せたかったのだろう。
しかし信濃望月家の総領の名か。ウチには不要だが、信秀さんならいつか使えるかもしれないと援助するくらいはしそうだ。
現時点で武田を敵に回すことは好ましくないが、あそこが信用出来ないのはいまさらだからね。万が一の時には信濃攻めのカードにはなったはずだ。
まあ信秀さんには報告するし判断はオレがするべきじゃないんだろうが、印象は悪いよね。勝手に織田家の名を使ったんだから。
Side:渡り巫女
昨日襲い掛かってきた者たちが信濃望月家の縁者だったとは。織田家の名を名乗ったことでとっさに甲賀者かと思いましたが、よくよく考えてみれば僅かに信濃訛りがあったように思えます。素性を悟られるようなことは隠していたようですが。
「そうか。所帯を持つのか」
「よろしくお願いいたします!」
この日、私と男は久遠様のお屋敷に来ております。私のすべてを受け止めるからと男に言われて頷いてしまったのです。
しかし本当に久遠様を頼ってよいのでしょうか。命を助けていただいたうえに、ご迷惑をおかけするのは心苦しくあります。
「それで巫女殿は武田家をどうしたいの?」
「その……、特にそこまで忠義があるわけでは……」
お武家様で織田の猶子である久遠様に言っていいのかわかりませんが、私はもともと信濃の貧しい村の娘でした。器量がいいと評判だったので武田家の家臣に買われたのでございます。
しかし私はその方の奥方様に嫌われてしまい、殺されそうになったところを女の素破を育てているところに預けられました。
売られた以上は家族とも赤の他人。帰る家もありません。飢えないで今日まで生きてこられた恩は多少なりとも感じますが、そもそも武田家が信濃に来なければこんなことにはならなかったとも思うのでございます。
「わかった。ふたりはウチで働くといい。当面はそれで様子見だな。三ツ者もウチの者を襲うまではしないだろう」
私は己の境遇と思いを素直に久遠様に話しました。その結果、久遠様はなんと私と男を下働きとして使っていただけるということです。
久遠家に手を出してはならない。たとえ下働きの者や素破でさえも、久遠家ゆかりの者に手を出せば、
しかし、何故そこまでしていただけるのか。私にはわかりません。
「念のため言うておくが、我らの殿がお決めになったからには、甲斐武田相手と言えど、その方の
「……家族がおります。売られて以降会っておりませんが」
私たちの身柄は滝川八郎様に預けられました。このお方は知っております。その忠義心にて久遠家の家老に抜擢されたお方。
私は欺く気などありません。とはいえ指摘された通り家族が気にならないと言えば嘘になります。
「わかった。任せよ、悪いようにはせぬ。もし武田から
生まれた村と家族のことを話して、今後のことを言われました。私たちは当面は病院と呼ばれる診療所にて働くことになるようでございます。
滝川様からは念を押されるように何度も勝手な判断をするなと言われました。よかれと思ってした行動が逆の結果を招く。よくあることなのは理解しております。
それにしても、必ず守るとは。どうりでお頭が久遠家にだけは手を出すなというはずです。
「ありがとうございます!」
私の家族となる男は人を疑うことを知らない男のようです。素直に喜んでいて滝川様も少し苦笑いを浮かべております。
「滝川様、ひとつよろしいでしょうか?」
「構わん。なんだ?」
「何故、ここまでしていただけるのでございましょうか?」
最後に私は最大の疑問を滝川様に問うことにしました。勝手な判断をするなと言うのならば、これもまたそのひとつでございましょう。
「互いに命を懸けて互いを助けようとしたことを殿がお気に入られたのだと思う。殿はそういうお方だ。目の前で見てしまえば放っておくことが出来ぬのだ。無論、それが欺きであろうが
滝川様の話す通りだとしたら、恐ろしいお方です。力で人を従え使うのではなく、情けで人を従え使うなんて。
聞けば誰もが羨むでしょう。ですが不義理を働く者や裏切り欺く者は何処にでもいます。それで成り立つのならば誰もが、そうするはずでございます。
ですが現世は非情でございます。人が望んでも出来ぬことを平然と出来る。身分もなく立身出世するお方はやはり違うということなのでしょうね。
私は新たな主の下で新しい人生を歩んで参ります。
この、人を疑うことを知らぬ愚かで心地よい男と共に。
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